「ぼっち」でいじめられていた少女が“三浦瑠麗”になるまで

「ぼっち」でいじめられていた少女が“三浦瑠麗”になるまで

三浦瑠麗さん ©榎本麻美/文藝春秋

 国際政治学者、三浦瑠麗さん。1980年生まれの彼女の発する言葉は常に注目の的だ。「ワイドナショー」でのスリーパーセルに関する発言で“炎上”したのも記憶に新しいが、良くも悪くも大衆の感情を刺激する影響力を持った人物だということだろう。東大卒の美女で絵に描いたようなエリートコースを歩んできた──と思いきや、子どもの頃に受けたいじめ、「ぼっち」だった学生時代、東大も当初進学したのは農学部と、意外にも遠回りしたり、少数派に身を置いたりしながら現在に至ったのだという。三浦さんの国際政治学者としての思想を形づくったバックグラウンドに迫る。

■近畿財務局職員の自殺をめぐる炎上発言騒動の真意

──国会は森友学園問題をめぐって紛糾しています。先日、近畿財務局の50代の職員が自殺するという痛ましい出来事がありました。このとき、三浦さんはテレビで「人が死ぬほどの問題じゃない」と発言して……。

三浦 炎上してましたね。あれはTwitterで一部が切り取られ、拡散しました。全文をお聞きいただければ分かると思うのですが、「財務省は、早く改ざんを認めて謝罪しようよ」ということを官僚のみなさんに伝えたかったんです。「早くごめんなさいをしないと、現場で弱い立場に置かれている人が追い詰められてしまうよ。この不祥事は人が死ななければいけないような問題ではないのに」という意味でした。どこかで隠ぺいをストップしないと。

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 三浦さんの「みんなのニュース」(フジテレビ系)での実際の発言は以下の通り。
「最初は本当に小さな事件から始まったことが人死にを出したということですけれども、私がやっぱり気になるのは、書き換えに関しては明確な答弁はしていないんですね。そうした時に、本当に官僚としてはしっかり事実を出すと。出すところは出したうえで、責任者は処分する部分は処分するかもしれませんけれども、本当にこの問題というのは、人が死ぬほどの問題じゃないんですよ。ということを、やはりみなさんに対してお伝えしたいなと思います」

 これに対し、元朝日新聞特別編集委員の冨永格氏が「人が死ぬほどの問題じゃない」という部分に対し、Twitterで「ご遺族の前で同じことを言えるのか」と批判するなどの議論を呼んだ。番組出演前、三浦さんは職員の訃報に対し、「痛ましいことです。書き換えなどの真相を明らかにすべきとは思いますが、誰かが自らの命を絶つことはありません。不祥事だからといって自殺しなければならないほどのことなんて世の中にはないのです」とTwitterに投稿していた。

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■視聴者に受け入れられやすい女性の話し方

──なぜ三浦さんの発言は時に炎上を招いてしまうと思われますか。

三浦 うーん。普段から、三浦は上から目線でものを言うと感じている男性が多いようですね。それが許せる人と、許せない人がいる気がします。私は、確かにわりとはっきりものを言います。俯瞰した立場から論理を組み立てて、合理的な話し方をするほうです。正直、特定の陣営に属さない個人、しかも女性がものを言うことへの強烈な違和感が一部にあるんだと思います。ただ、私自身の経験では、反発されるのは日本でだけ。米欧でも、あるいはインドや中国の人と議論しても、そういうふうにはなりません。

 女性の専門家や評論家がテレビに出て話をするときに、視聴者に受け入れられやすい話し方というある種の型がある気がします。たとえば「私が国連事務総長の○○さんに伺ったところでは……」とまず権威のある人の知見を述べてから自分の意見を補足するといったやり方です。私もそういう話し方を少し真似すればよいのかもしれませんが、自分ではしませんので。

「三浦は冷酷な人間だ」「嫌いだ」と感じる人が、2015年に新書( 『日本に絶望している人のための政治入門』 )を出させていただいてから今までの間に増えたことは確かです。それまでとそれ以後とで私の属性は変わっていないので、何が変わったかといったら、基本的には知名度と、人が私の言説に触れる機会が増えたということだと思います。

──昨年の10月、「朝日新聞デジタル」で 三浦さんが山尾志桜里さんの衆院選の街頭演説をルポ したことがありました。そこで、記者が「保守派の論客とされる三浦さんは、山尾さんの街頭演説をどう聴きましたか」と質問したときに、三浦さんは「私は自由と進歩を信じているので保守ではないんですね」と答えて、これもまた論議を呼びました。

三浦 たぶん私の立ち位置が、あまりない組み合わせなんだと思います。社会政策はリベラルで、私個人の属性は女性で、LGBTの権利拡大を推す立場を取っている。同時に、安保政策については抑制的なリアリストで、国家にまつわることについてはナショナリスト的な部分も持っている。その組み合わせ自体が従来の枠組みではあり得ないと日本では思われているから、誤解が生じやすいのかもしれません。

■なぜ特異な立ち位置に存在しているのか?

──三浦さんは、処女作 『シビリアンの戦争』 の頃から徴兵制を提案し、憲法9条についても改憲を恐れるべきではなく、9条2項を削除し、シビリアン・コントロール下に位置付けるべきと明言してきています。そうしたことから「保守派の論客」という見方をされ、安倍政権と三浦さんを重ね合わせる人もいる一方で、安倍首相と親しいジャーナリストの山口敬之氏による性被害を訴えた伊藤詩織さんの 『Black Box』 に、三浦さんは深い共感を寄せ、「鋼の強さ、誰にも殺せない感受性、娘をこのように育てたいと思いました」とコメントを寄せています。

三浦 私個人は何も変わっていません。自分の頭で考え、感じたこと、考えたことに忠実に発言しているだけです。でも、私の立ち位置が今までになかったものだったから、従来の対立構図には収まらないんだと思います。それはきっと、私が日本というものを分かっていないからなんでしょうね。こういう言説はこっち側の陣営に属し、その場合は「反○○」という立場を取って、定食メニューのような特定の政策の組み合わせを主張しないとおかしい、という暗黙の了解の中に収まらず、常に枠から飛び出してきてしまう。

 それは私が日本の集団生活というものに馴染んでこなかったこと、いわゆる「ぼっち」だったことと関係しているかもしれません。社会というものに染まれずにずっと生きてきたので、誰が敵で誰が味方かという構図に疎いし、それに器用に合わせて生き抜く術を知らないのだと思います。一人でお昼を食べることは最初は寂しかったかもしれないけど、そのうちそれが当たり前になってしまって、他の人と食べるやり方もわからなくなってしまった、みたいな。

■服装やメガネ、浮いていること自体がいじめの原因に

──「ぼっち飯」を苦痛なく食べられるように京都大学の学食に「ぼっち席」が導入されたとニュースになってから5年近くが経ちますが、三浦さんも「ぼっち飯」だったんですか?

三浦 そうですね。だから人前で食べることがかえって苦しかった時代がありました。高校時代、学校の近くにモスバーガーがあって、陸上部の部活の帰りに部員同士で寄ることもあったんです。でも、ハンバーガーの数センチの厚みまで口が開けられなかったですね。

──えっ。口が開かない?

三浦 小さい頃から外食をほとんどしなかったので、ハンバーガーの食べ方がよくわからない。人前で口を開くことすらいやでした。小学校高学年からいじめも始まったので、給食などのタイミングで人と一緒にいる必然性がなかったですね。

──いじめというのは女子からですか? 男子からですか?

三浦 最初は女子ですね。服装やメガネや、あるいは浮いていること自体について……私は家の教育方針でテレビを見たことがほとんどありませんでしたから。両親は学生結婚をして、母は22歳のときに最初の子供を産んで、5人の子供を育てながらずっと専業主婦をしてきました。世間知らずのまま親になったという感じだったんでしょうね。教育方針は割と極端だった。私は3番目なんですが、特に上の3人は本当に厳しく育てられました。

 洋服は、一言でいえば、今風ではなかった。キャラクター物も持っていませんでしたし、ちょっと時代錯誤的な洋服や、生活協同クラブで共同購入した色違いの無地のTシャツ3枚組みたいなものを着ていました。

■お姫様ごっこができなかった少女時代

──メガネは小学校の頃からかけていたんですか。

三浦 私は3歳のころからすでに視力が0.1しかなかったので、小・中とずっとメガネをかけていました。子供のころは、基本、人と話さずに童話の世界にのめり込んでいました。小学校から家まで見渡せるくらいの田んぼ道だったので、ずっと本を読みながら帰っていました。『ナルニア国物語』とか『指輪物語』といったファンタジーや『赤毛のアン』に没頭していましたね。

 父がまだ東大の助手のときに子供が5人になりまして、私は大学院の終わり頃の子供ですが、その後も防大の教員で公務員でしたから、子沢山である以上は節約が基本でした。機械音の出るようなおもちゃを買ってもらったことなんてありませんでした。泥団子を作ったり、作物を育ててチャボの世話をしたり、社会主義の村みたいな幼少期だったかもしれないですね(笑)。

 お姫様ごっこのような衣装にも憧れたけれど、そういうことはうちでは出来なかったです。だから、親戚がバービー人形をお土産に持ってきてくれたときの嬉しさたるやなかったですね(笑)。本に没頭したのも、図書館があって、そこに行けば本がタダで読めて、自分を楽しませてくれるものが無尽蔵にあるように思えたからなんだと思います。

■異質だからはじき出されて、ずっと本を読んでいた

──お勉強ができたということで、教師からは可愛がられたりしなかったんですか。

三浦 特別視はされていたと思います。百人一首などもすぐに覚えるし……でも、異質なものとして認識されていたんじゃないでしょうか。やっぱり、教師って明るくって単純な「子供らしい子供」が好きなんだと思うんです。よく「他の子ともっと仲良くしなさい」と言われましたけど、ちょっと扱いづらい、面倒くさい子供だと思われていたんじゃないかと思います。

 高校生くらいになると、無視のされ方も変わってきますが、私の原体験というのは、異質だからはじき出される、だったら一人で居よう。一人で居たらもっと本を読む、もっと頭でっかちになる……その繰り返しの中で「一人で居る」ことを学んだということにあると思います。

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※三浦瑠麗が語る「感動の涙を醜いと思ってた」中学時代──国際政治学者・三浦瑠麗さんインタビュー ♯2に続く  http://bunshun.jp/articles/-/6816

三浦瑠麗(みうら・るり)

国際政治学者。1980年神奈川県生まれ。東京大学農学部卒業。東京大学公共政策大学院修了。東京大学大学院法学政治学研究科修了。博士(法学)。専門は国際政治。現在、東京大学政策ビジョン研究センター講師。主著に 『シビリアンの戦争』 (岩波書店)、 『「トランプ時代」の新世界秩序』 (潮新書)、 『日本に絶望している人のための政治入門』 (文春新書)、 『国民国家のリアリズム』 (角川新書、共著)。2017年12月、第18回正論新風賞を受賞。

(「文春オンライン」編集部)

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