小田急ロマンスカーミュージアム誕生前、2017年の「怪文書事件」とは

小田急電鉄、2017年には怪文書騒動も 当時91歳の生方良雄氏が事態を収拾

記事まとめ

  • 小田急電鉄では、2017年には社員の内部告発と思われる怪文書騒動があった
  • この事態を収拾するために動いた人物が、当時91歳だった生方良雄氏だという
  • 現在、生方氏は95歳で、小田急ファンにとっては神様のような存在とのこと

小田急ロマンスカーミュージアム誕生前、2017年の「怪文書事件」とは

小田急ロマンスカーミュージアム誕生前、2017年の「怪文書事件」とは

小田急電鉄のレジェンド、生方良雄氏の手によって誕生した3000形ロマンスカー

ついにオープン 小田急ロマンスカーミュージアムの楽しみ方と「3000形」設計関係者の思い から続く

 小田急ロマンスカーミュージアムを報道公開で見学して、さすが小田急はいいものを作ったなあ、と嬉しくなった。

 実は小田急側にも事情があって、保存車両の置き場に困っていた。2018年に代々木上原〜登戸間複々線化が完成し、輸送力増強の準備が整った。線路の準備が整ったら、次は車両を増やしたい。しかし、車庫の容量には限度がある。展示施設を作って保存車を移動させたら、可動車両を増やせるというわけだ。(全2回の2回目。 前編 から読む)

■コアなファン視点だと、ちょっと物足りない

 ミュージアム内をひととおり巡り、まだ試食できないミュージアムクラブハウスを恨めしく思いつつ帰路についたわけだけど、何かもの足りない気分もあった。ロマンスカーミュージアムは、ロマンスカーファンやファミリーには満足だろうけれども、小田急ファン、鉄道好きにはちょっと寂しい。足りない要素は、小田急の歴史と技術に関する展示だ。

 2017年9月から11月まで、横浜駅近くの「原鉄道模型博物館」で企画展「小田急 ロマンスカー物語」が開催された。小田急線開業90周年とSE車就役60周年を記念したイベントで、運行開始間近の「70000形運転室モックアップ」の展示が話題だった。ほかにも「7000形用の部品」、「連接台車に車体を載せる心皿」、「通勤車両9000形用のヘッドライト」など、工場の蔵出し部品多数を展示した。とくにSE車の車両図面は必見で、連接車体の構造や、新宿寄りの先頭車と小田原寄りの先頭車で寸法に差異があるなど興味深かった。これらはロマンスカーミュージアムに展示してほしかった。

 ないものは飾れないけれど、あるものを展示しないとはどういうことだろう。しかも原鉄道模型博物館は他社の企画展、こちらロマンスカーミュージアムは本家本元だ。

 そしてもうひとつの気がかりは、前述の3000形、3100形の誕生に関わった生方良雄氏の名前がみつからない。生方氏は戦後、大東急から分離独立した「新生小田急」でロマンスカー時代を築いた人である。鉄道趣味人でもあり著書も多数。小田急ファンにとっては神様のような存在だ。私はてっきり、ロマンスカーミュージアムの館長は生方氏が就任すると思っていた。もっともご高齢だから、せめて名誉館長として名を連ねると思っていた。

■ロマンスカーミュージアムは、ロマンスカーのテーマパーク

 小田急電鉄は1923年に創立され、1927年に新宿〜小田原間を一気に開業した。2021年は創立98年、開業94年にあたる。本来は開業100年記念行事としてロマンスカーミュージアムを添えたかったかもしれない。それを早めた理由は、前述の通りの車両基地の都合と、もしかしたら背景に「生方氏がお元気なうちに開館テープカットをお願いしたい」という気持ちがあると思っていた。

 私が鉄道ライターとしてそういう美談が欲しいという気持ちもある。しかし、ロマンスカーミュージアムに生方氏の名前はない。3000形、3100形だけが彼の名を覚えているようだ。

 ロマンスカーミュージアムの1階には「ロマンスカーアカデミア1」という小さな部屋がある。そこの壁に小田急電鉄の年表があり、部屋の中央には下北沢駅地下立体交差の完成予想模型がある。これらも興味深いけれど、約100年の小田急電鉄の歴史と技術を紹介するには小さすぎる。結論として、ロマンスカーミュージアムは、ロマンスカーのテーマパークであり、小田急博物館ではなかった。私が過度の期待をしただけだったようだ。

■2017年の「怪文書事件」

 私と生方良雄氏の出会いは2017年だ。当時、小田急社員の内部告発と思われる怪文書がネットで話題になっていた。怪文書は「小田急電鉄は新社長の方針により、すべての保存車両を解体処分する方針」という内容で、廃車のための回送日、解体業者引き渡し日も記された。これは当初、社員有志と小田急OB向けに郵送され、そのうちの誰かが匿名でネットに流した。鉄道ファンが騒然となった。

 この事態を収拾するために動いた人物が生方良雄氏だった。当時91歳。真夏のような暑い日に、新宿のデパートの喫茶店で面会した。私は彼がそれほど高齢とは思わず、こちらからお宅に伺うべきだったと後悔した。しかし生方氏はとても元気で、「新社長は車両部出身。記念すべき車両を壊すはずがない。近々、面会して真意を聞く」と意気込んでおられた。

 結局、小田急広報から「限られた事業用地内で、より多くの車種を残すため、同形式の7両のみ解体、15両を保存」という方針が伝わってこの騒動は終息した。

小田急電鉄「保存車両全車解体」デマの教訓:杉山淳一の「週刊鉄道経済」 - ITmedia ビジネスオンライン
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1707/07/news027.html

 後に、ロマンスカーミュージアムの構想は10年前からあったと公式発表された。2017年の車両移動、一部解体はその方針に沿ったもの。怪文書の主の杞憂だったことになる。

■性能に納得しない気持ちが原動力に

 現在、生方氏は95歳。COVID-19の懸念もあり外出は控えているという。小田急広報によると「このような社会情勢で、生方先生に心身のご負担をかけてはいけない」という配慮があったという。

 しかし生方氏はお元気なようだ。ロマンスカーミュージアムの開業についてメールでご様子をお伺いしたところ、2度も長文の返信をいただいた。

「小田急ミュージアム構想は昔からありました。しかし、一向に社内決定されず、車両部は喜多見基地が地下車庫で保存に適しているとして、何両か保存していました。車両保存については、客集めのためロマンスカーのみ保存しろという意見もあれば、技術的に大きく変化した一般車でも保存すべきだという意見がありました」(生方氏)

 小田急史でも画期的な一般車として、2200形と9000形が挙げられる。2200形は従来の吊り掛け式駆動とは異なり、カルダン式駆動へ変わった転機となる車両だ。吊り掛け式は、モーターの軸と車軸を平行に配置して、ギアを介して駆動する方式。カルダン式はモーターと車軸を自在継手(カルダンジョイント)で接続する方式だ。カルダン式は車軸への負荷が小さく、電車の高性能化に大きく貢献した。9000形はブレーキ制御方式が従来の電空協調制御(電気ブレーキと空気ブレーキを連動させる)から、チョッパー制御(回生ブレーキ)に変わった。この2車種は小田急の電車の歴史的転換点と言える。

 2017年の広報談話によれば、この2車種も1両ずつ保存されているはず。しかし、ロマンスカーミュージアムには収容されていない。小田急と言えば「アイボリーホワイトの車体に青い帯」を懐かしむ人もいると思うけれども……。

「古い図面や資料などの保管、さらに博物館法にもとづく博物館として司書や学芸員を配置するものまでいろいろ意見がありました。今回はその中途半端な形で私は不満です」(生方氏)

 ロマンスカーについても、歴史を追うと解釈が分かれる。私にとってロマンスカーは「展望席がある電車」だけど、ロマンスカーミュージアムではSE車、高性能連接車体を起源としているようだ。しかし、生方氏の著書『小田急物語』(多摩川新聞社)によると、小田急が公式にロマンスカーと宣伝した電車は1949年の1910形からだ。ロマンスカーの由来は2人掛けの座席を採用したからで、映画館では2人用座席をロマンスシートと呼んでいた。

 生方氏はさらにさかのぼり、戦後に新宿〜小田原間をノンストップで走った1600形がロマンスカーのルーツだという。ただし1600形はロングシートに布のカバーを掛けただけ。1951年に登場した1700形は、すべての座席が2人掛けの転換クロスシートになって、ようやくロマンスカーの体裁が整った。それでも生方氏は性能に納得していなかった。その気持ちが3000形SEを誕生させる原動力になったといえそうだ。

■公的支援制度を拡充し、真の小田急博物館を

 生方氏のメールは続く。すこしだけ文章を整理するに留めて、彼の思いを記したい。

〈知人から報道公開の写真を見せていただき、ロマンスカーミュージアムの内容はわかっているつもりです。実は私は、車両保存は積極的賛成でしたが、昨今の鉄道系博物館のような、こどもの人気をネタに人集めを行い入場料金で運営費の一部をまかなうという考えには反対でした。鉄道文化の歴史保存、沿線地域と鉄道の100年ちかくの共存と発展の歴史の保存は、企業として当然行う責務と考えます。

 棚田や白川村の保存をNPOなどが一生懸命やっているように、企業も自ら資金を集め、国もこうした活動を税制面などで考えるべきと思っております。したがってミュージアム開館、即賛成という気持ちではありませんが、これを機に(車両や企業文化などの)保存について社会全体で考えて欲しいと思っております〉

〈企業が、一般公開せずに過去の技術を保存し、一般公開せずとも後世に伝えようとしている例は、工業界には沢山あります。本来なら国鉄(JR)、私鉄、軌道ともども各社が共同で保存に務めるべきです。国が技術史保存のため費用を援助するとか、税制の特例を認める。そうすれば入館者から入場料をとらなくても済みます。

 しかし、大阪城や熊本城も入館料をとっています。歴史的保存物です。日本では歴史的保存物の範囲すら明確にしていません。青色発光ダイオードのようなノーベル賞クラスのものも(後世に振り返れば技術遺産になるはずで)あり、どこまで国が援助するのか。文豪が住んでいた居宅などの保存は、市町村が援助するか一般の寄付に頼るか。そのクラス分けも曖昧です。

 企業の保存事業を脇でみていると、ある程度は自力で行えるでしょう。しかし、もともと企業は収益を上げるためにつくられたものだけに、不景気になれば尻つぼみになるのは当然です。そうなれば、車両保存展示は企業に力があるときの誘客宣伝のためになりがちです。やはり第三者機関や国が目を光らせるべきでしょう〉

 ロマンスカーミュージアムは楽しい施設だ。これは間違いない。しかし、小田急内部にはもっと重要な鉄道資産が眠っているようだ。2200形や9000形の展示を含め「真の小田急博物館」が設置できたらいいな。これからの小田急電鉄の企業活動に期待したい。

写真=杉山淳一

(杉山 淳一)

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