森友公文書改ざん「亡くなる前の晩に電話があったんです」赤木俊夫さんの義母が語ったあの日のこと

森友公文書改ざん「亡くなる前の晩に電話があったんです」赤木俊夫さんの義母が語ったあの日のこと

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森友問題「どういう過程で改ざんをやったのかが全部わかる」元上司が明かした“赤木ファイル”の存在とその行方 から続く

 森友学園との土地取引を巡り、公文書書き換えを上司に強制されたことを苦に自ら命を絶った財務省近畿財務局の元職員・赤木俊夫さん(享年54)。2020年3月、赤木さんが遺した痛切な手記が週刊文春で公開され、大きな反響を呼んだ。

 「助けてあげられなかった」そう語るのは俊夫さんの義母。俊夫さんを理不尽に失った家族が初めて胸の内を明かした。赤木雅子さんとジャーナリスト・相澤冬樹氏による『 私は真実が知りたい 夫が遺書で告発「森友」改ざんはなぜ? 』(文藝春秋)の一部を抜粋して紹介する。(全2回の2回目/ #1を読む )

■親族の思い

 俊夫さんが亡くなった翌日、自宅を訪れた楠氏の「遺書を見させて」「マスコミは怖いですよ」という発言を録音していたのは、当時17歳だった甥っ子の1人だった。彼が機転を利かせてスマホで一部始終を録音していたおかげで、今、その時のやり取りが細かくわかる。そして実家のお母さんは俊夫さんにとって義理の母だが、手記で「私の大好きな義母さん」と触れるほど仲が良かった。

 雅子さんの実家の家族は、俊夫さんに起きたことをどう思っているのだろうか? お母さんと兄夫婦、それに3人の甥っ子たちの一家は、岡山県内で暮らしている。コロナの問題があったため、私はスマホを通しテレビ電話で実家のご家族と話をした。それまで俊夫さんの実の父が報道各社の取材に応じたことはあるが、雅子さんの実家の家族が取材に応えるのは初めてだ。

 トップバッターは最年少、兄の三男(13)。雅子さんの末の甥っ子にあたる。俊夫さんに書道の指導を受けている写真が残っている。

「初めて習字をしたのは神戸(赤木さん夫婦の自宅)に行った時です。幼稚園でした。それから書道を習うようになりました」

「いつも笑ってるイメージでした。優しかったけど、書道を教えるときはちょっと厳しい。道具の使い方を優しく教えてくれました」

 続いて2番目の甥っ子(15)。年齢が若い順での登場だ。

「プールに泊まりがけで遊びに行ったことをよく覚えています。楽しいおじさんでした。亡くなった時はとても悲しかった」

 そして1番上の甥っ子(19)。録音をしたのは彼だ。なぜだったのか?

「おじさんが亡くなって病院から帰る時、おばさん(雅子さん)が『深瀬さんだけが信用できる』と話していたんです。と言うことは他の人は信用できないということでしょ。財務局のことでこうなったんだから財務局の人は信用できない。その頃テレビで、裁判なんかになったら録音が大事だと放送していたんです。豊田さん(元秘書への暴言が報じられた豊田真由子元衆議院議員)のことです。あれも録音していたからわかったわけでしょ。だから録音しようと思いました」

■「誰もあいさつもなく名刺もくださいませんでした」

 誰かに事前に相談したのだろうか?

「いや、自分で決めました。財務局の人たちが帰った後、すぐに(大人たちに)録音したと言いました」

「おじさんは父(雅子さんの兄)とすごい仲が良くて、ふざけあって趣味が合って、そんなに離れた親戚という感じじゃなくて近かったんです。思い出はいろいろあります」

 次は甥っ子たちの母、つまり兄の妻(49)だ。実は雅子さんと同い年。幼稚園から中学まで同じだったという。

「俊夫さんには感謝しかありません。子どもたちと全力で遊んでくれた。叱る時もちゃんと叱ってくれた。何でも全力投球でした」

 岡山で行われた俊夫さんの葬儀で受付を務めた際、参列した財務局の人が誰も記帳しないことに気づいたのは彼女だ。

「20人くらい来ていました。その中のお一人が『記帳は?』と言ったら、深瀬さんが『記帳はしてないから』と言って、結局誰も記帳しなかったんです。でも記帳は受け付けていたんですよ。財務局の人は誰もあいさつもなく名刺もくださいませんでした。おかしいと思ったんです」

 次は、俊夫さんとすごく仲良しだったという雅子さんの兄(54)。最初の出会いから尋ねた。

「うちへ妹(雅子さん)が連れてきて、両親と私が会いました。震災(阪神・淡路大震災)の少し前でしたよ。仕事の内容はようわからんが、難しいことをしてるんじゃろう。でも偉ぶらんし、力がある、元気がある。(普通の人とは)ちょっと違うと思いました。最初の印象に間違いはなかったですね。年は私より2つ上だけど、妹の夫だから、私のこと『あーちゃん』と言うてくれてね」

 あーちゃんとはこの地方で兄のことを指すという。この兄も、俊夫さんの死の翌日に訪れた財務局の人たちの対応に不信を感じていた。

■亡くなる11日前

「探りに来た感じがしました。雰囲気と言うか臭いと言うか。弔問なんだけど、口封じという印象ですね。『マスコミに気をつけなさい』『1回(情報を)出したら大変なことになります』と、そんなことばかり。名刺はいっさい置いていかなかった。玄関まで送った時も最後までマスコミのことを言っていました。私は本音では『トッちゃんは死んだんやなしに殺されたんや』と思ってましたけど、財務局の人には『表立って何かすることはありません。アドバイスに沿います』と答えたんです。急に敵に回したら怖いじゃないですか。妹がどうなるかわからんし、それが一番怖かったんです。(手記は)ずっと表に出さんと思っていたけど、妹の気持ちが一番じゃから。応援せにゃいけん。その辺は女の方が強いですね」

 そしていよいよ「大好きな義母さん」、雅子さんの実母(78)の登場だ。俊夫さんの印象は?

「ほんとに優しい。娘をすごく大事にしてくれた。何も言うことはありません」

 表情からも感謝の気持ちがほとばしっていた。活動的で、赤木さん夫婦とよく一緒にいろんなところへ出かけたという。改ざんのために俊夫さんが初めて呼び出されたあの日も一緒にいた。

「梅林公園にいてね。いきなり『出ていかにゃいけんから』言うて、急いで出かけていった。仕事のことは何も言わんから。でも普通の様子でした」

 その時はまだ、まさか公文書の改ざんを命じられるとは知らなかったのだ。

 亡くなる11日前、2018年2月24日。赤木さん夫妻は岡山でお母さんと兄一家と会食している。その時の俊夫さんは以前の明るさがすっかり影を潜め、暗くうつろな表情をしていた。巻末の俊夫さんの略歴の上の写真はこの時のものだ。

「あの時はもう、遠ざかって逃げる感じでした。影が薄い感じ。やせてたしね」

 会食に同席した親族全員が同じことを感じていたという。その時に撮った写真が、俊夫さんの生前最後の写真となった。

 では、死の前日に話したことは? 休職中だった俊夫さんだが、翌日はテスト出勤する予定になっていた。

「亡くなる前の晩に電話があったんです。『あしたは仕事じゃないんじゃ。検察じゃ』と言ったと思います。長くは話さずに終わりました。後で思ったのは、普通は仕事に行ける言うたら(病気が)少し楽になったと(私が誤解して)思うから、そうじゃないんじゃ、検察じゃ、と言いたかったのか……その時は意味がわからなかった」

■「トッちゃんが亡くなった」

 翌日、お母さんは友人と関西方面に旅行に出かけた。しかし俊夫さんの様子が気になって楽しめなかったという。

「(友人に)『おもしろないことあって、ごめんよ』と言ったんです。その時はもう(俊夫さんは)亡くなっていたんでしょうね」

 帰る間際になって「トッちゃんが亡くなった」と電話で知らせが入った。

「かわいそうでしようがない。私は最初から『トッちゃんは殺されたんじゃ』思って。財務省が殺した。葬儀の時『助けてあげられなかった』と謝りました」

 そして我慢してきた思いがあふれ出した。

「財務省の中へ鉄砲持って入りたかった。片手じゃなく両手に持って。そんなこと思うくらい、憎くて仕方ない……」

 スマホの向こうの表情に、やるせない憤りがみなぎっていた。

 私は最後にもう一度、雅子さんの兄に尋ねた。

 ―そちらは保守的な土地柄ですよね。雅子さんは若い頃から自民党支持だったと話していますが、皆さんもそうですか?

「ええ、そうです。ずっと地元の加藤さん(編集部注:現在の加藤勝信官房長官)に投票しています。これからも変わらないでしょう」

 奇しくも加藤氏も財務省の前身、大蔵官僚出身だ。岡山が地元の故・加藤6月元農水相の秘書を務めた後、女婿となり、地盤を継いだ。

 雅子さんの兄は長年の自民党支持者として、妹の思いに向き合おうとしない今の政権のありように不満を隠さなかった。

「今の政権の人たちは、戦後日本を作ってきた自民党の先輩方に対して申し訳ないことしとると思ってもらわにゃならんと思います」

 そんな、日本を動かしてきたトップエリートたちに訴えたいことがある。

「トッちゃんは国鉄からの転職組で、佐川さんのような生え抜きのエリートやないけど、志は本当に、日本国を代表して世界に誇っていい公務員だと思うんです。それを安倍さんの口から言ってもらいたいんです」

 この言葉。自民党を支持し続けてきた遺族のこの言葉を、安倍首相はどう受けとめるのか? それでも「再調査はしない」と言うのだろうか?

■あの頃の夫に言ってあげたいこと

 この本が発売される7月15日、赤木雅子さんの裁判が始まる。法廷での闘いが始まる。雅子さんが読者の皆さまに寄せたメッセージをご紹介して、この本を締めくくりたい。私は最後の一文に泣いた。

 夫は『水戸黄門』が好きでした。最後の「助さん、格さん、もういいでしょう」という台詞を、寸分違わず黄門様と一緒に言う得意そうな顔が忘れられません。

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 今の政権がもしドラマになるとしたら、大河ドラマではなく水戸黄門。それも悪代官に安倍さん、越後屋役に麻生さんがしっくりきます。じゃ、誰が黄門様なの? 政治家の誰か? 裁判官? もしかして文春?

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「いつか正直者が勝つ」という黄門様が好きでした。夫も改ざんに手をつけていなかったら、知っていることを公にして退職し、苦しいけど第2の人生を見つけられたかもしれません。それなら、せめて夫の残した手記を公表したい。亡くなった日、手記を見つけてから、ずっと思っていました。

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 私は物事を深く考えることが苦手で、計画性もなく直感だけで生きてきました。でも直感には自信があります。夫のことをいちばん理解してくれそうで、大きな組織、嫉妬深い男の社会に苦慮した大阪日日新聞の相澤さんに手記を託そうと決めました。直感はヒットしました。

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 手記は大きく報道され、訴訟をすることになり、真実を知りたいという再調査のお願いには35万人を超える方が署名してくださいました。手書きの署名をしたいとご連絡もいただきましたが、お気持ちにお応えできず申し訳ありませんでした。また、全国の方から温かい手紙をたくさんいただき不安でいっぱいだった私に勇気をくださいました。応援してくださった皆さま、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。こんな事になるなんて、あの頃の私たち夫婦には想像できませんでした。

 ドラマの続き。現代の水戸黄門は実は安倍首相と麻生大臣で、密かに再調査を進めていたという話になれば、もっといいドラマになると思います。期待薄とは思いますが。

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 本を読んでくださった方の人生にも、色んなドラマがあると思います。今、どうにもならないと思っていても、時間が経てば良い方向になることがあります。

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 あの頃の夫にも、そう言ってあげたいです。

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(相澤 冬樹/週刊文春出版部)

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