「こいつ大丈夫かいな」窃盗の再犯で勘当された男性を引き受けると… “元受刑者支援プロジェクト”のリアル

「こいつ大丈夫かいな」窃盗の再犯で勘当された男性を引き受けると… “元受刑者支援プロジェクト”のリアル

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全身に「ゾゾゾゾゾっ」と立った鳥肌… 妹を殺された過去を持つ男が“犯罪者支援”を始めた理由とは から続く

 大切な妹を殺されたという壮絶な過去を持ちながらも、元受刑者を雇い入れ、就労支援を行う「職親プロジェクト」に携わり始めた草刈健太郎氏。彼が雇い入れる受刑者はどのような人物で、どのような働きをしているのだろうか。

 同氏による著書『 お前の親になったる 被害者と加害者のドキュメント 』(小学館集英社プロダクション)を引用し、窃盗の再犯で逮捕されていた元受刑者のエピソードを紹介する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

◆◆◆

 マツオタダアキ(仮名)は、『職親プロジェクト』3年目の春に社会復帰促進センターから引き受けた。面接した当時、彼はすでに20代の後半で、少年院ではなく、刑務所に入っていた。最初の印象は、「こいつ大丈夫かいな」だった。

■自信のない「頑張ります」の返事

「犯罪者」と聞いてイメージするような、目つきがヤバい、顔色が悪いといった類のものではなく、声が弱々しく、なよなよして頼りなかったからだ。パッと見の印象は、地味なタイプ。いじめっ子ではなく、いじめられっ子といった感じだ。こんな男がなぜ刑務所にいるのか、頭に血がのぼり見境がなくなって罪を犯してしまったのだろうかなどと想像を巡らせていると、彼の口から出たのは、「窃盗」の二文字だった。理由は「金がなかったから」。何か深い事情があるのか、それともないのか? 面接の終わりに私が彼に言ったのは、「いまのお前を見ていると、仕事が務まるのか不安や」だった。マツオの自信のない「頑張ります」の返事で面接は終わった。

 個人情報保護の問題で、刑務所からは、受刑者の罪状や生い立ちなどは何も教えてもらえない。事前知識もなしに、2時間の面接でわかり合おうなんて無理な話である。なんとかならないかとお願いすると、女性の刑務官が、彼の罪状や生い立ちを紙に書いて持ってきてくれた。その紙を受け取ろうと手を出したら、「これを渡したら、私はクビになってしまいます」と、口頭で読み上げてくれた。

 マツオは、ごく一般的な家庭に生まれ育った。私が少年院や刑務所でよく聞いた、親が蒸発したとか、DVを受けていたなどといった、問題のある家庭に育ったわけではなく、特にグレていたというようなこともないようだ。高校卒業後、造船会社に就職し、同僚からパシリのように使われる。ストレスからか、たまたま友人に誘われたパチンコにハマり、次第に仕事そっちのけでパチンコばかりするようになる。朝9時から夕方5時まで毎日入り浸った。そんな生活を5年にわたり続けていた。

■「ギャンブル依存症」なのでは?

 やがてお金が底をつき、悪い友人にそそのかされて盗みに手を出すようになり、警察の御用となった。出所後も仕事を転々とし、結局、パチンコ→窃盗の流れは断ち切れず、二度目の御用。その際に、新聞で報道されたことで、彼の罪が地元で広く知られてしまい、平穏な生活を送りたい兄妹から拒否され、今回の出所では家族が身元引受人になってくれなかった。マツオは典型的な再犯パターンであり、このまま放っておけば、さらにエスカレートしていくのは、火を見るより明らかだった。

 この生い立ちを聞いて、「ギャンブル依存症」という言葉が真っ先に私の頭に浮かんだ。たまたま1カ月ほど前に、『職親プロジェクト』の会合で、『ギャンブル依存症問題を考える会』の代表を務める田中紀子さんの講演を聞いたばかりだったからだ。

「依存症」には大きく分けて、「物質依存」と「プロセス依存」の2種類があるらしい。「物質依存」と聞けば、麻薬・覚せい剤などが思い浮かぶが、アルコール依存やタバコ依存もこれにあたる。「プロセス依存」は、ギャンブル依存、買い物依存、性依存などがあり、最近よく耳にする、ネット依存などもこれにあたる。「物質依存」は、本人も自覚していることが多いが、「プロセス依存」は、なかなか本人含め、周囲の人間も認知していることが少ない。ゆえに「治療」という発想になかなかたどり着かない。

 マツオは、この「プロセス依存」にあたる「ギャンブル依存症」ではないかと、私は考えた。「プロセス依存」は本人が自覚していることが少ない。自覚することが克服への第一歩であることは知っているが、専門家でもない私が「お前はギャンブル依存症だ」と言えるわけもない。私は専門家に頼ることにした。

■パチンコについて生き生きと話すマツオ

 新大阪で出所したマツオと会った。

「どうや、外の空気は?」

「やっぱりおいしいです」

 それからさまざまなことを話し、マツオに「お前、ギャンブル、パチンコやりたいか?」と聞くと、「やりたいです」と返ってきた。

 5年前、朝から晩までパチンコをやってきたことを生き生きと話すマツオに、恐る恐る「この前、ギャンブル依存症のやつがいて、依存症の怖さと、その治療のやり方についての講演を聞いたんや。その講演をしていた人と話してみたいか?」と聞いた。すると、マツオは「話したい」と答えた。

■あなたをギャンブル依存症と認定します

 以前に『ギャンブル依存症問題を考える会』の田中さんと話をしたことがあった。田中さんは、ギャンブル依存症と買い物依存症から回復した経験を持ち、いまはその経験を活かして、依存症に苦しむ人たちの助けになろうと活動している。電話で相談したところ、「ぜひ一度直接マツオに会って話がしたい」と、わざわざ東京から来てくれることになった。マツオのほうも一度会ってみたいとのことだった。

 田中さんが来て、マツオと食事をしながら話してもらった。私と会長も同席した。やはり、マツオはギャンブルが好きなんだろう。本当に楽しそうに話をする。田中さんとの話もものすごく盛り上がっていた。まったくギャンブルをしない私にしたら、パチンコやスロットの用語が出てきてもまったくチンプンカンプンだったが、マツオは、出会って初めて心から楽しんでいる表情をしていた。

 話を聞いて、私もまた「依存症」に対する考えを改めることとなった。それまで自分なりに勉強はしていたが、それでも心のどこかでは、「依存症なんか大袈裟にゆうて。ほんまに止めたいんやったら、気合いと根性で止めれるやろ」という思いがあった。しかし、どうやらそうではないらしい。「依存症」はれっきとした病気であり、「治療」が必要なのだ。そもそも気合と根性で治るものに、病名はつかない。

 田中さんが最後に「あなたをギャンブル依存症と認定します」と言ったら、マツオは「俺って、依存症だったんですか」と背中をイナバウアーのように反らして驚いた。ギャンブルから抜け出せない生活を5年も繰り返していたにもかかわらず、その自覚がなかったのである。

■「ギャンブル依存症」から「ギャンブル恐怖症」へ

 わずか2時間あまりの面談で、マツオは自分の問題と初めて向き合い、はっきりと自分が「ギャンブル依存症」だと自覚したのだった。

「プロセス依存は、自分が依存していると自覚することが、回復への第一歩」だと言われている。しかし、マツオの場合は、その第一歩がそのまま回復につながったようだ。彼はそもそも気が弱く、真面目な性格だ。田中さんに会いたいと思ったのも、パチンコを我慢する方法を教えてもらえると思ったからだった。「したい」という気持ちと「してはいけない」という気持ちの間で戦っていたのだ。それまでは「してはいけない」と必死に気持ちを抑え込んでいたが、「病気」だと診断されることによって、「したい」という気持ちに恐怖を感じるようになった。「してはいけない」が「するのが怖い」となった。「ギャンブル依存症」から「ギャンブル恐怖症」に変わったのだ。

■就労して5年、いまは仕事の鬼

「ギャンブル依存症」を克服したマツオは、その真面目な性格で、仕事に熱心に取り組んだ。働き出してからは、無遅刻無欠勤。8カ月後には保護観察期間が無事に終了、その半年後には、日之出塗装工業の正社員として採用した。保護司からの「毎月5万円積み立てするように」という指示を忠実に守ったうえに、実家へも仕送りをしている。ほぼ勘当状態だった実家から、帰宅も許されたのだ。マツオのことを心配し、ひそかに出口さんに様子を聞いていた母親は、さぞかし喜んだことだろう。

 まもなく就労して5年が過ぎようとしている。マツオはギャンブルをいっさいしていない。とはいえ、どうもマツオは一つのことに集中しすぎるタイプらしい。いまは「仕事依存症」になってしまった……と、冗談で言われるくらい、仕事の鬼みたいになっている。生活費以外、ほとんどお金を使わないので、貯金額がすごいことになっていた。その額を見て驚いた私が「仕事ばっかりじゃなくて、もっと遊べよ。気分転換も必要やで」と心配すると、「どうやって遊んだらいいかわかりません」という返事が返ってきた。「パチンコでもやったらええやん」とは、冗談でも言えなかった。

 マツオは、現在、少年院内での職業訓練も手伝ってくれている。入院者の前で塗装を実演して見せたり、少年たちを熱心に手ほどきする様子を見て、彼も『職親プロジェクト』を支える一人になったような気がした。

■「ギャンブル依存症」の得体の知れない怖さ

 これまで紹介したように、マツオの性格は非常に真面目である。そしてやさしく、気が弱いところがある。決して犯罪をするようなタイプではない。それでも罪を犯し刑務所に入った。二度も。私はマツオの勤勉な姿を見るたびに「ギャンブル依存症」の得体の知れない怖さを感じる。「ギャンブル」がしたいがために、人のものを盗む。押し寄せる欲望と、お金がないという現実に勝てず、犯罪に手を染めてしまう。

 この「依存症」という病気は、一般的に理解や関心が低く、認知されていない。以前、私が考えていたように、「意志が弱いからだ」「気合いと根性で治る」なんて言葉で、片付けられてしまいがちだ。しかし、本人も、その周囲の人々も、病気のことをきちんと知り、「病気」として「治療」を施せば、必ず回復する。再犯どころか、初犯を起こさせないで済む。逆に言えば、「治療」という根本的解決をしない限り、再犯を繰り返し、やがて凶悪犯罪につながっていくのだ。

■元受刑者を預かる職長に特別手当を

 マツオを受け入れた頃から、私は、元受刑者を預かる職長に特別手当を出すようにした。『職親プロジェクト』はそもそも私の独断で参加を決めた。最初は「軽い気持ち」だったことから、ろくに社員に説明もしていなかったのだ。だから、なかなか現場の理解も得られなかった。もちろん、職長に無理やり預けるわけではなく、ちゃんと話し合い、理解を得てはいたが、それでも日々、一緒に過ごしていれば不満や苦労が積もっていくことだろう。それに、職長がいくら頑張ってくれても、彼らが逃げ出したり、相性が合わずにドロップアウトしたりしてしまうと、それがどんなに仕方のない理由であっても、職長の心が折れてしまう。そこで、元受刑者を引き受けてくれた職長には特別手当を出し、完全に「仕事化」することにした。

 マツオは熊谷(くまがい)職長に預けた。彼は、マツオの面倒をしっかりと見てくれた。マツオが朝が弱いと聞いて、毎朝迎えに行った。仕事中も気にかけてくれ、マツオをしっかりと育ててくれた。また、真面目なマツオもそれにしっかりと応えた。出所時には刑務官に「2週間も持たないと思います」と言われたマツオが、無遅刻無欠勤で働き続け、正社員にまでなれたのは、熊谷職長の支えがあったからだ。のちにマツオは「熊谷職長じゃなかったら、僕は続いていなかったと思います」と言っていた。

 そうしてマツオは、熊谷職長からの愛情に応えるように、一生懸命頑張り、めきめきと力をつけた。そして、熊谷職長が率いる班は、大幅に業績をアップさせた。我が社では、業績アップに対して報奨金を出し、班に還元することにしている。熊谷班は、見事、報奨金を得た。マツオが戦力になることで、班のメンバー全員が潤ったのだ。

 この成功例は、職長ら社員たちの『職親プロジェクト』に対する考え方や取り組む姿勢を変えた。それまでは、「やっかいごとを押し付けられる」と考える職長もいただろう。しかし、いまは手当も出る。しっかり育てれば、大きな戦力になる。

「ダメでもともと、しかし成功すれば大きなリターンが得られる」という考えが一気に広がった。「社長、俺に任せてくれたら面倒見ますよ」と自分から名乗り出てくれる職長も出てきた。ちょうどヤマモトも、現場で戦力になりつつある頃だった。

 マツオがいい流れを作ってくれた。

【前編を読む】全身に「ゾゾゾゾゾっ」と立った鳥肌… 妹を殺された過去を持つ男が“犯罪者支援”を始めた理由とは

(草刈 健太郎)

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