「日常的に不愉快」だった実母と同居生活。30代女性が母の“毒”から逃げようと決めた瞬間

「日常的に不愉快」だった実母と同居生活。30代女性が母の“毒”から逃げようと決めた瞬間

親子なら“分かりあえる”などというのは幻想だ。母への憎悪が肥大し家を出た30代女性は今……

母の「毒」はとどまるところを知らない。親子だからわかりあえるなどというのは幻想であり、傷が深くなる前に離れるしかないこともある。


■子どものころから母が苦手だった
「30歳で結婚したものの、なんと相手は元カノと関係が切れてなかった。元カノも既婚者なので、自分も結婚すれば立場が対等になる。そのために結婚した、君には申し訳ないことをしたと言われました」

苦笑しながらそう言うのは、アキナさん(39歳)だ。屈辱的だったが、泣きながら謝る彼を責める気にもなれなかったという。

「まあ、そういうこともあるかもねと。友人たちには寛容すぎると怒られたけど、過ぎてしまったことはしかたがない。私が彼をそういう人間だと見抜けなかったわけだし。彼からは慰謝料として少しお金をもらいました。引っ越さなくてはいけなかったから、それを引っ越し代に当てようと考えていたんです」

そんなとき、実家の父が急逝。母がひとり暮らしになった。アキナさんの姉は遠方で家庭を持っており、「心配だからお母さんと一緒に暮らしてあげてよ」とひっきりなしに連絡が来た。ところがアキナさんは母親が苦手だった。

「過保護だったとか人生を阻害されたとか、そこまでではないんだけど、母と一緒にいると日常的に不愉快なんですよ(笑)。たとえば一緒にどこかに行って、道に迷うとするでしょう。そうすると母はきちんとたどり着けなかった私のせいにするわけ。一緒にいるんだから、あなたのせいでもあるよねと私は思うんですが、私が彼女をリードするものだと思い込んでる。

誰かに道を聞けとしつこく言うから聞いてみると、反対方向だったとしますよね。そうすると『ほうら、やっぱりあんたが間違ってたのよ』と大声を上げて、しかも大笑いするわけです。道に迷って、でも母娘で楽しいよね、みたいに。こっちはさっぱり楽しくないんですけどね」

一事が万事、そういう感じだから、一緒にいて楽しいと思ったことがなかった。

大学に入学すると、彼女はあまり家に帰らなくなった。友人宅を泊まり歩き、母がパートに出ている昼間の時間帯に家に戻り、また出て行った。

そんなアキナさんに、母は特に何も言わなかったという。

「そのころは姉が自宅にいました。母は姉さえいればご機嫌だった。だから私が大学を卒業してしばらくたったころ、姉が結婚して家を出ていくときは大騒ぎでしたね。これからは私にターゲットが移る可能性があると察して、就職して4年目に家を出ました」

それからは年に数回しか実家に立ち寄らなかった。


■ひとり暮らしになった母
父が亡くなってひとりになった母は意気消沈していた。だが、一緒に住んでと言わないところが母の勝ち気なところだ。

「同居してほしいならしてもいいけど、と上から目線で言ってみたら、『別にいいわよ』と。でもその言い方が悲しげで、ついつい『いいよ、するよ』と言ってしまった。そのとき母の目がキラリと光ったんですよ(笑)、本当に。この人は自分から頼むことができないんだ、何があっても私が同居したがったことにしたいんだなと察しました」

それが33歳のときだった。母はまだ60代前半。持病もなく元気だったのに、同居したとたん、彼女を夫のように頼るようになった。

「パートは続けていたんです。でも私が帰ると、宅配便の不在票が置いてある。再配達を自分で頼まないわけ。父がいたころは自分でやっていたはずです。でもやらなくなった。自分でやればいいじゃないと言ったら、『この家の責任者はあんたでしょ』って。なにそれという感じ。

それなのに、あるとき私がイチゴジャムを作ったら、『イマイチ』と斬り捨てた。おいしかったんですよ、友人も褒めてくれたくらい。だけどイチゴジャムは、実は母が昔から得意にしていたものだから、私が作ったことじたいが嫌だったんでしょう」

挙句、母のわがままにアキナさんが思わず大きな声を出すと、母は急に「あんた、もっと冷静になりなさいよ、そんな大声出さなくたって聞こえるわよ」と言い出す。イライラさせるから大声になるのに、それをあざ笑うような言い方をするのだ。

「もしかしたら認知症でもあるんじゃないかと思ったんです。たまたま、母が頭痛がすると病院に行ったらMRIを撮ることになった。思わず主治医に会って、認知症とか大丈夫ですかと聞いたら、『まったく兆候もありません。いい脳をしてますよ』と。ということは、すべて彼女の性格のなせるわざ。それを聞いて、もう無理、一緒にはいられないと思いました」

それでも、自分がいなくなったら母は寂しがるかもしれないとしばらくは我慢していた。しかし3年前、コロナ禍でも仕事に行かざるを得ないアキナさんに、母は「感染して、私にうつさないでよ」と言い放った。

「こっちは仕事ですよ。それを聞いて、その日のうちに内見、部屋を決めてきました。帰宅して感染させると悪いから家を出ると言うと、母が泣き出して……。でももう決めたからと引っ越しました。母の家からは1時間ほどの距離。物理的に離れてホッとしました」

姉からは苦情が来たが、「私には無理。母娘の間で事件が起こる前に離れてよかったと思って」と伝えた。

姉は頻繁に母と連絡をとっているようだ。もしどうしても具合が悪いとか緊急事態だとかいうときは、「私が見に行くから」と話してある。

「相性が悪い。一言で言うとそういうことだと思います。この年になって無理して自分を殺して合わせる必要はない。あのままだったら本当にいつか母を突き飛ばしたり手を上げてしまったり、あるいは私自身がメンタルをやられてしまったと思う」

今は精神的に穏やかで楽しい「ソロ生活」を送っていると、アキナさんはにっこり笑った。母娘の齟齬や葛藤は、一緒にいればいるほどエスカレートしがちだ。ぎりぎりのところで離れたアキナさんの判断は正しかったのではないだろうか。

▼亀山 早苗プロフィールフリーライター。明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。
(文:亀山 早苗(恋愛ガイド))

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