高給な人件費に潰されるみずほ銀行…経営統合失敗で従業員4分の1を削減

高給な人件費に潰されるみずほ銀行…経営統合失敗で従業員4分の1を削減

みずほ銀行(「wikipedia」より)

 マイナス金利政策による利ザヤ縮小やIT(情報技術)による効率化を背景に、3メガバンクは経営統合以来の大リストラ策を打ち出した。みずほフィナンシャルグループ(FG)は1万9000人、三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)は9500人、三井住友FGは4000人――。

 3メガバンクは2017年末、相次いで人員や業務量の削減目標をまとめた。3社合計で3万2500人の大リストラである。この数字が新聞を賑わし、銀行業界が「構造不況業種」に転落したことを告げていた。

 3メガバンクグループの17年9月期中間決算は業績の濃淡が鮮明になった。

 本業の儲けを示す業務純益(一般事業会社の営業利益に相当)は、MUFGが前年同期比3.4%減の7007億円、三井住友FGが9.7%増の6013億円、みずほFGが40.1%減の2416億円。最終利益はMUFGが27.8%増の6269億円、三井住友FGが17.0%増の4201億円、みずほFGは11.5%減の3166億円だった。

 取引先の経営改善による「戻り益」はMUFGが647億円、三井住友FGが254億円あり、最終利益を押し上げた。しかし、みずほFGは1235億円の「戻り益」がありながら、最終減益となった。みずほFGの一人負けである。

 事業の柱である国内の銀行業務は、日本銀行の超低金利政策の直撃を受けた。預金者に払う金利はゼロに近付き、コストは低いが、一方で住宅ローンや企業融資での低金利競争が続き、貸出金利と預金金利の差の「利ざや」が縮小した。

 3グループの主力銀行の利ざやは、みずほFGが0.86%、MUFGが0.85%、三井住友FGが1.03%に縮小した。貸出残高も大きく伸びず、貸し出しに関する収益の状況は厳しい。

 それなのに、高給の銀行員を多数抱え、駅前の一等地にある支店の維持コストも大きい。経費率はMUFGの60.1%、三井住友FGの56.9%に対して、みずほFGは72.6%と突出して高い。

 民間から資金を集めて大企業に貸し出すというメガバンクのビジネスモデルが成り立たなくなってきた。高度成長が終わった大企業は、資金を必要としなくなったからだ。

 かくしてメガバンクは大リストラに踏み出した。コスト高な銀行ほどリストラは大規模になる。

 もっとも踏み込んだのがみずほFGだった。26年度までにパートを含む従業員数の4分の1を減らす計画。ターゲットはバブル期の大量採用組だ。国内拠点も24年度までに全体の2割にあたる100拠点を減らす。構造改革で1000億円半ばの経費を抑制。3メガバンクの中でとび抜けて高くなっているコスト構造を変え、稼ぐ力の復活を目指す。

●みずほFGは派閥抗争に明け暮れた

 みずほFGは2000年に富士銀行と第一勧業銀行、日本興業銀行が合併して誕生した。これまでも、最大手のMUFGの背中は遠かったが、二番手の三井住友FGに追いつき追い越せでやってきた。だが、今や三井住友FGにも大差をつけられた。

 理由ははっきりしている。みずほFGの足跡は、3行による派閥抗争の歴史だったからである。みずほFGは3行の融和を優先させたため、持ち株会社のみずほFGの傘下に、みずほ銀行(BK)とみずほコーポレート銀行(CB)を置く「3トップ、2バンク」という、世界の金融機関では例を見ない、珍種のメガバンクとなった。

 派閥地図を塗り替えたのはBKで起きた2度にわたる大規模なシステム障害だ。1回目は02年4月。BKはシステム統合に失敗した。統合の主導権を握った第一勧業銀行が、自行のシステムをゴリ押ししたことが原因とされた。富士銀行と日本興業銀行が手を組んで第一勧銀を追い落とした。現在、第一勧銀が主導権争いに加われないのは、このためだ。第一勧銀が脱落し、富士銀と興銀の対決となった。

 富士銀を率いてきたのが、みずほFG社長・会長だった前田晃伸氏だ。興銀はCBの頭取・会長を務めた齊藤宏氏。テレビ局の女性記者との路上キスで写真週刊誌のターゲットとなった。ここまでは持ち株会社を拠点とする富士銀出身者が優勢だった。

 2回目のBKのシステム障害は、東日本大震災直後の11年3月。BK頭取である富士銀出身の西堀利氏が引責辞任に追い込まれた。この時は興銀と第一勧銀が手を組んだといわれた。BKの2度にわたるシステム障害が、3トップ、2バンク体制を崩壊させた。

 富士銀勢がシステム障害で勢いを失い、主導権を握ったのが興銀出身者だ。13年7月、CBとBKが合併して、新みずほ銀行が誕生した。興銀出身の佐藤康博氏が持ち株会社と中核銀行のトップを兼ねるワントップ、ワンバンク体制に移行した。

 もともと、興銀、富士銀、第一勧銀の出身者の派閥があるのに、さらに元BK、元CBという新しい派閥が加わった。ワンバンクどころか5つの派閥に分裂したことになる。しかも、3つあったトップのポストは2つに減ったわけで、人事抗争が激化したのは当然の成り行きといえる。

 派閥抗争でガバナンス(企業統治)が機能しなかった。これが、みずほFGが1人負けした最大の原因である。

●MUFGは旧三菱銀行が経営権を握る

 MUFGは2005年、三菱銀行と東京銀行を母体とする三菱東京FGが、三和銀行と東海銀行が統合したUFJグループを救済合併して発足した。

 持ち株会社のMUFGの社長と傘下の三菱東京UFJ銀行(BTMU)の頭取は三菱銀行出身者が独占してきた。合併を重ねても、終始、三菱銀行出身者が経営の主導権を握ってきた。ガバナンスが機能したことが、MUFGがメガバンクの勝ち組になった最大の理由である。

 ところが、近年、鉄の団結を誇ってきたMUFGに綻びが生じたと映る出来事が相次いだ。

 17年5月24日、MUFG傘下のBTMUの小山田隆頭取の退任が発表された。16年4月に頭取に就任したばかりで、1年での退任は極めて異例。退任をめぐって、さまざまな情報が飛び交った。平野信行会長と永易克典相談役の対立の板挟みで小山田頭取が苦労していたとの証言がある。

 新しい頭取になった三毛兼承副頭取は、17年3月決算に合わせてグループ証券会社の社長含みで副社長として転出することが内定していた。この人事が急遽、白紙に戻され「次の次の頭取候補まで決まっている」と評されるBTMUで、終わった人(銀行から出る人)が頭取になった。長い歴史で初めてのことである。

「週刊ダイヤモンド」(ダイヤモンド社/17年7月29日号)によると、BTMUが誕生して以降の頭取は三菱銀行出身者が独占。9階に個室を持つ特別顧問も全員が三菱銀行出身。三和銀行出身など外様の特別顧問は旧東京銀行本店の日本橋別館に追いやられているという。9階の権力者と、平野会長が行名変更で対立した。

「5月に発表されたBTMUの行名変更をめぐって、平野会長は「MUFG銀行」にする方針だったが、「三菱」の名前を外すことにOB会が大反発。結局、「東京」を外して「三菱UFJ銀行」に変更することで落ち着いた」(同誌より)

“三菱ファースト”のOBたちは「三菱」の冠に固執した。将来、UFJも消して「三菱銀行」に戻すことが狙いではないかと見る向きも多い。

 抗争の根柢には平野氏が、金融庁の進める、相談役の仕事内容や個別報酬の開示をテコに、永易氏ら相談役の影響力の排除を狙っていたという見方がある。OBたちは猛烈な巻き返しに出た。平野氏と永易氏の対立が激化し、その板挟みで、小山田氏が辞任に追い込まれたというわけだ。相談役・顧問の「院政」パワーをまざまざと見せつけた。

もうひとつは、MUFG傘下の三菱信託銀行の議決権行使だ。17年6月22日に、同じ三菱グループである三菱自動車が開催した株主総会において、会社側が提案した取締役11人中5人の人事案に「NO」を突き付けた。

 反対票を投じた5人の中には、社外取締役の候補者だった三菱重工業の宮永俊一社長と三菱商事の小林健会長も含まれていた。三菱グループの御三家の首脳陣を、いずれも「独立性の観点から問題がある」とした。三菱グループでは前代未聞の出来事である。

 MUFG銀行への社名変更問題、三菱UFJ信託の議決権行使問題。固い結束力を誇ってきた三菱グループだが、今後は外に開かれたグローバル企業に脱皮しなければ生き残れないという危機感が深い亀裂を生んだといえる。

 その姿は、構造不況業種と化した銀行業の苦悩を映し出している。
(文=編集部)

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