“日本におって寂しかった”“ここで死んでもいい” 家族にも見捨てられフィリピンで路上生活を送る「困窮邦人」の末路

フィリピンでホームレスになった「困窮邦人」のリアル 男性が複雑な心境を語る

記事まとめ

  • 日本からフィリピンへと移り住み、帰国の手段まで失ってしまった邦人は少なくないそう
  • ある男性は家族から見捨てられ、現地では血縁関係にない貧困層の人々が面倒を見ている
  • 男性は「日本に帰っても仕事あらへんで。帰る気はないね」と語った

“日本におって寂しかった”“ここで死んでもいい” 家族にも見捨てられフィリピンで路上生活を送る「困窮邦人」の末路

“日本におって寂しかった”“ここで死んでもいい” 家族にも見捨てられフィリピンで路上生活を送る「困窮邦人」の末路

写真=著者提供

老婆がいきなりしゃがみ込み放尿… 女性を追いフィリピンホームレスになった“困窮邦人”のリアル から続く

 “吉田(仮名)”という日本人男性は、マニラの教会を根城にした路上生活を続けている。日本からフィリピンへと移り住み、帰国の手段まで失ってしまった彼のような“困窮邦人”はいま決して珍しい存在ではない。

 ここでは、ノンフィクションライターの水谷竹秀氏による『 日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」 』(集英社文庫)の一部を引用。社会問題ともいえる“困窮邦人”の実態を明らかにする。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

◆◆◆

■家族との断絶

 出会った当初は、人とふれ合うことが楽しく「ガハハハ」と大笑いを連発していた吉田だったが、月日が経過するにつれ、無銭生活という現実の重さが徐々にのし掛かっていたのだろう。何度も会ううちに、私との会話の中で確実に笑顔が消えていくのが分かった。

「日本におって寂しかった。こっちに来れば衣食住、生活の面で何とかやっていけるのかなと。日本よりもフワッとした楽しい生活が待っているんじゃないか。でも甘い考えだった」

 吉田と私はよく、バクララン教会の外にある簡易食堂でビール片手に話をした。ある晩吉田は、これまで話に出てこなかった姉の存在を話し始めた。以前、フィリピンに来た時も遊びすぎが原因で所持金がなくなり、10万円を送金してもらい、何とか帰国できたという。  

「だから今回は(姉に)金を返すという前提で借りたい。自分自身ちゃんと更生する。前回のことも含め、二度とフィリピンに来ないと約束する」

 姉に事情を説明すれば何とかなるかもしれないという気持ちがあったのだろう。吉田から番号を教えてもらい、日本の姉の家に電話を掛けた。前回送金してもらって以降、疎遠になってしまったため、私が代わりに連絡することになった。

 電話に出た相手の声は中年の男性。すぐ姉の夫、義理の兄だと分かった。

「○○さん(吉田の姉)はいらっしゃいますでしょうか?」

「今は出掛けている」

「あとでお電話させて頂いてもよろしいでしょうか。実は……」

 そして吉田のフィリピンでの窮状を説明し、助けてもらうことが可能かどうか尋ねた。

「前にいっぺん世話したことがあったけど、あいさつの一言もなかった。義理も何もない。(姉は)怒っている。そんなふうじゃいかん。先祖までほかって(放り捨てて)、全部うちであずかっとる。話し合う余地はない。仏壇からお墓のお守りまで何もせずに……。困ってから電話されてもこっちも困る」

 そして以前フィリピンに送金した時のこと、帰国してから数週間自宅に宿泊させたことを話し始めた。

「あの時は現役だったから何とかなった。今は、年金暮らしで子供もいるから、うちの生活を壊してまでも助けてやれない。自分のことは自分でやらなしょうがない。もしまた連絡が取れるようだったら、援助はできないと伝えておいてくれ」

 お礼を言って電話を切った。

■「日本に帰っても仕事あらへんで。帰る気はないね」

 家族から見捨てられている。吉田が帰国するためにかかる費用はおそらく15万円もあれば足りるだろう。だが、姉一家からすれば、そんな金を工面してあげたいと思うほどの関係ではもはやなくなっていた。人と人とのつながりが薄れる「無縁社会」という言葉が頭をよぎった。一方、フィリピンでは、血縁関係にもない貧困層の人々が吉田の面倒を見ている。当然、吉田がこれまで姉にした不義理が根底にあるのは言うまでもないが、それでもこのギャップが何か腑に落ちない。

 このやり取りを後日、吉田に伝えた。

「姉さんとはもう話したくない。まあ何て言うのかな、ま、いいかという気持ちだよね。援助をお願いしますという感じにはならない。肌が合わんちゅうか、今さらお願いする気にはなれないね。怒ってるっちゅうのは、自分がやってしまったことがあるから理解はできる。姉さんはまじめな人だから、自分がおかしいだけだから」

 期待を裏切られた姉に対する気持ち。同時に自分の責任も感じている複雑な心境を吉田は抱えていた。

「ここで死んでもいいなあと思っとるね。ここだったらこうやってやっとれるで。いいんじゃないの、日本に帰っても仕事あらへんで。帰る気はないね」

 私の目を見ながら、さっぱりとした口調だった。

■「最後に頼る人は同じ日本人しかおらんからね」

 吉田と出会ってから1年近くが経過した。所持金がなく身動きがとれない環境のため、吉田の心は振り子のように常に揺れ動いていた。寝泊まりするバクララン教会の外で、ある晩、私と吉田は甘ったるいコーヒーを飲んでいた。だが、会話がなく沈黙の時間が続き、何となく重苦しい空気が流れていた。吉田は、これ以上私の取材を受けても帰国への援助をしてくれるわけではないし、一緒にいるメリットはないと考えていたのかもしれない。相手は無一文に近い状態。私は普通に仕事をして給料をもらっている。こちらが考えている以上に、相手の私を見る目線は違っている。吉田は重い口を開いた。

「金持ちの社長でも紹介してもらえないか。金の工面がつかん。毎日同じパターンの繰り返しで、これ以上のことは何もできない。最低限のことをやっとればこうやって飯は食えるけど。不法滞在の状態を解消するため、罰金額を援助してくれないか、話だけでもしてくれないか」

 やっぱり苦しい、誰かにすがりつきたい、心のユートピアなんて存在しない。そんな叫び声が吉田の腹の底から聞こえているような気がした。

「異国の地だで、同じ日本人だったら助けて欲しいっちゅう気持ちはあるな。行き当たりばったりで、こうなっちゃって。どうしたらいいかな、『助けることはできません』と言われれば、じゃどうすればいいのか。死ねっちゅってるのと同じだわね。最後に頼る人は同じ日本人しかおらんからね」

 私も返答に詰まった。「大変ですね」と他人事のように言うわけにもいかず、「援助しましょうか」とも簡単には言い出せない。なけなしの金でやってきて、今では異国の地で寂しく1人こうやって教会で暮らしている。そんな人間を目の前にして、どう接してよいのか分からなくなった。日本であれば、炊き出しや路上生活者同士のつながりというのもあるだろう。しかし、ここでは吉田は1人なのだ。

■吉田は4日前に日本に帰国していた

 2カ月後、私は久しぶりに教会を訪れた。夜間専用ゲートへと続く路上の両端には露店がひしめき合っていた。海賊版DVDを売る店のステレオからは、未明にもかかわらず大音量でポップミュージックが流れていた。屋外の光景とは対照的に、教会の中はひっそりと静まり返り、虫の音だけが時々響き渡る。長椅子に座っている人々の顔を注意深く見ながら吉田を探し回ったが、いつも見ていた短パン、タンクトップで眠る姿はそこにはなかった。祭壇近くの椅子に座っていた警備員に「ここで寝泊まりしている日本人男性を知ってるか」と尋ねると、「こないだはここで眠っていたよ。露店の友達がいるので、今日はそこで寝てるんじゃないか」と教えてくれた。時計の針は午前2時半を指していた。

 そして、後日まさかと思った予感が的中した。吉田は、私が教会を訪れる4日前に日本へ帰国していたことが、入国管理局を通じて調べた結果分かった。

「困窮者が自力で立ち直るというのは極めて難しい。定期的に収入を得る仕事には簡単に就けない。仮に仕事があったとしても不法滞在状態でビザもなく、仕事に就ける土台がない」

 大使館担当者が以前語った言葉が頭に浮かんだ。誰かの援助を受けない限り、困窮邦人が日本へ帰国することはあり得ない。吉田はどうやら、知り合いのある業者を介して帰国していたようだった。

 日本では派遣労働者などの弱みにつけこんで食い物にする貧困ビジネスが横行しているというが、ここフィリピンでも困窮邦人に「帰国させてあげるから」と話を持ち掛ける貧困ビジネスが行われていると聞いた。飛行機に乗ればたった4時間で行ける祖国、日本。たとえ貧困ビジネスの対象にされたとしても、自力では到底無理だった帰国が実現しただけまだましかもしれない。

■帰国後2週間でフィリピンに再入国、半年後には再帰国

 しかし、日本に帰国してからわずか2週間後、吉田はフィリピンに再入国していた。貧困ビジネスの食い物にされた挙げ句、関係者に借金を返すためにフィリピンに戻らなくてはいけない事情でもあったのか。

 その後、さらに驚くべきことが判明した。吉田はフィリピンに舞い戻って約半年後には、また日本に帰国を果たしていたのである。私は吉田と1年近く接触を続け、時には一緒に食事をし、バクララン教会から帰宅する際には、多少の小銭も渡していた。しかし、吉田がフィリピンに再入国してから帰国までの半年間、結局彼から私には一度も連絡はなかった。私は自分の目線と彼のそれとが全くかみ合わないことを再確認した。ひょっとしたら、取材に応じる代わりに、いつか帰国費用を援助してもらえるのではないかと期待していたのだろうか。あるいは、路上生活者の心境を理解しようとした安易な私の思い上がりが溝を生んでしまったのか。

 吉田は、今頃日本でどんな生活を送っているのだろうか。仕事に就き、もう二度とフィリピンには戻らないと真面目に過ごしているのだろうか。もしくは、また日本の現実から逃れるべく、フィリピン行きを夢見ているのだろうか。残念ながら、私にはその後の彼を知ることはできなかった。

【前編を読む】 老婆がいきなりしゃがみ込み放尿… 女性を追いフィリピンでホームレスになった“困窮邦人”のリアル

(水谷 竹秀)

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