老婆がいきなりしゃがみ込み放尿… 女性を追いフィリピンでホームレスになった“困窮邦人”のリアル

老婆がいきなりしゃがみ込み放尿… 女性を追いフィリピンでホームレスになった“困窮邦人”のリアル

フィリピンは国民の9割以上がキリスト教徒 写真=著者提供

 居場所を失った日本を捨て、フィリピンへ飛ぶも、待っていたのは究極の困窮生活……。そうした邦人の存在をご存知だろうか。彼ら“困窮邦人”の多くは、異国の地で所持金を失い、帰国することもできず、今もフィリピンの庶民に助けられながら何とか生き延びている。

 ノンフィクションライターの水谷竹秀氏は著書『 日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」 』(集英社文庫)で、そうした窮状にあえぐ日本人男性を取材した。ここでは、同書の一部を引用。フィリピンパブにのめり込み、女を追いかけ、日本を飛び出した末にフィリピンの教会で暮らすようになった男性、吉田(仮名)が送る日々を紹介する。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

◆◆◆

■同化

 未明のバクララン教会。ひっそりと静まり返っている中、前方から「ええーん、ええーん」とうなり声が聞こえる。「あれがここの名物おじさん」と吉田が指さす方向を見ると、頭が禿げ上がった中年のフィリピン人男性が意味不明な言葉とともに左肩と首を奇妙にすばやく動かす動作を繰り返していた。

 別の列では夫婦とみられる男女が並んで両肘を肘掛けに載せて手を組み合わせ、目を閉じて静かに祈りをささげていた。近くには、白髪の老婆が座ったまま顔を下に向け、寝息とともに少し上下に揺れながら器用に眠っている。しばらくすると、教会の警備員が鉄製の棒で長椅子の端を「ガチャガチャ」と叩き始め、教会内に響き渡るその音で寝入っている人々は次々と目を覚ました。教会に通い始めて4カ月が経過した2009年10月、吉田と同じ境遇を味わってみようと、私が教会での生活を少しだけ体験した時のことである。同じ長椅子で寝てみようとしたが、色々と体勢を変えて工夫しても、木の椅子が硬くて寝心地が悪く、うまく眠りにつくことができない。

 教会の外にある公衆便所付近には衣類らしき物を地面に敷き、顔にタオルを掛けて寝ている人がいた。公衆便所は夜になると閉鎖されるため、教会に寝泊まりしている人々は便所近くの壁沿いの一角で立ち小便をする。アンモニア臭があたりに立ち込めている。突然みすぼらしい格好をした老婆がいきなりその場にしゃがみ込み、人目を気にせず「シャー」と垂れ流し始めた。そこにはたとえ貧しくても、どれだけ厳しい環境にいようとも、日常を生き延びようとする人々が入り乱れており、混沌とした世界が広がっている。吉田はその世界にのみ込まれ、そこで生きる人々に同化しているように見えた。

■フィリピン人の中にいながら「可哀想だ」と思われている

「色々な日本人がおるけど、(彼らは)フィリピン人とはお金を介した付き合いしかない。俺みたいにどん底になってフィリピン人と一緒に飯食って、そういう中に自分が入り込んどるから、金のない中でこうやってわいわいやっとれる。ここにいる人たちはやりたいことがあっても金がないからできない。材木1本にしても買えないから、虫の食ったような廃材を持って来てそれで何か作る。物を大事にして、何とか生活費を生み出そう、家族を養おうとしとる。夢はみんな持っとる。でも現実にはできない」

 人は、同じ空間に身を置き、同じ物を食べ、音や匂いといった生活の要素を共にすることで共感することがある。それは言葉や文化の壁を越えたところにできる共同体なのかもしれない。

「フィリピン人は優しい。でも、仮に俺がフィリピン人だとしたら、こんなに親切にしてはくれないだろう。俺はあくまでも外国人なんだよね。外国人でありながら、フィリピン人に近い状態っていうのは、『可哀想だな』っちゅうのが彼らの中にある」

 教会で長らく寝泊まり生活を続けていると、自然に誰が同じホームレスなのかが分かってくる。毎日見る顔ぶれが限定されてくるからである。教会で同じように生活を続けるフィリピン人たちにも吉田の存在は知れ渡っていた。

 教会周辺で靴磨きをして生活している中年のフィリピン人男性。彼の収入は1日200〜300ペソ(当時の為替レートで約400〜600円)。持ち歩いていた木箱の中には針や金づち、ブラシ、接着剤、着色剤などの商売道具がぎっしり詰まっていた。教会内や周辺で路上生活を続けてもう5年になるという。小柄な体に紺色のポロシャツ、ジーンズ、そして野球帽をかぶっていた。笑うと前歯が4、5本抜けているのが見える。歯医者とは無縁の世界で生きているのだろう。

「何でこんなところに金持ちの日本人がいるんだ。自分たちと同じような奴らもいるのか。女にだまされ、お金を取られたんじゃないかと噂で聞いている。卵の揚げ物を露店で売っているということは、お金がないんだなと思う。ここしか寝るところがないというのは可哀想だな」

 靴磨きの男性から話を聞いていると、妻と思しき女性が近づいてきた。お腹が大きく、妊娠中だった。

「路上生活をしていてどこでセックスするんですか」と聞いてみたら、「あっち」とマニラ湾の方向を指さし、笑った。

■通路脇にはベンチ、路上生活者たちが暮らす露店市場の光景

 教会から正面ゲートまでの通路脇にはベンチが並び、昼間は路上生活者たちが座ってボーッとしている。

 ――何もしない。ただ息を吸って吐いているだけ――。

 そこに佇んでいる人々を見るとそんな気がしないではいられなかった。

 通路の段差のところに座っていた72歳の老婆は 「仕事がほかにないので物乞いをしています。ここは何時までいても警備員が追い出すわけではないので、居心地がいいんです」と話してくれた。額に刻まれた何重にも連なるしわが、これまでの人生の年輪を表していた。

 正面ゲートのすぐ前はトウモロコシ、衣類やかばん、たばこなどを販売する露店が所狭しと立ち並び、大通りには大型バスが「パパパパパーン」とクラクションを何回も鳴らし、連なってのろのろと走行していた。縦横無尽にうごめく買い物客、人々の笑い声、頼んでもいないのにほうきで掃除を始め、お金を要求してくる少年。熱気に包まれた東南アジアによくある露店市場の光景が広がっていた。

■体調を崩しても路上暮らし以外の道はなく

 もちろん、こんな場所で生活をしているのだから時には体調を崩すこともある。ある晩、教会を訪れると吉田は長椅子に座ったままじっとしていた。声を掛けてみると、

「ちょっと前から腰がジワーッと痛み出した。どっかこわれたかな」と右腰の辺りを手で押さえていた。しばらくすると、

「横になってもええかな」

 と長椅子に足を伸ばし、あお向けになった。教会の中で横になって寝ると注意されるため、警備員が早速やって来たが、

「彼は病気だから」と説明して許してもらった。だが間もなくすると、

「気持ち悪くなったんで、吐いていいですか」

 と吉田は長椅子から立ち上がってふらふらと歩き出し、教会の外の一角で嘔吐し始めた。思った以上に深刻そうだったため、警備員に付き添ってもらい、タクシーで近くの病院へ向かった。

 到着したのはベッド数30の小さな病院。吉田は診察台に横たわり、医師の診察が始まった。腹部を「ポンポン」とたたいた医師は「特に異常はない」とやる気なさそうに話す。その後に行われた血液検査も「異常なし」だった。ベッドの上で何も言わず、身動きしない吉田。1時間ぐらいすると、

「だいぶ痛みがひいてきたわ」

 と回復した様子をみせたので、とりあえず病院を出ることにした。

「また教会に戻りますか」

 と私が尋ねると、吉田は黙ったまま。その表情から教会に戻って寝たくないのを察して、安ホテルを探し回った。午前4時ごろに教会から車で10分ぐらいのユースホステルに空きが見つかり、とりあえず吉田はそこで眠ることになった。しかし、同じ日の午後にユースホステルに電話を入れた時には、吉田はすでにチェックアウトし、また元の生活に戻っていた。

【続きを読む】 “日本におって寂しかった”“ここで死んでもいい” 家族にも見捨てられフィリピンで路上生活を送る「困窮邦人」の末路

“日本におって寂しかった”“ここで死んでもいい” 家族にも見捨てられフィリピンで路上生活を送る「困窮邦人」の末路 へ続く

(水谷 竹秀)

関連記事(外部サイト)

×