見過ごせない菅官房長官の「南スーダンは極めて安全な状況」発言…政府全体を覆う隠蔽体質を許すな

見過ごせない菅官房長官の「南スーダンは極めて安全な状況」発言…政府全体を覆う隠蔽体質を許すな

記者会見で答える菅官房長官(画像は首相官邸HP)

 陸上自衛隊のPKO部隊の日報を隠蔽していた問題で、特別防衛監察の結果が公表され、稲田朋美防衛相や防衛省の黒江哲郎事務次官、陸上自衛隊の岡部俊哉陸上幕僚長ら防衛省・自衛隊のトップ3人が辞任した。

●日報問題だけではない稲田氏の問題言動

 特別防衛監察の結果でも、稲田氏と陸自側の主張が違っていることに加え、辞任を表明する記者会見での、「総理は、かねてから私の正直な気持ちをお伝えして相談していた」という稲田氏の発言が、議論を呼んでいる。進退を相談するのであれば、その原因である自衛隊での日報隠蔽について話題にならないわけがないだろう。ところが安倍晋三首相は、7月24日の閉会中審査で、この問題について「まだ報告を受けていない」と明言。稲田発言と総理答弁は矛盾しているのではないか、との疑問が湧く。

 稲田氏を巡る批判は、日報隠蔽問題だけではない。森友学園問題では、事実と異なる国会答弁を行って謝罪し、都議選で自民党候補の応援を行った際には「防衛省、自衛隊、防衛大臣としてもお願いしたい」と発言。九州豪雨の際には、最大5,000人規模で自衛隊員が救助活動に励む中、稲田氏は公務外の「勉強会」に出掛けるなど政務三役がすべて役所を不在にしていたことも問題視された。そのほか、日米首脳によるハワイ・真珠湾で慰霊に同行した直後に靖国神社を参拝して物議を醸し、他の議員の政治資金パーティーに出席した際に白紙の領収をもらって金額を後から事務所で記載した件や、ハイヒールで護衛艦を視察するなど、時と場所をわきまえないファッションでもしばしば話題になった。

 安倍首相は、稲田氏辞任の後、「閣僚の任命責任はすべて総理大臣たる私にある」といつもの台詞を述べて謝罪した。しかし、こと稲田氏に関しては、防衛大臣として不適格な者を任命した責任にとどまらない。いくつもの問題が指摘され、さまざまな方面から「その任にあらず」と言われてきたにもかかわらず、彼女を防衛相の座に留めていた責任は軽くない。

 この時期まで引き延ばした結果、稲田氏ら防衛省・自衛隊のトップ3人が辞任したその夜に、北朝鮮がミサイル発射実験を行うという最悪のタイミングとなった。朝鮮戦争の休戦協定が締結された7月27日を「戦勝記念日」としている北朝鮮が、この日の前後にミサイル発射を行うのではないかと、前々から言われてきたもので、何も不意を突かれたわけではない。

 安倍首相はこれまで、「我が国を取り巻く安全保障環境は、一層厳しさを増しております」と繰り返し、憲法違反との指摘を受けながらも安保法制を強行採決した。しかし、稲田氏を防衛相に置き続けていた安倍首相自身の「安全保障環境」に関する認識こそが、もっとも問われなければならないのではないか。

●南スーダンは「極めて安全な状況」!?

 ところで、この日、私が一番驚いたのは、菅義偉官房長官の記者会見での言葉だった。

 日本テレビの記者が、「そもそも、南スーダンの現状について、一貫して『戦闘ではなく武力衝突』とする政府の答弁と、現場の感覚が乖離していたことが、一連の問題の根源なのではないかとの指摘があるが、どうか」と問うたのに、菅氏は次のように答えたのだった。

「そこはなかったと思いますよ。現に、南スーダンに派遣されたのは施設部隊である。道路等のそうしたこと(=整備)に従事していたんじゃなかったでしょうか。そして、極めて安全な状況の中で、PKO部隊として責務を果たして、大変感謝されていた。そういう事実だと思います」

「極めて安全な状況」には驚がくした。加えて、メディアがこの菅発言を大きな問題としてとらえていないのも、意外だった。

 ここで話題になっている時期は、南スーダンPKOの初めの頃の話ではない。公開された日報で「戦闘」という言葉が何度も出てくる昨年7月以降の状況だ。政府は「戦闘」という言葉を避け、「武力衝突」と言い続けてきたその時期に、何があったのか。

 今年5月28日に放送されたNHKスペシャル『変貌するPKO 現場からの報告』では、日報に「戦闘」があったと記載された日に何があったのか、当時現場にいた自衛隊員の証言と映像、南スーダンの軍関係者、他国のPKO部隊への取材で伝えていた。

 それによると、道路整備の現場に行くまでの間で、戦闘が行われているとの情報があり、隊長の判断で活動を中止。その後、政府軍と反政府軍の戦闘は、自衛隊の宿営地を挟んで行われた。宿営地から、銃弾が飛ぶ軌跡が見えた、と隊員は証言している。政府軍の戦車が反撃。これには「本当にやばいと思いました」と自衛隊員は語った。銃弾は宿営地の監視塔を直撃し、倉庫や給水塔にも貫通。隊員たちは防弾チョッキとヘルメットを着用して建物内に籠もったが、死を覚悟した者も少なくなかったようだ。ある隊員は「最後に見るのは故郷の景色でありたい」と実家の写真を取りだして見つめ、ある者は震える手で、「今日が私の命日になるかもしれない」などと手帳に家族に向けてのメッセージを書いた。

 これが、「極めて安全な状況」とは……。

 外務省は、昨年7月11日に南スーダンの首都ジュバの海外安全情報(危険情報)を「レベル3(渡航中止勧告)」から「レベル4(避難勧告)」に引き揚げている。地図ではこの国全土が、最高の危険度を示す真っ赤に塗られている。

 いったいどこが「極めて安全」なのか?

●政府は国民に現実を語れ

 日報の隠蔽を巡っては、特別防衛監察の結果公表の前に、陸自サイドの主張に沿うような情報が漏れたことなどが、シビリアン・コントロール(文民統制)の点で懸念すべきとの指摘もある。そうなったのは、一人稲田氏だけの問題ではなく、今回の菅発言のように、政府の国民に対する発信が、現場の状況とあまりにもかけ離れているために、現場の自衛隊員の不信を招いたせいではないのか。

 日本で国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(PKO法)が成立したのは1992年。この時に「紛争当事者の間で停戦合意が成立していること」「中立的立場を厳守すること」などの5原則が定められた。

 外務省のホームページでは、憲法との関連について、こう書かれている。

「我が国が国連PKOに参加する場合においては、武器使用は要員の生命等の防護のための必要最小限のものに限られています。また停戦合意が破れた場合には我が国部隊は業務を中断、撤収することができる等のいわゆる参加5原則という前提を設けており、我が国が憲法で禁じた武力行使を行うことはなく、憲法に反するものではありません」

 しかし、PKO法ができた当時と、PKOの姿は大きく変わっている。1994年にルワンダで、当事者間の停戦合意が失われたためにPKO部隊が撤退した後、多くの人々が虐殺されたことが批判され、以後住民保護がPKOの任務となってからだ。さらに1999年には、コフィ・アナン事務総長が、国連自体が紛争当事者になることを前提にした告示を発表。これによりPKO部隊は、中立の立場を捨て、紛争当事者となっても住民保護をしなければならないことになった。

 先の『NHKスペシャル』によれば、今回の南スーダンでも、住民たちはPKO部隊に助けを求めた。中国軍が駐屯していた宿営地には2,000人の避難民が押し寄せ、中に反政府ゲリラが紛れ込み、宿営地にロケット砲を打ち込んで中国兵2人が死亡。また、自衛隊と同じ宿営地区に駐屯するルワンダ隊が、避難民約5,000人を受け入れた。ところが、その中にも反政府ゲリラの幹部が紛れ込んでいた。政府軍がルワンダ隊を攻撃し、負傷者が出て、隣のバングラディシュ軍が応戦する事態になった。自衛隊宿営地の前にも避難民は流れ込んできた、という。

 こうした厳しい現実を前提に、私たちはPKO法をどうするのか、日本は今後も自衛隊をPKOに送り出すのかを議論しなければならない。にもかかわらず、もっとも情報を持っている政府が、今回のPKO部隊が置かれた状況を「極めて安全」などと、実際とは異なる情報を国民に向けて発信しているようでは話にならないのではないか。

 しかも、NHKは何度も現地の部隊の取材を申し込んだが、ことごとく断られた、という。

 主権者である国民には、正確な情報を伝えられなければならない。これはもう、民主主義が健全に機能するための基本だろう。政府全体を覆っている隠蔽体質を、猛省してほしい。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)

関連記事(外部サイト)