“君には重度の精神障害があるんだよ”“教会を治められると?” 牧師が直面した精神科病院退院後の差別の実情

“君には重度の精神障害があるんだよ”“教会を治められると?” 牧師が直面した精神科病院退院後の差別の実情

写真はイメージです ©iStock.com

「あなたを正確に診察することができません」牧師の私が精神科病院で伝えられた“思いもよらない発言”の真意とは から続く

 高校を中退、引きこもった後に高卒認定試験を取得するも、受験浪人中に阪神淡路大震災が発生。かろうじて入った大学も中退し、再び引きこもる……。そんな紆余曲折を経て、関西学院大学大学院神学研究科博士課程前期課程を修了、伝道者の道を歩み始めた牧師の沼田和也氏。しかし2015年の初夏、職場でトラブルを起こし、精神科病院の閉鎖病棟に入院することになる。

 ここでは、同氏が閉鎖病棟で過ごした2ヶ月間の入院生活を振り返った著書 『牧師、閉鎖病棟に入る。』 (実業之日本社)の一部を抜粋し、退院後に受けた差別の実態を紹介する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

◆◆◆

■2度目の失業。それでも自身への信頼があった。

 退院してハッピーエンドであったのか。そもそもわたしの人生は終わっていないので、少なくともエンドではない。それに、人生のある局面をもってして、幸福なのか不幸なのかを決めるということを、できればわたしは、したくない。

 最近、ツイッターで差別の問題が取り扱われることが多いが、そういえばわたしも退院後、忘れがたい言葉を投げかけられたことがある。それがわたしへの差別だったのか、それとも、わたしへの────わたしには到底そうは受け取れなかったのだが────思いやりだったのかは、よく分からない。

 わたしは精神科病院を退院したあと、教会を辞めて郷里へ帰り、しばらく妻と仮の住まいで過ごした。失業したのはこれで二度目だった。一度目の失業は最初の任地を辞めたとき。新婚早々、見知らぬ土地に「嫁いできた」も同然の妻が、慣れない生活でとうとう心身を病み、倒れて精神科に入院。わたしにとって身近な人間が精神科に入院した、初めての体験であった。わたしは彼女の看病のことを考えた末、その教会を辞任した。その後続いた初めての失業は、それはもう不安なことこの上なかったものだ。しかし今回は二度目の失業。しかも主治医との厳しい対話をとおして自己の内面を深く覗き込んだあとのことである。だからわりと平気だった。むしろ後悔なくやり遂げた感じさえしていた。「これからなにが起こっても大丈夫、受けとめられる」という自身への信頼のなかで生活していた。

■患者と向き合うことに疲れ切った精神科医

 わたしは仮住まいの家から二時間近くかけて、電車を乗り継いで精神科の診療所に通った。もっと近くにいくらでも精神科はあったが、知人の勧める診療所でもあり、信頼していた。だが初めて行ったとき、わたしは診療所の暗さに驚いた。待合室が暗いというだけではなく、当の医師自身が疲れ切って暗かった。彼の「疲れていた」というのは、肉体的な疲労だけを意味しない。この医師は患者と向きあうこと自体に疲れ切っていた。わたしとの対話を決して諦めなかったかつての主治医とは対照的に、この医師は患者に対して絶望していた。彼は患者が回復することへの、いかなる期待も持っていない。そのことが、彼の投げやりで事務的な態度から分かった。

 わたしの初診の折、医師はわたしへの聴き取りを、臨床心理士になる(あるいはなりたての)実習生二人にすべて任せた。彼女たちの「なるほどぉ、そうなんですねぇー」という相槌に頼りなさを覚えながら────実習生なんだから当たり前であり、仕方がないのだが────わたしはとりあえず経緯を話したものである。

 別室で実習生にひとしきり話したあと、わたしは診察室に入った。医師はいきなりわたしの前で、レキソタンをコーヒーでぐっとみ込んだ。驚くわたしを察したのか、

「いやね、しょっちゅう飲んでいるんですよ。落ち着きますからね。気にしないでください」

 そんな彼を見ながら、わたしは自分が入院していたときの主治医が「レキソタンには依存性があるから、あなたには処方しない」と語っていたのを想いだしていた。

 それでもわたしは、何度かその診療所に通った。別の実習生が来るたびに、わたしは臨床心理士の卵に一から同じ話を繰り返さなければならなかった。医師はといえば、わたしの話を聞く気などまったくない。「精神科医なんてね、まあこんなもんですよ。ほんと疲れますわ」と、冗談のつもりなのか、自虐的に言ったりした。わたしは苦笑いを噛み殺しながら、初任地で妻の治療にあたった院長の言葉を想いだしていた。彼もまた、なかば自暴自棄にわたしに言ったものだ。「精神科医にはな、自殺するやつもけっこうおるんやぞ」。そうか、彼らもまた……。

■信頼する先輩も、仕事復帰は無理と決めつけた

 ある日、珍しく彼が医師らしい問いかけを、わたしにしてきた。

「あなたはこれから、どうなさりたいですか?」

 わたしはやや間をおいて、答えた。

「もういちど、牧師がしたいです。ゼロから再出発してみたい」

 すると医師は、きょとんとしてわたしの顔を覗き込み、こう言ったのだ。

「精神障害のあるあなたが責任のある仕事ができると、本気でお考えですか?」

 わたしはキレなかった。そうか、ほんとうに傷つくことを言われたときは、キレるのではなく黙り込んでしまうのか ──── その診療所には二度と足を運ぶことはなかった。

 その後もいろいろあったのだが、長くなるので省略する。やがてわたしは、現在働いている教会を紹介されることになった。牧師が赴任するための一連の手続きもほぼ終わり、あとは引っ越すだけという段階となった。わたしは信頼していたあるベテラン牧師と連絡をとり、任地が決まったことを報告しに行った。苦労したが、ようやく落ち着き先も決まったのだ。彼なら精神医療や心理学にも詳しいし、わたしの味わった苦労についても、他の牧師よりずっと理解してくれるはずだ。

 わたしは電車のなかで先輩になにを話そうか、先輩はどんな顔をするだろうかと喜々としていた。先輩の教会を訪ねると、彼は優しい笑顔で迎えてくれた。「いい店があるから、そこで話そう」。彼は趣味のよい喫茶店にわたしを誘った。

 わたしは前任地での心身を病むまでの苦労や、その後の治療の経過、そして今回の赴任地決定のプロセスなどを先輩に話した。彼は丁寧に耳を傾けながら、わたしの話を整理するフローチャートのようなメモを素早くとっていた。話すべきことは話したのち、沈黙が訪れた。わたしがコーヒーをすすっていると、先輩がおもむろに口を開いた。

「今回の招聘は、断ったほうがいい」

 わたしは耳を疑った。

「いや、もう決まっちゃってるんですけど?」

「でも断ったほうがいい。君には重度の精神障害があるんだよ。それで教会を治めるという、責任ある仕事ができると思うか?」

「そんな今さら! 断ったら大変なことになっちゃいますよ。ドタキャンじゃないですか。そんな不義理なことしたら、ほんとうにもう二度と、どこもわたしを招聘してくれなくなっちゃいますよ。だったら、先輩から先方にそう言ってくれませんか?『精神障害のあるこの人をお薦めすることはできません』って」

 だが、彼は言うのだった。

「それはできない。わたしにはその権限はない。あくまで君が、君の意志で断りなさい。『できません』と言うんだ」

 額のあたりから血が遠のいていく。

 それって、お前が赴任してもしもトラブルを起こしたら、我々の名誉に関わる。だから絶対に行くな。ただし泥はぜんぶ、お前独りでかぶれ ────そういうこと?

 そのあと、先輩となにを話したのかは覚えていない。わたしの任地決定を共に喜んでくれると思っていた、尊敬し信頼していた人。その人から突きつけられた、いや、突き放された言葉は、あまりにも冷たかった。まったく予想もしていなかった言葉が、わたしの深いところに突き刺さった。

 ────しょせんキチガイには、まともな仕事は無理なのか?

 どうせおれはキチガイ。面倒くさいわ、なにもかも。ここから挽回とか、駆け引きとか。そんな気の遠くなるようなことできるかよ。せっかく入院して、閉鎖病棟で苦しみながら自己を徹底的に見つめたのに、娑婆に出たらこれか。再起のチャンスなしか? あんまりやんけ。

■「赴任しなさい」と言ってくれた主治医

 だがわたしは主治医との対話を想いだした。キレてはいけない。こういうときこそ、静かに考えるのだ。わたしは考えに考えた。その際、入院していたときに得た知恵が役に立った。独りで抱え込むことは絶対しないという知恵である。入院したときの主治医とは退院後、そして転居のあとも、我が恩師としてプライベートに連絡をとり続けていた。わたしは彼に電話をしてみた。あれほどわたしの言動をことごとく批判し、わたしの内的な変化を促そうと医師としてのすべての力を注いだ彼は、かつての主治医としてわたしにこう言った。

「とんでもない! その教会に赴任しなさい。なにを言ってるんだその人は。無視しなさい」

 こんどは浮ついた喜びではなかった。静かな、深い想いが込み上げてくるのを感じる。そうだ、あれだけ自分は向きあったのだ。自己の醜悪な部分、そして弱さと。まだまだ成熟していない部分もあるだろうが、まずは受容もしたし、克服もしたのだ。ありのままの自己を受け容れたのでもあるし、ありのままの自己ではいけないと、頑張って矯正もしたのだ。わたしの診断された精神障害は、たしかに生涯つきまとうものである。けれども、それでも牧師はできる。きっとできる。やってみよう。

■「その教会に赴任しなさい」という言葉の真意

 主治医は三か月の閉鎖および開放病棟での入院ごときで、わたしの抱える問題のすべてが解決したとは思っていない。彼は、わたしが退院後にかかった精神科医や面会した牧師が「あなたのような精神障害者に責任者が務まると思うのか」と告げる程度には、わたしの障害が重いものであると分かっていた。ハッピーエンドはない。そうではなく、主治医が言いたかったのは、入院中に続けていた自己との対話を退院後も続けていけばよい、そうすれば牧師の仕事はじゅうぶんに務まる、そういうことだ。彼はそう判断したからこそ、わたしに「その教会に赴任しなさい」と言ったのである。たしかに彼はもうわたしの主治医ではなかったが、主治医としての責任を伴う言葉で、そう宣言したのである。

 人から嫌われるのが怖いとか、だから誰にも嫌われないようにしようとか、そんなことはもう気にすまい。イエスだって人々に尽くしたが、あんなに嫌われたではないか。誰にも迷惑をかけず、すべての人から好かれるなんてありえないのだ。迷惑をかけてかけて、さんざん助けてもらって、それでもどうしようもなくなったら、また無職になって郷里へ戻ろう。その後のことはそれから考えよう。とにかく今は、やってみよう。

 そしてわたしは、妻と引っ越しの荷物をまとめ始めたのだった。身近な人たちに応援され送り出されて、今の地に住み始めた。その後も多くの人々と出会いながら、助けられ支えられ働き続けて、この初夏で5年になる。

【前編を読む】 「あなたを正確に診察することができません」牧師の私が精神科病院で伝えられた“思いもよらない発言”の真意とは

(沼田 和也)

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