東大野球部出身の神童は、大人になってどうなったのか?

東大野球部出身の神童は、大人になってどうなったのか?

2016年、東大野球部時代の宮台康平選手 ©文藝春秋

 8月23日、日本ハムの宮台康平投手は、福岡ソフトバンク戦でプロ初登板初先発した。

 宮台は神奈川県立湘南高校から東京大学文科T類(法学部)に進み、同大学の野球部エースとして活躍した(6勝13敗)。2017年のドラフト会議で日本ハムからドラフト7位指名され、宮台は東京大出身者として6人目のプロ野球選手となった。

 東大野球部出身は企業から引く手あまたである。「頭が良い」プラス体力と忍耐強さはビジネスの世界で間違いなく活躍してくれる。東大野球部神童はのどから手が出るほどほしい逸材だ。

■東大野球部OBが多い“あの会社”

 東大野球部神童は卒業後、どのようなところで活躍しているだろうか。

 野球部のウェブサイトには1998年以降、当時4年生だった部員の進路が掲載されている。2004年から2018年までの15年分の進路を集計して、ランキングを作ってみた。

1位 三菱商事 8人
2位 三井不動産、住友商事、全日本空輸 4人
5位 伊藤忠商事、日本航空、日本生命 3人
8位 NHK、TBSテレビ、JR東日本、トヨタ自動車、野村證券、みずほ銀行、三菱地所 2人
(それぞれの年ごとに就職した4年生の進路を集計。原則として選手のみ)

 東大野球部神童は商社が大好きなようだ。

 なかでも三菱商事とは代々、相性がやたら良い。東大野球部三菱商事神童を紹介しよう(以下カッコ内は卒業年)。

 御手洗健治(1975年)は都立戸山高校出身。2010年〜2012年、東大野球部の監督をつとめていたが、なかなか勝利に恵まれず、東大94連敗の歴史的敗北記録のスタートを切ってしまった。

 太田俊明(1977年)は、社内プロジェクトとしてパリ−モスクワ−北京ラリーに関わるなどの一方で、高校野球をテーマとした『白色の残像』を坂本光一名義で著している。同作は、第34回江戸川乱歩賞を受賞した。

 2013年、太田は東京メトロポリタンテレビジョンを定年退職し小説の執筆を再開する。16年『姥捨て山繁盛記』で第8回日経小説大賞を受賞する。

 山田聡(2008年)は北海道札幌南高校出身。自動車事業本部でロシア、カザフスタン、キルギスなどの自動車輸出に関わった。ペンシルベニア大学ビジネススクール(ウォートンスクール)でMBAを取得しており、出世街道をひた走る。

 三菱商事の内定を蹴ってプロ野球選手になったのが、元中日ドラゴンズの井手峻(1967年)だ。都立新宿高校出身。中日からドラフトで指名を受けてプロ野球選手となった。プロ生活は東大出身選手としては最長の10年間(実働8年)で公式試合出場回数ももっとも多い。通算成績は1勝、1ホームラン。引退後は中日球団の取締役となった。

■マスコミにも強い東大野球部

 東大野球部はNHKから愛されているようだ。

 もっとも有名なのが、大越健介(1985年)である。新潟県立新潟高校出身。東大では通算8勝を数えるほどのエースとなり、日米大学野球選手権大会の日本代表にまでなった。東大から初めての選出である。

 NHKでは2010年から5年間、『ニュースウオッチ9』のキャスターをつとめており、お茶の間にすっかり浸透した。同番組でときおり、東大野球部出身自慢をする。今年4月から、『サンデースポーツ2020』に出演して、後輩、宮台康平の活躍に目を細めている。

 NHK大阪放送局副局長、松江放送局長を歴任した國友充範(1982年)は、東大野球部がやたら強かったころ、左腕として活躍していた。滋賀県立虎姫高校出身。

 1981年春のリーグ戦で、東大は慶應と早稲田から勝ち点をもぎ取り、法政にも1勝しており、この時点で5勝2敗という信じられないような好成績だった。次の立教大に勝てば優勝の目はあったが、惜敗する。最終的に6勝7敗で4位となるが、いまでも史上最強だったと言われている。このとき、國友は早稲田を完封しており、東大快進撃の一翼を担った。

 現在は、NHK グローバルメディアサービスに勤務する。

 NHK政治部記者で総理番を担当した成澤良(2004年)は、新潟県立新潟高校で大越健介の後輩にあたる。2009年、民主党政権交代直後の鳩山由紀夫総理に張り付いていた。そのときの様子をNHKのウェブサイトがこう伝えている。

「成澤記者が今も忘れられない事件が起きました。鳩山総理は会談を終え国会内のエレベーターに乗る直前、総理番の方を見ながらみずからの親指を立てるジェスチャーをしたのです。『親指、立てなかった?』、各社の総理番は口々にささやき合いましたが意味はまったく分からなかったそうです。その後、鳩山総理は、小沢幹事長らとの会談のなかで、みずからの辞意を伝えたうえで、小沢氏にも幹事長を辞めるよう求め了解を取り付けていたことが分かりました。親指は自分の意向が通ったことを示すものだったのです」(「政治マガジン」2016年11月1日)

■NHKアナが涙した「試合前ノックで甲子園の土を踏んだとき」

 NHKアナウンサー中村信博(2012年)は香川県立高松高校時代、甲子園出場経験がある。2005年春の選抜大会で同校が21世紀枠で出場したときのことだ。中村はNHKのウェブサイトでこう振り返る。

「私は控え選手で、試合には出られませんでしたが、試合前ノックで甲子園の土を踏みました。涙が出るほど嬉しかったです。甲子園は、スタンドよりグラウンドに立った時の方が大きく感じます。観客席が高く、聳え立つ壁のようです。また、浜風が強く、フライは上空でゆらゆらと揺れます。選手たちは何気なく捕っていますが、とても凄いことなんだと実感しました。放送の際は、敬意を込めて実況したいです」

 NHK記者から政治家に転身したのが井出庸生だ(2002年、いで・ようせい)。私立武蔵高校出身。東大野球部では主将をつとめた。祖父は元内閣官房長官の井出一太郎で、2012年に国会議員となる。維新の党、民進党、希望の党と政党を渡り歩くが、現在は国民民主党には属さず、無所属議員で通している。

 井出の民進党、希望の党時代に、東大野球部の先輩がいた。階猛(1991年、しな・たけし)である。日本長期信用銀行を経て政界に打って出る。現在は国民民主党におさまった。

 TBSにも縁がある。アナウンサーの喜入友浩(2017年、きいれ・ともひろ)は、日本ハムの宮台康平とバッテリーを組んでいた。福岡県立修猷館高校出身。1年浪人して東大に入学する。

 TBS入社後、こう抱負を語っている。

「試合で臨機応変に対応できるように、相手の分析をはじめ、準備やシミュレーションを大事にしました。生放送と同じですね。どんなニュースが起こっても、しっかり伝えられるように準備していたい」(「スポーツニッポン」2017年8月31日)

 現在、『Nスタ(日曜日版)』のキャスターをつとめる。

■東大野球部神童の出身高校は?

 東大野球部神童の出身校は当然のことながら、キラキラ光る進学校が多い。野球部員の出身校を集計してみた(2004年〜2018年)。

1位 開成 8人
2位 栄光学園 7人
3位 武蔵(私立)、筑波大学附属駒場、東京学芸大学附属、灘 6人
7位 海城、高松、岐阜、浅野、桐朋、土浦第一、半田 4人
14位 湘南、東大寺学園 3人
(それぞれの年ごとに4年生の出身校を集計。原則として選手のみ)

 上記のうち、甲子園出場経験があるのは高松(夏=1915年、1926年、1928年、1934年。春=1928年、1930年、1933年、2005年)、岐阜(夏=1949年、1954年。春=1955年、1962年、1978年)、湘南(夏=1949年。春=1951年、1954年)、土浦第一(夏=1957年)の4校。

■都立国立高校出身の甲子園経験者たち

 甲子園東大野球部神童が集まったのが、都立国立高校である。

 1980年、同校が全国大会に出場したときのメンバーで東大野球部員は浅川岳夫(1985年)、市川武史(1986年)、川幡卓也(1986年)、布施英一(1987年)の4人。

 浅川は富士通、市川はキヤノンのエンジニアとして活躍。

 市川は、同校の学校史でこう述懐する。

「もともと『野球をやるため』『甲子園に行くのだ!!』の気持ちだけで国高に入ってきたようなものである」(『国高五十年史』1991年)

 川幡は電通に勤務する。

「東大に落ちたときも記事になったし、受かったときは(新聞の)1面にもなったんですよ。恥ずかしい? いや、僕は嫌いじゃないですね」(「東スポWeb」2018年3月13日)

 ほかに甲子園東大野球部神童3人。

 広岡知男(1932年)。旧制大阪府立市岡中学時代に全国大会出場。旧制第五高等学校(現、熊本大学)を経て東京帝国大学に進む。その後、朝日新聞社に入り、1967年に同社社長となった。東大野球部神童のなかで一番の出世頭であろう。

 八重樫永規(1985年)。岩手県立盛岡第一高校時代、1978年全国大会に出場した。東大には現役合格、外務省1種試験(現、総合職)に合格する神童ぶりを見せつけ、キャリア外交官の道を歩んでいたが、公募でユーシン社長に就任。会社を軌道に乗せることができず退社して、現在は技研製作所の執行役員をつとめる。?

 楠井一騰(2008年)。島根県立松江北高校出身。2002年春の選抜大会に21世紀枠で出場した。現在は商船三井でフェリー事業に関係する仕事に就く。

■安定志向を求めない

 東大野球部神童は商社やメディアが多い。理系ではメーカーが見られる。一方、官僚や銀行員が少ない。

 朝木秀樹(1985年)は愛知県立千種高校出身。高校時代は激戦地愛知でベスト16まで進んだ。東大ではNHKの大越健介と4年間バッテリーを組み、卒業後は三和銀行(現・三菱UFJ銀行)に進んでいる。しかし同行を早期に退職して麻布学園の事務方で働いたあと、2018年に筑波大学附属駒場高校野球部監督に就任した。

 安定志向を求めず、山師的なメンタリティを感じさせる。

 永遠の野球少年としてフィールドをかけめぐる。そのなかで、パイオニア、チャレンジャーとして何かに取り組む、何かを作り出すのが大好きな神童なのだろう。

 そんな東大野球部神童は社会を驚かすようなカッコイイことをやり遂げてほしい。

(敬称略)

(小林 哲夫)

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