「大変なことをしてしまった」事件から7年…手詰まりになった「島根女子大生バラバラ殺人事件」に起きた激震

「大変なことをしてしまった」事件から7年…手詰まりになった「島根女子大生バラバラ殺人事件」に起きた激震

女子寮近くの道。街灯はあっても、夜はかなり暗い様子が分かる ©谷口雅彦

アルバイトからの帰路、小柄で活発な19歳の被害女性に何が…闇に消えた「島根女子大生バラバラ殺人事件」 から続く

 科学捜査の発達した現代では、警察の事件捜査能力は飛躍的に向上した。警察庁の「犯罪統計資料」の中の殺人事件の件数をみれば、2007年から2016年の10年間の認知件数1万567件に対し、検挙数は1万288件と約97%だ。

 逆にいえば、今日でも尚、3%ほどの事件が「未解決」になっている。殺人など凶悪犯罪の時効が廃止されて早11年。事件の風化を防ぐため、実際の現場を新たに訪れ再検証を行ったロングセラー「 迷宮探訪 」(警視庁元刑事・北芝健監修、「週刊大衆」編集部編、谷口雅彦撮影:双葉社2017年刊)より、一部を抜粋して引用する。

 今回は2009年、島根県浜田市・広島県北広島町で起きた「島根女子大生バラバラ殺人事件」について。発見された遺体は性別さえ分からないあまりに痛ましい状態だった……。

◆◆◆

■浮かんでは消えていく容疑者

 遺体の状況を見て、警察は怨恨による殺人事件の線で捜査を進めた。まず疑われたのは、同じ大学の学生や、近隣地域で頻繁にナンパをしていたといわれる若者など。だが、いずれも結果は“シロ”だった。そもそもHさんは島根に来て半年。人から恨みを買うほどの濃密な人間関係などはなく、交際相手もいないようだったと、友人たちは話している。

 その一方で、捜査は通り魔による犯行の線でも進められた。警察はレンタルビデオ店でのホラー映画の貸し出し履歴から猟奇マニアを洗い出したり、動物の解体の技術や道具を持つ猟師や林業関係者をリストアップしたりと、あらゆる可能性を探ったが、どれも空振り。容疑者が浮かんでは消えていくことの繰り返しで、ついに手詰まりとなってしまったのだった。

■彼女の“通勤経路”

――臥龍山を後にした我々は、Hさんが消息を絶った浜田市に足を向けた。臥龍山の麓には、見渡す限りの田畑が広がり、石州瓦というオレンジ色の屋根瓦を葺いた家が、あちこちに点在する風景が続く。その道をさらに進み、峠を一つ越えると、日本海に面した浜田市だ。臥龍山と浜田市の距離は約25kmと報道されていたが、それは直線で結んだ距離。実際の道のりはその2倍近くあり、移動には1時間以上もかかった。

 Hさんのアルバイト先だったショッピングセンターは、大都市近郊にあるような大規模なものではないが、集客は多く、周囲の交通量も激しい場所にある。おそらく市内では一番の繁華街なのだろう。彼女が働いていたアイスクリーム店は、変わらずショッピングセンター内にあった。

 彼女は大学の近くにある女子寮からアルバイト先まで徒歩で通っていたそうだ。Hさんはどんな道を歩き、事件に巻き込まれたのか。それを確かめるために、我々は日が暮れ始めるのを待ってから、彼女の“通勤経路”を歩いてみることにした。

■徒歩50分のくらい坂道

 ショッピングセンターを出て、学生寮方面に裏の道へ入ると、様相は一変。街灯もまばらで、迷路のように路地が入り組む住宅地だった。Hさんはその細い道を縫うように通り抜け、神社の石段を上って帰宅していたそうだ。それが一番の近道なのだという。神社の石段は約170段もあり、普通に歩いて上がっても息がはずむほどだった。街灯があるにはあるが、かなり薄暗い。

 神社の階段を上がりきって、坂道を少し上った場所、寮まで約600mの地点で、2009年11月30日に、彼女の靴が発見された。本人のものという確実な証拠はないようだが、監視カメラに映った画像を解析した結果から、彼女のものでほぼ間違いないといわれている。実は、警察が、この場所を事件直後に捜索した際には発見されなかった。だが、なぜか行方不明になってから1か月以上も経ってから見つかったという謎は、今も解き明かされていない。

 その先も、寮までの道はずっと登り坂。ショッピングセンターから寮まで2・5kmの道のりの大半は坂道だ。我々が歩いて50分近くかかった。これほどの坂道を彼女が常に歩いて通っていた理由は、バス代やタクシー代の節約のためだったという。彼女の真面目な一面を物語る話だが、それが悲劇を引き起こすことになるとは、なんという運命のいたずらだろう。

■復元された57枚の写真

 事件が急展開したのは、発生から7年後のことだった。2016年12月20日、島根・広島両県警合同捜査本部が、事件当時33歳だった男を犯人と特定、殺人と死体損壊・遺棄の容疑で書類送検したのだ。男は当時、浜田市の隣の島根県益田市に住んでおり、Hさんの遺体が臥龍山で見つかった2日後の2009年11月8日に死亡していた。

 警察は、一向に手がかりをつかめずに年月が流れる中、遺体に付着していたポリ袋片が広島県や山口県などでも流通していた電話帳配布用のものと特定されていたことに着目し、2016年に入ってから捜査範囲を拡大していたのだ。そして同年夏頃に、Nシステム(自動車ナンバー自動読み取り機)で不審車両の洗い直しをしたところ、事件発生前後に浜田市内で不審な動きをする車が浮上した。だが、Nシステムに写っていたのは、ほんの数か所。その車は、通行記録が残る幹線道路をほとんど通らず、裏道を走っていたものと思われる。

 その車の所有者である男の経歴を警察が調べたところ犯罪歴があったため、疑いが強まった。そこで同年秋、警察は男の遺品を精査し、デジタルカメラとUSBメモリから画像を発見。それが決定的な証拠となった。データはすべて消去されていたが、復元すると、行方不明後のHさんと見られる、切断前後の遺体のほか、遺体損壊に使ったと思われる文化包丁、写り込んだ男本人の足などの写真57枚が出てきたという。当時、男が住んでいた益田市内の借家も捜索され、そこでの有力な痕跡は見当たらなかったものの、写真に写っていた背景から、その家の風呂場で損壊した可能性が高いことが分かった。殺害場所や詳しい犯行日時は特定できなかったが、Nシステムの通行履歴で2009年10月26日に益田市から浜田市に入り、翌27日に益田市に戻っていることから、その間、もしくは益田市へ戻った直後に殺害された可能性が強いと見られている。

 Hさんと男の間に、携帯電話の通話やメールの履歴などがなかったことから、警察は2人に面識はなかったと判断。それと同時に警察は、男による単独の犯行と断定した。その根拠については、「第三者の介在は考えられないという物証がある」と発表されているが、その物証が何かは「答えられない」とのことだった。また警察は、殺人容疑での書類送検に至った経緯についても、画像以外の物証や証言から総合的に判断したと説明しつつも、その具体的な内容に関しては、「捜査に支障が出る」「遺族の尊厳と関係者のプライバシーに関わる」として、明らかにしていない。

■真面目でおとなしい人物の「もう一つの顔」

 男は山口県下関市出身で、高校は北九州市の私立校、大学は福岡県内にある国立大の夜間部に進学した。真面目でおとなしい性格の人物だったというが、男には、もう一つの顔があった。その後、大学を中退し、アルバイトを転々とする生活を始めた男は、道で女性に刃物を突きつけるなどを繰り返して逮捕され、懲役3年6月の実刑判決を受けている。そして出所後、ソーラーパネルの会社の営業職に就き、2009年の夏から益田市の営業所に一人で勤務していた。営業成績は優秀だったそうだ。

 男が死亡した11月8日は、母親と一緒に、父親の墓参りへ出かけていたのだという。その帰り道、山口県美弥市の中国自動車道でガードレールに激突し、車は炎上。母親とともに焼死したのだった。その直前、男が周囲の知人に、「大変なことをしてしまった」と語っていたことや、現場にブレーキ痕がなかったことから、事故が自殺である可能性も指摘されたが、遺書は見つかっておらず、事故か自殺かは分かっていない。

 そして2017年1月31日、男の容疑は、被疑者死亡により不起訴処分となった。

(中略)

 世界に羽ばたくことを夢見ていた真面目な女子大生だったHさん。何の罪もなく、何の落ち度もない彼女の命が、いたずらに奪われたその理由を突き止める道は、被疑者の死亡によって永遠に閉ざされてしまった。そうと思うと、なんともやりきれない、歯痒さばかりが残る結末である。この事件の“真の解決”を見る術は、本当にないものなのだろうか――。

◆◆◆

 事件現場からそこで何が起こったと考えられるのか。そして1ヵ月以上たって発見された靴は何を物語るのか。警察の捜査には見落としがなかったのか。「迷宮探訪」では、元警察官が分析している。

写真:谷口雅彦

(北芝 健,「週刊大衆」編集部)

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