「パンツはなんでもいい」藤井猛九段と行方尚史九段が、米長道場で切磋琢磨していたころ

「パンツはなんでもいい」藤井猛九段と行方尚史九段が、米長道場で切磋琢磨していたころ

行方尚史九段(写真左)と藤井猛九段

 藤井猛九段と行方尚史九段は、ともに1986年、プロ棋士の養成機関である奨励会に入会しました。棋風も性格も対照的な二人は、以来、友情を育んできました。

  文春将棋ムック『読む将棋2021』 に掲載されたルポ「藤井猛と行方尚史、二人は戦友」の番外編として、荻窪の居酒屋での対談を読者にお届けします(この対談は2020年3月14日に行われたものです)。

■これからという時代だった

 小雪の舞う荻窪で、藤井猛九段と行方尚史九段が馴染みの居酒屋で語っています。話題は、藤井九段が奨励会に入ったとき、誕生日が2日しか違わない羽生善治九段がすでにプロデビューしていたこと。行方九段が「そんな現実、僕なら絶望しますけどね」と発言した。

藤井 俺からすれば、なめちゃんたちの世代の方が厳しいと感じるね。ちょっと上に“羽生世代”がいるんだから。

行方 結果的に、そうなっちゃいました。いつの間にか超えることができずに……。

藤井 屋敷さん(伸之九段)、丸山さん(忠久九段)もいて層が厚かった。

行方 羽生さんたちがいたから、将棋界は賑やかになりましたけども。

藤井 あの頃は、夢があったよね。まだ将棋界が整備されていなかった。戦術から勉強方法まで未発達な状態で、棋士という存在もこれからという時代でした。

行方 いろんな棋士がいましたね。裸足で対局に来る人とか(笑)。

藤井 いたね(笑)。裸足でコンビニのビニール袋下げて、前の日にどこに泊まっていたのかも怪しい人が。片や大山先生(康晴十五世名人)のような立派な方までいて、個性の差が大きかった。谷川先生(浩司九段)の存在が凄かったし、そこに羽生さんも出てきて。そういう時代を知っているから、僕は藤井聡太君(二冠)の出現にもそれほど驚きがなかった。

行方 でもあの時代を通って、ある意味将棋界が整備され過ぎてしまった気がします。

藤井 そうね、だいぶね……。当時はまだ研究会をやるのを好ましく思わない風潮もあった。島研(島朗九段が主宰した羽生世代との研究会)の人たちがあまりに強すぎたので、関係なくなってしまったけど。

■米長道場のチラシに「パンツは何でもいい」

藤井 米長先生(邦雄永世棋聖)が当時バリバリのA級棋士で、今でいうと佐藤(康光)会長みたいな感じかな。自分の家の隣の空き家を買いとって、そこを開放して、棋士、女流棋士、奨励会員、誰でも来て将棋指していいと。チラシを配って、来るものは拒まずみたいに。

行方 奨励会の例会のときにチラシをもらいました。

藤井 俺なんか米長先生の記録をとったときに「君もよかったら」って、渡されたんだから。僕は三段だったんだけど、「ぜひ参加させていただきます」と。読むといろいろ書いてあって、「靴下だけは履き替えてこい。ただしパンツは何でもいい」とか(笑)。ありがたい話でした。当時はホープ研(藤井が中心の研究会)ばかりで、棋士と指す機会なんて、まずなかったから。

行方 なかった。藤井さんは三段だからわからないけど、僕はまだ1級とかだから、棋士と指すことはなかったです。

■「棋士」はありがた過ぎて半年くらい行けなかった

藤井 僕は他の研究会もやっていたけど、棋士は入ってなかった。米長道場が開かれたのは平成2年。僕が四段になったのが翌年だから、開かれたのは約1年間だったと思う。多いときは数十人が集まっていた。

行方 日曜日にはトーナメントもやっていましたよね。

藤井 常連とたまに来る人とに分かれていた。

行方 僕は最初、ありがた過ぎる話だから疑っちゃって、半年くらいは行かなかったんですよ。

藤井 えっ、そうだったの?

行方 奨励会の例会のときにチラシ配られたけど、半年くらいは……。その後に藤井さんから聞いて良さそうな雰囲気だったので。

藤井 俺だってそんなに積極的な人間じゃないから、一人で行くとは思えない。誰かと一緒に行ったはずだけど、なめちゃんとじゃなかったのか?

行方 一応、僕は大山門下なので(笑)。先生がご健在だったので、気を遣うかなと。

藤井 大山門下だから、米長先生はなめちゃんと仲良くしたかったはずだよ。

行方 ハハハ、結局行ったらものすごく良くしていただきました。

藤井 大山先生が一度いらしたときがあった。「弟子がお世話になっています」と言って。そのシーンはよく覚えている。

■米長道場がなかったら、もっと出世が遅かった

行方 森下さん(卓九段)と小野さん(修一八段・故人)がまとめ役みたいな感じでしたね。中川さん(大輔八段)、丸山さんは常にいる感じだった。あと桐谷さん(広人七段)もよくいらしていて、僕は対局して自信を付けさせてもらいました(笑)。

藤井 俺は最初、丸ちゃんと行ったのかな。その頃だと中川、丸山ラインかも。

行方 藤井さんが常連になったというので、僕も行き始めたと思う。木村君(一基九段)は家が遠かったから来てなかったですね。先崎さん(学九段)は、まずいなかった。

藤井 見かけたときは庭で焼肉やるときだけだったような気がする。

――どうしていなかったのでしょう?

行方 単純に将棋のお勉強がお好きでなかったのかと(笑)。あと米長先生は「羽生も門下生だ」と言っていましたが、羽生さんが来たのは新年会にゲストで呼ばれたときくらい(笑)。新春10秒将棋大会が行われて、羽生さんが15勝2敗で優勝したけれど、そのうちの1敗は僕がつけたものです。奨励会時代の数少ない自慢で、17歳初段の時でした。今にして思えば、米長道場がなかったら、僕はもっと奨励会の出世が遅かったと思います。

藤井 強い棋士と一緒にいるだけで全然違うから。あの場の空気に触れただけでも大きかった。なめちゃんとホープ研でやっているだけじゃ物足りないものがあったよな。

■「俺がまったく聴かないような曲ばかり」

藤井 いかんせん、趣味が合わないよね。俺はアイドルの曲しか聞かないから。なめちゃんには、「はあー」って見下される感じだった。

行方 僕は国分寺の藤井邸に行ったときは、必ずレンタルCD借りて、それを藤井邸でカセットテープにダビングして帰るという……。僕はラジカセしか持っていなくて、CDデッキがなかった。

藤井 俺がまったく聴かないような曲ばかりだった。

行方 RCサクセションとかダビングして。

藤井 小説にしても僕は大衆娯楽小説とかしか読まないから、大抵バカにされていた。

行方 当時はそういう話をよくしましたね。思春期だったから。僕が20歳過ぎた頃から、あまりしなくなった。

藤井 うちは狭いから将棋を指したことはほとんどなかったよね。

行方 あまり指した記憶ないなあ。

――藤井九段がお姉さんと住んでいたときですか?

藤井 そうそう。僕の部屋は狭いし、布団が敷いてあるから。二人で将棋盤を出して指すような感じじゃない。

行方 それでも片付いている印象でした。僕の家が凄まじいから。全然整理整頓できないので。

藤井 テレビに出て来るようなゴミ屋敷だったな。

■思い出は牛糞の匂いと牛の鳴き声とともに

行方 僕んちで将棋指した記憶は2回だけです。

藤井 なめちゃんはよく引っ越したからね。

行方 なぜか部屋にめぐまれなくて。更新したことはほとんどない。

藤井 牧場の近くもあったね。大泉学園の辺りで、とても東京とは思えない雰囲気。

行方 すごい牛糞の匂いが。

藤井 駅からずっと臭いの漂うところを通って行方邸に行って、そこでVSをやった記憶がある。牛の鳴き声が聞こえてきた。

行方 住んで初めて「あれ?」ってなった。(青森県)弘前より田舎じゃねえかって(笑)。

■記録係は正座と長時間考える訓練

藤井 VSは連盟でよくやっていた。

行方 今と違って連盟の研究室や、地下のミーティングルームも使えましたからね。

藤井 将棋連盟に行って、空いている部屋でみんなで将棋を指していました。賑やかでしたよ。寝泊まりも自由だったし、酒を飲んでもよかった。

行方 僕は記録をとった後に、米長先生に「君も来なさい」と言われて。A級最終局の打ち上げを5階の「香雲」でやっていたんですよ。みんなで車座りになって中根寿司食べながら酒盛りしていました。

藤井 当時は情報が少ないから、現場で吸収するしかなかった。棋士の話を聴けるのはとても大きかった。

行方 今は記録とらない子の方が多くなっているから。

藤井 記録は全部自分のためでした。正座の訓練と、長時間考える訓練。ミスして怒られても、四段になるための修行と思ってやっていた。棋士になるつもりなら、怒られても悪い気持ちじゃないと思うんですよ。でも仕方なくやっている子は、ムカつくでしょうね。

行方 昔は“藤井猛専属記録係”と呼ばれる子たちが、3人くらいいましたね。今はそういう話を聞かなくなった。

藤井 最近は注意しても不本意という顔をされる(笑)。

行方 記録をとっても、終局が遅くなると先に帰るのを連盟が推奨している。感想戦を観ずに、終電の前に。

■「感想戦」は意味がないと思われている?

藤井 我々はその日は泊まって徹夜で将棋指したり、話したりするのが楽しかった。腹が減るとホープ軒でラーメン食って。しかし、それを言ったら今は俺も奨励会員に「先生も感想戦やらないじゃないですか」と言われてしまうけど(笑)。頭にカーッと血が上っているときに、隣が対局中だったら別室に移動するというのが耐えられない。その場でならまだしも、別室で初手からやっていられないですよ。昔は隣が対局中でも、みんな平気で感想戦をやっていました。その頃はソフトなんてないから、その場でやらないとわからないんだよ。

行方 観戦記者のためにやっても、記者もソフトで調べるから、感想戦の意味がないと思われているんじゃないかな。羽生さんは感想戦が大好きだった。

藤井 俺も大好きでしたよ。2時間くらい平気でやっていたし、それが当たり前だった。

行方 僕は椅子席移行も反対なんですよ。公開対局は別としても、そんなんじゃ何の情緒もない。

藤井 でも、我々だけなんじゃないの? こんなことに怒っているのは。

■だらだら飲んで勝つって「逆に偉い」

(行方九段はだいぶ酔いがまわってきました。藤井九段はお酒が飲めないので、ずっとジンジャーエールです)

行方 藤井さんが僕の妻に「なめちゃんは酒を飲まなかったらもっとやれるんじゃないか」と言ってくれた。

藤井 そんなこと言った記憶ないな。俺がなめちゃんに「酒を控えたら」なんていうわけないじゃん。昔観たジャッキー・チェンの『酔拳』が好きだから、なめちゃんは飲めば飲むほど強くなると。飲みながら指したら多分一番強い。将棋酔拳。酒を控えたら強くなるなんて、そんなベタなこと俺がいうはずない。だって、控えたら勝率上がったわけじゃないでしょ?

行方 うん。

藤井 よくこんなダラダラ飲んで、将棋で勝つもんだと思って。普通はもっと節制しないと。大体、私は将棋勝てないと今の生活が良くないんじゃないかと考えますよ。起きる時間を早くした方がいいんじゃないか。食事する部屋を変えた方がいいんじゃないか。将棋の本は我々にとって大切なものだけど、あまりに勝てなかったときに、自分の本以外全て捨てたんです。何かを変えなきゃだめだと思って。負けだすとそういうことを考えて、いろいろやってみました。40歳くらいから、その繰り返しですよ。でも、なめちゃんはずっとこんな感じだから。逆に偉い。なめちゃんは偉い。

行方 なんか変わんない。

藤井 俺もなめちゃんに負けず劣らず遅刻魔だったけど、あるときから絶対やめようと。ちょっと早めに家を出ればいいだけだと気がついたから。最近は一番乗りです。僕が来てもまだ誰も来ていない。

(行方九段、酔って半分寝ちゃいました)

藤井 こういう状態のときって、頭の中はどうなっているの? 俺がなめちゃんの悪口言ってもわかんないのかな?(笑)

写真=野澤亘伸

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(野澤 亘伸)

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