「世界でいちばん臭い」けれど「どこか懐かしい」スウェーデンの発酵食品

「世界でいちばん臭い」けれど「どこか懐かしい」スウェーデンの発酵食品

©イラスト 小幡彩貴

「世界でいちばん臭い食品」で名高いスウェーデンのニシンの発酵食品、シュールストレミング。現地在住の友人が一時帰国の際にお土産でくれたのだが、「あまりに臭いので屋内では食べられない」と聞いた。かといって、車も持っていない私には屋外のどこで食べればいいかわからず、そのままベランダに放置、一年以上たった最近気づくと、平べったかった缶詰はなんとパンパンに膨らんでいた。「要冷蔵」なのに常温で放置していたため、内部で発酵が進んでしまったらしい。

「危ない、もうすぐ爆発する!」

 慌てて試食会を催すことにした。場所は荒川沿いに住む友人のマンションのバーベキュー場。参加者は私、飼い犬のマド、その他友だち五名。

 シュールストレミングは缶詰を開けるとき汁がドバッと飛散する。一滴でも衣服につくといくら洗っても臭いが落ちないというので、使い捨ての雨具上下とマスクを着用。さらに料理用のボウルに水を張り、その中で缶詰を開けた。

 緊張しながら缶切りを刺すと、プシューッという音とともに不気味な灰色の液体が缶からほとばしり出た。

 匂いは案の定、強烈。友人たちは五メートル以上も離れて見ているにもかかわらず、「うっ、くさ!」「ひゃあ!」などと悲鳴をあげている。

「くさい!」と私も叫びつつ、でも冷静になると思った。「ん? わりと平気だ」

 強いて言えばくさやと温泉卵が合体してさらに臭くなったものだろうか。むしろ食欲をそそられる。

 期待を胸に、そのまま少しずつ缶を切り、最後に蓋をパカッと開けた。そして仰天した。

「何もない!」

 中は空っぽだった。なんと、発酵が進みすぎて、魚が全て溶けてしまったらしい。浦島太郎になったような気分だ。

 缶にわずか残った汁をすすると、塩辛い。ドブの水のようだが、うっすらと旨味の残り香が感じられる。マドが近寄ってきたので、指につけて差し出すと、ペロペロと美味そうになめた。少なくともうちの犬は食べ物と認識したようだ。

 もっともガッカリしていたのは私と犬(たぶん)だけで、他の人たちはむしろ食べずに済んでホッとした表情である。

 匂いの感想を聞いてみた。ナガシマさんは「もし自宅ならまず家族を外に逃がしますね」。ガス漏れのようだったという。イオ君は「脳味噌にガツンとくる匂い。オエッときそう」。ノザキさんは「思ったほどじゃない」と言いつつ、「怖くて(汁を)味見できない」。

 一歳児の母であるアリオさんは「子供のオムツが二、三日たまったときの匂いを思い出した。うんちが発酵した感じ」。

 最も面白い感想はカサイさんという山梨県出身の女性。「昔、実家にいた頃、父がときどき冬にクサヤとニンニクをストーブで焼いて食べていたんです。その次の朝、父が出たあとのトイレに入ると猛烈に臭くて、それを思い出しました。ちょっと懐かしい」

 ああ、と思った。そうなのだ。発酵の匂いにはいつもどこか郷愁をそそるものがある。しかも臭ければ臭いほどに。

 一年も缶詰を放置しておいたのもそうだが、この日、完全防備で挑んだはずが肝心の手袋をし忘れていたのも失敗だった。何度石けんで洗っても指についた腐臭はとれない。帰り道、ときどきその匂いを嗅ぎながら、私も何かを懐かしんでいた。子供の頃によく遊んだドブ川や肥だめの匂い、あるいは隣家の糠漬けの匂いだろうか。

 浦島太郎に残されたのは甘く切ない香りなのであった。

(高野 秀行)

関連記事(外部サイト)