「きゅうり一本だって楽しい」ぬか漬け暮らし(1)――平松洋子の「この味」

「きゅうり一本だって楽しい」ぬか漬け暮らし(1)――平松洋子の「この味」

©下田昌克

 また始まってしまった。

 でも、やっぱり楽しい。

 じわじわうれしい。

 微妙な心境を抱えつつ、一年ぶりのぬか漬け暮らしが五月末からこっち、毎日続いている。きゅうり、にんじん、なす、セロリ、キャベツ、手近な野菜を漬けては食卓にのせるたび、一瞬うきっとする。

 ただ、やっぱり複雑な気持ちにはなるんです。朝起きると早々に台所へ向かい、かたすみに置いてある陶器の瓶のふたを開ける。やおら手を突っ込んで、ぬかをかき回す。

 ずっぽ、ずっぽ。

 上下のぬかが入れ替わる空気音といっしょに、ふんわり立ち昇るぬかの香り。ああいいな、この鄙びた香り好きだな、と鼻の穴をふくらませつつ、ちらりと脳裏をかすめる。

(ぬか床に支配されている)

 ぬか漬け暮らしは、いったん始めたら、朝夕のかき混ぜ行為がモレなくついてくる。儀式を怠ると、ぬか床は死ぬ。物騒な物言いですが、泣いても笑っても、これが真実。走り始めたのはほかでもない自分なので、ともかく遂行するほかない。フルマラソンを走った経験はないけれど、スタート地点に立った時点ですべてのランナーの脳裏に輝いているのは「完走」の二文字だろう。

 そもそも、なぜ走る気になったかといえば、五月に水なすのぬか漬けを食べたあと、六個ぶんのぬかを集めたらけっこうな量になり、いっちょ瓶に溜めてマジメにやってみるか、と身を起こしたからだ(去年も六月ごろ水なすのぬか漬けを食べて同じ状況になったが、ちょうど実家との行き来が頻繁だった頃と重なって荷が重く、きゅうりやなすを少量漬けてお茶を濁し、そそくさと終了)。今年は、なぜかこころのすき間にぬか床がするりと侵入した。

 始めてみると、たかだかきゅうり一本だって楽しいのである。一週間もするとそれなりにリズムが出来てきて、夜中にきゅうり三本を漬け、翌朝半分取り出して浅漬けを味わい、その夜、もう少し漬かったの、またその翌日よく漬かったの、だんだん変化してゆく味わいを確認して楽しんでいると、じわじわうれしい。きゅうりを基本にして、にんじん、セロリ、キャベツ、なす、適当に漬けこんでバリエーションを増やすのだが……。

 はっと気づくと、ぬか床に支配されている自分がいる。これを入信状態というのかもしれぬ。朝一番にぬか床をいそいそかき混ぜながら「煩雑」の二文字は消えており、あ、これヤバいかも、と軽く動揺する自分ににやりとするという無間地獄、いや違った、ぬか漬けという桃源郷。

 ただし、かき混ぜ行為はちゃんと理にかなっている。ぬか床の表面には産膜酵母、下部には酪酸菌が棲んでおり、それぞれの微生物が繁殖し過ぎるのを防ぐために定期的にかき混ぜて均一にし、乳酸菌が棲みやすい環境をととのえる。素手でおこなうのは、人間の手にも乳酸菌がついているから(……と、ものの本であれこれ学習)。

 一ヶ月ほど経ったころ、ゆで卵を漬けてみた。

 おお! 新鮮なうまさ。ほのかなぬかの香り。きゅっと締まって、酒の肴にもぴったりだ。勢いがついて、つぎはマイぬか床をまぶして肉でも漬けてみるか、と腕まくりしかけた朝。いつものように瓶のふたを開けてかき混ぜようとすると、強烈な異臭がする。

 がーーーん。なにが起こったんだ。

(以下、次号)

(平松 洋子)

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