ママ友と付き合うための“型”とは? 三浦瑠麗が子育ての悩みに答える

■瑠麗さんに訊け――第5回(全5回)


 著書『私の考え』刊行を記念して、素朴な疑問や人生の悩みを国際政治学者の三浦瑠麗さんにぶつけてみる本企画(瑠麗さんに訊け)、最終回の今回は、教育、子育てをテーマにしてみよう。辛辣と言われることも多いが、現役の「親」としての視点が一貫している瑠麗さんは、同世代の悩みにどう答えるか。

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■家庭のなかに一定の静けさや孤独があることも大事


Q:小学校高学年男子の父親です。仕事柄、家には大量の本があるのですが、子供はそんなものに見向きもせず、ブロックおもちゃ(レゴ)で遊んでいるか、テレビゲームをするか、人のスマホを奪って動画ばかり眺めています。いつかは本に興味を持ってくれるだろうと思っていたのですが、甘かったようです。本に興味を持ってもらうにはどうしたらよいでしょう。
(40代・男性・編集者)

A:本を読むかどうかは、これは個性ですね。

 家の中で、誰かが椅子に座ってじっと本を読んでいる……そんな光景を当たり前のように見て育ってきたかどうかが大事とまでは言えるだろうと思います。ただ、それでも個人差はあります。

 私は5人きょうだいで、父は学者ですし、母も本好きですが、きょうだいは本を読む人と読まない人に分かれました。

 お子さんが好きでもないものを強要したところであまり意味がないだろうと思います。むしろ、あなたが本から得た知識を、彼との対話の中で提供していってあげたらいいんじゃないかな、と思います。ソクラテスは対話を通して、弟子たちをある知的到達点に導こうとしましたが、あなたとの対話で、お子さんが本で得られる広い知の世界に触れることは可能かもしれない。

 人の頭の作りや、ものを考える順序って、案外違うものですよね。コロナ休校でいろんな子供の面倒を見るなかで、そのことにあらためて気づかされました。対話だとみるみる言ったことを吸い込んでいく子が、本を読んでいるかというと、必ずしもそうでなかったりします。じっと考えて一人で結論を出す子もいれば、対話を通じて考える子もいるんです。

 わが家がなぜ読書タイムを重んじるかというと、家庭のなかに一定の静けさや孤独があることも大事だと思うからです。それぞれに本を読んでいたり、新聞を読んでいたりする。静寂の中でおのおのの時間を過ごすことは、一人で生きる力を蓄えることでもあるんじゃないかと思います。

 ふだん、本を読まない人に「何から読み始めたらいいですか?」と聞かれることがあります。わたしは文章にはリズムが大事だと思っています。本を読み慣れない人がつまずくのは、目で読むときの速さが、読み上げられる「音」の速さと一緒だから。リズムが悪いものは当然、読みにくいんだと思います。

 ですから、詩集などは入りやすくていいのではないかと思います。娘が黙読できなかったころ、谷川俊太郎さんの子供向けの詩集を買って一緒に読んであげましたね。


■子供の将来を親が規定してよいのか?


Q:子供の将来を親がどれほど規定してよいものでしょうか? 子供の自主性に任せ、親はある程度のサポートで済ませるのがよいのか、親が自身の価値観で良い方向に導き、最大限の補助をしてやるべきなのか。来年から塾に行かせるべきか、そんなことはしないで公立でよいのか、悩んでいる母親です。
(40代・女性・記者)

A:子供の将来は、いずれにせよ親が規定などできません。そもそも、塾に行こうが行くまいが、公立で頑張ろうが私立に行こうが、人生全体で大きく見れば大した差にはなりません。それよりも、大人になってからのひとつひとつのキャリア判断や、誰をパートナーに迎えるかの方が大きな差になると思いませんか。そして、そこには介入したくても親は介入できないのです。

 けれども、ただひとつ、家庭環境による本当に大きな境遇差というものがあります。子供の生まれ育ちによる差というのは、お金ではなく親の与えた情緒によって出るのだと、わたしは思います。私立か公立かの前に、親が子供に受け渡せる最大のものはそれだからです。

 子供が小さいときには、それぞれの個性はあれど、割合に保育園や幼稚園の集団教育で大きく規定されます。何がやってはいけないことなのか、ルールや道徳心を含めてきちんと教育してくれるからです。しかし、それを超えた部分については、子どもは親が与えた情緒によって大きく伸びもするし、引きずられもします。例えば、親がはしたなく、お金の多寡や容貌、名声で人を格付けする人だと、それは驚くほど子供にうつっていきます。

 保育園の先生などが、お友達のものを取ってしまった子供に、「だめ。そんなことをしたら○○ちゃんは悲しいでしょ? どう思う?」と言い聞かせますよね。規範の型を教えるのが第1段階。子供は禁止と共に相互主義といったルールを覚えます。さらに進んでいくと、相手の気持ちを想像し、自分の気持ちを力ではなく言葉で表現できるようになる。自分の感情を言語化する能力、たくさんのことを感じとり、愛する能力は、親が与えられる最上のものの一つです。

「勝ち気」とか「自己正当化しやすい」とかいった性格は、欠点にもなれば個性にもなります。のちのち、いかようにでも活かしようがあるわけです。しかし、情緒とそうした性格は異なります。

 もちろん、いろいろな親がいると思います。情緒を伝えるにしても、背中で語るタイプもいるでしょうし、表面上は乱暴でも愛情たっぷりな親もいるでしょう。私は語り手として、自分が作るお話を通じて子供に情緒を受け渡すよう努めてきました。だから、親が規定すべきかどうかについてあまりお悩みにならずに、お子さんの情緒をしっかり養ってあげてください。

 うるさがられたとしても、たしなめる、ということも大事だと思います。私は大人には、夫であれ誰であれ、ほとんど介入しないのですが、子供にはきちんと言います。砂糖のような母親でも仕方がないと思うので。


■ママ友と付き合うための“型”とは?


Q:子どもの保育園で一緒のママ友との付き合い方に悩んでいます。子供同士は仲が良いため、一緒に行動することも多いのですが、価値観があまりにも合わないので会話が苦痛です。1児の母である三浦さんはこういった自分と価値観の違うママ友とどのように付き合っていますか?
(40代・女性・デザイナー)

A:価値観が一緒のママ友というのもなかなか難しいと思いますが……わたしは恵まれていて、保育園でのママ友が、別々の小学校に行った後も、娘が小学3年生になった今に到るまでずっと続いているんですね。それは、この人はこういう人なんだ、というのをお互いに認めてあげているからなんだろうと思います。自分を認めてもらうためには、相手のこともそっとしておいてあげるというか。

 まだ慣れぬ相手と一緒に時間を過ごすときの、間の悪さはよく分かります。無用に相鎚を打つ必要はありません。その空間を言葉で埋めなきゃいけないということもないですし、そこまで無理して群れる必要もない。子供が仲が良ければいいわけですから。私は「ハーイ」「バーイ」でいいんじゃないかと思っていました。三浦さんは、ヘンな人だからしょうがないなと思われていたのかもしれませんが。

 ただ、保育園時代ってまだ子供にあれこれ手をかけている時期だから、いろいろなことが気になるんですよね。他の家のしつけの仕方だったり、家でどのくらい食事を手作りしているか、どんなおもちゃを与え、どんな番組を見せているか。そういうところで他の家の「価値観が違う」といらっとすることもあるのかもしれません。

 だから、「人の家のことは人の家のこと」という「型」を作ればいいのかな、と思います。腹に一物も二物も持っているように相手に思われないためには、実際に気にしないようにする自分の「型」を作ってその通りにしていれば、本当に気にならなくなっていくものです。

 子供の前で、「誰々ちゃんの家は何々だから」などと言わないというのも大事です。何か思ったとしても、せいぜい口の端を歪めるくらいに留めておく(笑)。慎みを忘れてそれ以上あけすけに子供に言ってしまうと、相手に伝わるものだと思います。

 あ、ほかのお子さんたちと仲良くする、というのもひとつですね。

 私は人見知りなので、いつも子供たちと仲良くしていましたね。

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 5回に渡ってお送りしてきた「人生相談」もこれで終わりです。

 好評でしたら次回も考えたいと思っておりますので、ぜひぜひ「#瑠麗さんに訊け」で呟いていただけたらありがたい限りです。

三浦瑠麗・著『私の考え』
「人生は一回限り。人間、迷ったら本音を言うしかない」――常に冷静に、建設的な議論を求めるスタンスで言論活動を続けてきた著者が、思うままに本音を語る。「“リベラル”にも女性憎悪は潜んでいる」「『性暴力疑惑』を報じる価値」「政治家が浮気してもいい」「怖がっているだけでは戦争はわからない」「恋は本当に美しいものだから」etc.政治について、孤独について、人生について、誠実に書きとめた思索の軌跡。

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三浦瑠麗(みうら・るり)
1980(昭和55)年神奈川県生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。国際政治学者として各メディアで活躍する。株式会社山猫総合研究所代表。『シビリアンの戦争』『21世紀の戦争と平和』『孤独の意味も、女であることの味わいも』など、著書多数

デイリー新潮編集部

2020年5月30日 掲載

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