「コロナは風邪か」や「処理水は汚染水か」をめぐる、深遠な争い

「コロナは風邪か」や「処理水は汚染水か」をめぐる、深遠な争い

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 コロナウイルス感染症の広がりは国難であるかどうか、国民の間でも大きな議論になったまま、1年以上が経過しました。困ったもんです。

 懸念されたコロナ変異種が猛烈な勢いで増えているいま、去年とはまた違った対策が求められています。いままでは無症状が多く感染しても健康への影響は軽微かもしれないとされていた小学生から青年までの年代でも重症化する確率が高く、また、後遺症が残るかもしれないという話が出ると、危機感が募るのも当然です。

 いまでは緊急事態宣言の発令をどうするかという話とともに、再び学校を休校にしようかという話まで出てきました。「緊急」事態なのに、ゴールデンウィークから緊急事態宣言を東京に出そうぜとか、あさってぐらいに大阪で緊急事態宣言でええやろなどと、どの辺が緊急なのかいまひとつよく分かりませんが、とにかく緊急なんですよ皆さん。

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■太平洋戦争末期の大本営にも似た政治状況

 一方で、国民の中ではいまだに「コロナは風邪」と主張し、社会的コンセンサスになっているマスク着用を忌避する人もいれば、感染の場となり得る飲食店への時短営業についても強く反対する論調もよく目にします。科学的、医学的にはコロナウイルスはインフルエンザなどとは比べ物にならないぐらいの脅威だから、経済を止めてでもなるだけ感染が広がらないようにしよう、感染者ゼロを目指そう、という話なんですけどね。

 海外に目を転じれば、製薬各社が提供するワクチンを国民にどんどん接種し、新たな感染の広がりを抑え込めた国が出てきました。ワクチン接種で先行したイスラエルはもちろん、あれだけ感染者数が激増して国ごと倒れるんじゃないかとまで心配されたイギリスでさえもワクチン接種が広範囲に行えた結果、パブ(酒場)の営業が再開され経済活動が再始動すると活気を取り戻しています。首相のボリス・ジョンソンさん本人までもがコロナウイルスに感染しとって、国ぐるみでお笑いをやっていた時期とは比べ物にならない躍進ぶりです。

 感染症対策を国民の努力で乗り越え、世界的にも少ない死者数で切り抜けてきたはずの日本はワクチン接種数という意味では後進国に位置し、ワクチン開発にも出遅れて、国威の低迷は覆い隠せないぐらい沈鬱な状況になっているのは太平洋戦争末期の大本営にも似た政治状況だからなのでしょうか。

 日本人は手洗いしましょう、マスクをつけましょうという話はすんなり受け入れ、不自由でも頑張って対応できるのに、ワクチン接種のためにファイザー社などとの製薬会社と交渉をしたり、きちんとワクチン接種できるように国と自治体で連携させるなど、高度な政治対応が求められる分野になった途端に思考停止して、科学的に正しいことも政治的な配慮の末に断念するという事例が繰り返されてきました。日本が駄目なのはやはり政治なのだ、ということが浮き彫りになった瞬間です。

 ワクチン開発を支える研究開発費用の捻出に国が後ろ向きだという問題もさることながら、世界的に見てもワクチン開発を担えるだけの大規模な資本力を持つ製薬会社が日本には少なく、開発手法はなんとなく分かっていても、その開発プロセスにかかる膨大な研究予算を捻出することができず、ついに日本オリジナルなワクチン開発を行う決定はできませんでした。科学が政治や社会環境に足を引っ張られて、結果として日本国民全員が少しずつ割を喰い、みんなで等しく貧乏になり、不幸になる日本お家芸の仕組みは健在のようです。

■10年経って少しは原子力発電界隈は復活しているかと思いきや

 大阪府知事の吉村洋文さんが、大阪独自の対策にこだわって突然アンジェスとかいう微妙な製薬ベンチャーがぶち上げたワクチン開発計画にうっかり乗ってしまい、規模の経済が生み出す科学力の前に立ち往生したのもいい思い出です。

 仕組みが悪いので大きな問題を引き起こして、その負担を国民みんなで泣きながら分かち合い、一緒に不幸で貧乏になっていくシステムは、10年前の東日本大震災での津波にともなう福島第一原発事故でもあますところなく日本人は体験しました。事後的に「絆だ」「支え合いだ」と言っていましたが、要するに日本の原子力発電という危険だけど便利な仕組みを安全に管理監督する仕組みが破綻していて、いざ津波がきたら東京電力の対応が急所となって原発が爆発し、その結果起きた悲惨な事故対応でかかる巨額のおカネを東京電力が補償する。といっても原賠法もあって結局は国がどうにかすることになり、その国は税金によって支えられているので、原発事故対応費用分の増税という形で国民がみんなで負担することになっているわけですよ。

 10年経って少しは原子力発電界隈は復活しているかと思いきや、日本の原子力発電の一部を担っている東芝では、社長の車谷暢昭さんが更迭されてしまいました。なんだったんでしょう、あれは。

 誰に騙されたのか知りませんが、環境大臣の小泉進次郎さんは二酸化炭素を出さない「脱炭素社会」を掲げていますが、山ばっかりで太陽光発電を担える立地が乏しく通年で強い風が吹く洋上風力発電に適した地域も少ない日本で再生エネルギーを増やすのはまだまだコスト的に見合わず、二酸化炭素を排出しない原子力発電に頼らなければならない状況で政策的な矛盾をどうにか解消して前進していかなければなりません。

■処理水の海洋放出...まだそんなことで揉めていたのかと

 そこへ、降って湧いたのが福島第一原発の事故処理にともなうトリチウムなど放射性物質を含む汚染された排水を処理して、希釈化した処理水として海に放出することの是非であります。10年経過してまだそんなことで揉めていたのかと驚くわけですけど、いままでは政治的に決断できなかったから、ずっと処理水を貯めていたわけですね。

 そもそも、原子力発電所の廃炉というものは、事故だろうが計画的な老朽炉の交換だろうが、基本的には水で洗い流して処理するものです。原子力発電所の稼働中も、世界中で環境的に問題ないレベルまで処置された処理水を自然に返すことは行っています。だから、それに対して基準が世界的に作られ、健康管理ができるぐらいのモニタリングもやっているわけですよ。IAEAなどという世界的に融通の利かない忖度なし機関まで存在し、きちんと監視をされる仕組みは曲がりなりにも整っています。

■「政府や東京電力のやることだから信用できない」というコメントも

 ところが、ここで処理水を「放射性汚染水」としたうえで、福島周辺の農業や漁業に対する「風評被害がある」ということで処理水の海への放出に反対する人たちが出てきます。科学的には問題ないレベルまで処理された水を放流するのに、汚染水を放出するのは風評被害だと報じるマスコミ自体が非科学的な言説で福島の復興の足を引っ張っているとも言えます。

 ヤフーニュースで時事問題の記事を見ている方々では「菅義偉政権の原発処理水の海洋放出決定」に賛成が58%、反対が39%となっています。そもそもこの方面のニュースに知的関心のある人で、ヤフーの投票に回答するぐらいには暇人で、菅義偉さんや自民党に対して好感反感ある態度も加味したうえでおおむね賛成が6割弱というのは、まあまあ国民のコンセンサスを得られたというべきなのかどうか。

 そして、これらの一連の報道を見てなお、「この問題に対する説明が不足している」とか「議論が熟していない」などという反応が多いことにも気がつきます。さらには「政府や東京電力のやることだから信用できない」というコメントも見られます。

 健康に問題ない状態まで充分に薄めた後の処理水を海洋に放出する、有害な放射性物質は除去する、という説明を受けても「説明不足だ」と言える人の気持ちまでは理解できませんが、科学的にはもはやこれ以上説明のしようもないのかなとも思います。

■大量のトリチウムを海洋放出している中国や韓国に言われたくない

 翻って、国際機関のIAEAや、アメリカなどは日本の処理水海洋放出に賛成の立場を明確に表明する傍ら、お隣の韓国や中国では「日本は海を汚している」と声高に日本政府の決定に反対しています。日本よりもはるかに大量のトリチウムを放出している中国や韓国に言われたくない話ですし、中国も報道官が麻生太郎さんに対し「飲んでみろ」とか「海は日本の下水ではない」などと放言し、麻生太郎さんも「海は別に中国の下水でもねえだろ」という放言の応酬になるぐらい、トリチウム処理水の海洋放出について科学的根拠抜きの政治的問題となって論争が続きます。

 コロナは風邪だとか、マスクやワクチンの効果の是非にせよ、福島第一原発事故処理におけるトリチウム処理水の海洋放出にせよ、安全性に対する科学的根拠や効率、合理性は抜きにして、それを進めようとしている人たちの顔つきや属性を見て賛成反対を決める人がいかに多いかの証左なんじゃないかと思います。確かに、東京電力や旧原子力安全・保安院、また当時の菅直人・旧民主党政権はごまかしや嘘が多かったと否定的に捉え、だから政府や東京電力などの大企業は信用できない、だから処理水を放出することも地域住民の健康や漁業などに対する悪い影響を隠していてもおかしくない、というロジックになります。

■裏付けのない政策は単なる思いつきでありイソジンでありK値

 また、いくら処理した水が希釈されていても、元の放射性物質は一定量存在するのだから、そんなものは放出しては駄目だ、と量や濃度の問題を抜きにして絶対量で否定する人も一定数出てきます。味噌汁を味わうのにお湯でとかない味噌を生のまま口に入れる人はいないのと同様、人体に影響のない濃度にまで薄めて処理し、それを放出するのだということを何度言われても「放射性物質は怖い」という先入観や「東京電力は信用できない」という嫌悪感で立ち往生する人が声高に暴れることで政治に働きかけます。そういう人に対する配慮をした政治が科学を押しのけて「安心・安全に不安がある」と騒ぎ立て、「福島沖の漁業に対する風評被害があるかもしれない」と科学的にはない問題をでっち上げて適切な処理に反対をすることになるのです。

 もちろん、ワクチンが如何に合理的で価値があると言っても、過去にはB型肝炎ウイルスの混ざったワクチンが引き起こした健康被害だけでなく血友病患者の皆さんを苦しめた薬害エイズの問題はあり、同様に科学的には大丈夫だと見切り発車の末に壮大な税金の無駄遣いとなり立ち往生となった核サイクル施設「もんじゅ」の例もあります。科学とて、適切に使われずチェックも行われなければ万能どころか社会に対する凶器になる面はあります。

 しかしながら、おそらく科学的に正しいであろう、根拠があるだろうという政策を見定め、政治が責任もって実行して初めて、政治は社会に対して責任を果たしたとも言えます。裏付けのない政策は単なる思いつきであり、イソジンでありK値なのです。

 そのK値とかいう根拠不明の数値を提唱し、大阪府の感染症対策の中枢に据えてしまった中野貴志教授が、問題事案の責任を取るどころか大阪大学が新設した吹田キャンパスの感染症総合教育研究拠点の一部門の責任者に出世してしまうという事態まで出てきました。これはもう、科学の敗北とでも言うべき事態だと思うんですよね。本当に大丈夫なのでしょうか。

■然るべき科学リテラシーを弁えて政策課題に取り組んでもらう他ない

 政治家には然るべき科学リテラシーを弁えて政策課題に取り組んでもらう他なく、きちんとした学識を持った人が脇を固めて政治をしっかりと補佐する他ないんじゃないかと思うんですよね。

 もっとも、アメリカの名門大学スタンフォード大学の博士号を持つ元総理大臣が、一連の処理水海洋放出を行う政府方針を意味不明の理屈で批判して、ネット上で炎上したりもしていました。鳩山由紀夫さんって言うんですけど。

(山本 一郎)

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