嫌いな人はいていいんです DJあおいの「人付き合いの処方箋」(16)【連載】

嫌いな人はいていいんです DJあおいの「人付き合いの処方箋」(16)【連載】

好き嫌いは善悪ではありません

幸運や奇跡は神様が運んできてくれるものではない、すべて人付き合いが運んできてくれるもの。月間600万PVの人気ブロガー・DJあおいさんが人間関係をめぐるお悩みに切り込む、初のコミュニケーションの教科書『女の人間関係はめんどうなのよ 人付き合いの処方箋』から特別に全21回までお送りします。今回は第16回目です。

■ 嫌いな人はいていいんです

好きな人も嫌いな人もいる。それは人として当然のことです。その気持ちは自由ですし、嫌いな人がいたとしてもその人に対して何もしなければいいんです。行動を禁じても、気持ちは禁じないことが大切です。

嫌いな人がいないのは別にいいことではありません。嫌いな人がいないのは人に興味がないからです。人を嫌うことを自分に許してあげてください。人を嫌うことを禁じると、人に関心を示さないことでしか対応できなくなってしまいます。

誰かを好きになった気持ちを抑圧しようとする人がいますが、そんなことは絶対に不可能です。好きにならないようにしようとすると、余計に好きになってしまうって定番じゃないですか。嫌いな人も同じです。嫌いにならないようにとすればするほど、その人の行動が目につくようになります。

「嫌いな人がいる自分がイヤだ」とか、「こんな自分は性格が悪い」だとか、そういうことはありません。好き嫌いは善悪ではない、ということを覚えておいてください。嫌いな人を無理して好きになろうとしなくても大丈夫。嫌いな人とは礼儀として付き合っていればいいんです。好きでなければ人間関係が築けない、というのなら、そちらのほうが大人として失格だと思いますよ。

それでもどうしても嫌いな人を作りたくないというなら、「嫌いな人」に対して「直してほしい」という期待を捨てましょう。そうすれば、「嫌いな人」は「どうでもいい人」になります。

嫌いなら嫌いなりの付き合い方があります。好きな人としか人間関係を築けないと人生が貧しくなりますよ。

■ 自慢話をする人とそれを不快に感じる人は同レベル

「自慢話は劣等感の裏返し」とよく言われますが、確かに多くは間違っていません。常に周囲の評価を気にしている劣等感から、周囲の評価を高めたいという自己顕示欲が生じるものですから。

しかし、それはそっくりそのまま自慢話を不快に感じる人にも同じことが言えるものなんですよ。自分の劣等感を刺激されたからイライラする。それは「同族嫌悪」というものなんです。

あくまで「自慢」というのは比較対象があってのこと。「あなたよりも私のほうが」という比較があって初めて自慢になるわけです。比較対象のないただの「自己報告」を自慢話だと捉えてしまうのは受け手の問題です。勝手に相手と自分の境遇を比べて自慢だと受け取ってしまうわけです。

もしくはそれがその人が自分に足りないと感じている場所なのでしょう。「あいつは私が足りないものを『自分は持っている』と見せびらかしてくる」と勝手に解釈してしまうのです。

だから、人が何を「自慢話」と捉えるかは分かりません。劣等感の塊のような人には何をしても、何を言っても自慢だと感じるのではないかと、話す側が気を使ってしまいます。どちらにせよ自信のなさが「自慢されている」と受け取ってしまう原因になるわけです。

自慢話をする人ほど自慢話が嫌いです。そして、人の自慢話が嫌いな人ほどそれが自慢にならないように巧妙に自慢話をしていたりするものなんです。

自慢話を不快に感じたら、その人と同レベルだということ。自慢話を封じようとあれこれ考えるよりも、その人の自慢話が気にならないところまで自分を高めるのが賢明です。自慢話を聞いてイライラしているようでは、人としてまだまだ、ということですよ。

著=DJあおい(レタスクラブニュース)

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