「お母さんと思えない。他人感覚しかない」 覚せい剤で逮捕された17歳の少女は、なぜ児童養護施設に“いられなくなった”のか

「お母さんと思えない。他人感覚しかない」 覚せい剤で逮捕された17歳の少女は、なぜ児童養護施設に“いられなくなった”のか

中村すえこさん

“少年院でご飯を1日3食食べると初めて知った” 「普通」がわからない少女たちのリアル から続く

?中学を卒業してわずか半年後に暴走族・レディースの総長となり、自身も少年院に入院した中村すえこさん。中村さんは、退院した後に少年院への支援活動を始め、2019年には、女子少年院へ入った少女たちが、犯罪に手を染めざるを得なくなった背景を描いたドキュメンタリー教育映画『記憶 少年院の少女たちの未来への軌跡』を製作した。

 その映画を元に執筆した著書『 女子少年院の少女たち ―「普通」に生きることがわからなかった 』(さくら舎)より、一部を引用して紹介する。(全2回の1回め/ 後編 を読む)

◆◆◆

■群馬県の榛名女子学園へ

 2018年2月27日、私たち取材陣は群馬県の榛名女子学園に到着した。この日は、映画 『記憶』のクランクインの日であり、やっとたどりついたスタートだった。

 入り口にある門は開放されていて、私たちが車で入っていくと、担当の方が玄関で出迎えてくれた。

 建物の外観は女子少年院というより保養所のような雰囲気だ。玄関を入ると左には受付、目の前の階段を上がると園長室や応接室があり、玄関から右側の奥にある重い扉の向こう側が少女たちがいる場所となっている。ここから先はドアごとに施錠してあり、職員は腰にぶら下げている鍵で、そのつど解錠と施錠をすることになっている。

 園長先生に挨拶をし、担当者に案内された部屋は、少年院の中とは思えない家庭的な部屋だった。鉄格子や鍵はなく、6畳ほどの畳の部屋にテーブルとテレビ、小さなキッチンにはポットと湯呑みが置いてある。

「そうか、ここは出院準備室か」

 遠い過去の記憶がよみがえる。

 少年院に入ることを入院、出ることを出院という(満期あるいは満齢による本退院を迎える前に、ほとんどが仮退院となる)。出院準備室とは、出院を数日後にひかえた少年が当日まで過ごす部屋であり、決められた範囲内であれば、自由に移動することもできる。期間にすると3日〜1週間以内で、そのあいだに自分が使用した少年院の備品である衣類や生活用品を洗濯や補修したりして、文字どおり出院の準備をする部屋だ。

■17歳のとき覚醒剤で逮捕された佳奈

 しばらくすると、法務教官が少女を連れてやってきた。

 少女は佳奈(仮名)といい、現在18歳。17歳のときに覚醒剤で逮捕され、1年前にこの榛名女子学園に収容された。

 肩まで伸びた髪を赤いゴムでおさげに結び、金髪だった髪の毛がちょうど1年分黒くなっている。少しぽっちゃりしているように見えるのは、少年院での食事が充実していたからだろう。表情がかたいのは緊張しているせいかもしれない。

 佳奈はあと数日で仮退院となるが、帰る家がない彼女は「職親プロジェクト」の企業が帰住先(出院後に帰る先)になっていた。仮退院し社会に戻っても、原則として 20歳になるまでは保護観察がつく。その期間は人それぞれで異なるが、保護観察期間中は、保護観察所の保護観察官や民間ボランティアの保護司が定期的に面接・指導して立ち直りをはかる。

 仮退院後は親元に帰るのが基本だか、引き受ける親がいない場合は更生保護施設に行くか、理解ある企業が引き受けてくれるかになる。

 佳奈には帰る家がないのだろうか。聞きたいことはたくさんあるが、まずは佳奈がどうしてここへ来ることになったか、そこからはじめた。

■上司が様子がおかしいことに気づいて警察へ

「ここへは何をしてきたの? ? 話せる?」

「はい。覚醒剤を使って逮捕されました」

「『おはよう逮捕』で捕まったの?」

「おはよう逮捕」というのは、早朝に警察が令状を持って自宅にやってくる逮捕で、私もこれで捕まった経験がある。

 もちろん辞書に載っている言葉ではない。いわゆる業界用語で、その世界の人しか伝わらない言葉だ。私はそっち側の人間だよと、わかってもらうためにわざと使った。

 佳奈の顔が和み、ゆっくりしゃべりはじめた。

「違います。静岡県で働いていて、住み込みで美容院で働いていたんですけど、上司が様子がおかしいことに気づいて、それで上司と一緒に警察に行きました」

「えーっと、ちょっと待って。住み込みで働いていたってことは、何歳から働いていたの?」

「捕まったのは17歳ですけど、高校受験に失敗して、働かなくちゃいけなくなって。施設を出ていかなくちゃいけないから」

「施設って児童養護施設?」

「はい」

■生まれて数ヵ月後に乳児院、2歳で児童養護施設へ

「そっか。じゃあ、まず、小さいときのことから聞いてもいいかな。お父さんとお母さんはいるの?」

「お母さんいるんですけど、育てられないみたいで。お父さんいるんですけど、教えてもらっていないんです」

 佳奈の子どものころの記憶は、千葉の児童養護施設にいたときからはじまる。正確には生まれて数ヵ月後に乳児院にあずけられ、2歳になり児童養護施設に移ったそうだ。

 母親とは、生まれてから数回しか会ったことがないという。育てられないみたい、というのは、なんとなく感じているのか、施設の人にそういわれたのか、直接いわれたのか……。

「お母さんに対してどんな感じ?」

「初めは私には両親がいないんだって素通りできたけど。ほかの子は親と面会しているから、いいなって思った」

 誰でも小さいころに友だちのお母さんや近所のお母さんと自分の親を比べて、うらやましいと思ったことがあると思う。だが、親と暮らしたことがない佳奈にとって、うらやましいと感じる親は「面会にくるお母さん」であるということだ。感覚の違いを感じた。

 佳奈には妹がいるそうだが、妹は母と暮らしているといっていた。このあたりも佳奈にとっては引っかかっているようだ。

「どうして私だけ育ててもらえないの」と、母に聞いたことは一度もないという。

「お母さんと思えない。他人感覚しかない」

 と、表情を変えずに、他人事のようにいった。強がっているのだろうか。本当は母親を求めているのではないだろうか。

 佳奈は母親のことをそれ以上話さなかった。

 児童養護施設には、なんらかの原因で親と暮らせない子どもたちが暮らしている。虐待、ネグレクトから保護された子もいれば、事故や病気で両親を亡くした子、その理由はさまざまだが、佳奈の場合、育てられないという理由で生まれてすぐに乳児院に、そして2歳から16歳までを児童養護施設で過ごしていたことになる。

「児童養護施設ではどうだったの?」

「いいことなんてひとつもない。悪いことしかなかった」

 一瞬、間があき、当時の出来事を話しはじめた。

■中学を卒業したばかりで自立を求められた少女

「小学校6年生のとき、めっちゃ勉強してたのに、施設の先生たちに勉強してないっていわれて喧嘩になったりして、自分のことわかってくれてないから、もういいやって」

 児童養護施設が嫌だった理由はひとつではなく、毎日の中にいろいろと理由があったようだ。小さな出来事で口論になったり、ときには暴力もあったと話す。

 佳奈は自分をわかってくれない大人をシャットアウトし、そのころからリストカットするようになった。

「リストカットすると楽になるの?」

「血がボタボタたれて、うちが死んでも誰も悲しまないと思ってリストカットしてた」

 当時を思い出したのか、佳奈の声は少し震えていた。

「そのとき、理解者っていた?」

「まったくいなかったです」

 孤独を感じるたびに傷跡は増え、佳奈の腕には痛々しいその名残が残っていた。

「それから、どうして施設を出ていかなくちゃいけなくなったの?」

「高校受験に失敗して、高校に行かないと施設にいれなくて、出なくちゃいけなくって。施設の先生が一緒に探してくれたのが美容院だったんです」

 佳奈は中学卒業と同時に寮完備の美容院に就職し、児童養護施設を出て自立することになった。

 ほとんどの児童養護施設の子どもたちは高校卒業と同時に施設を退所する。厚生労働省の指導では現在20歳まで施設にいてもよい、となっているが、実際には18歳に満たなくても進学しなかった佳奈のような子は、早く施設を出ていくよううながされる。

 つまり、高校に行かないなら仕事を探しなさい。仕事をして収入があるなら自立しなさい、ということだ。退所する子がいれば、新たな入所枠ができる。

 しかし、中学を卒業したばかりの15歳の少女にとって、自立は厳しい現実だ。

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INFORMATION

ドキュメンタリー映画 「記憶2」(仮題)オフィシャルサイト

https://nakamurasueko.com/kioku2.html

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“ホストのためにパパ活を頑張れる” 高校生で600万円を貢いだ少女が少年院で語った“告白” へ続く

(中村 すえこ)

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