同い年の紀子さまと小室佳代さん 40歳直前に悠仁さまをご出産、金銭トラブル…共通する“並外れた強靱さ”

同い年の紀子さまと小室佳代さん 40歳直前に悠仁さまをご出産、金銭トラブル…共通する“並外れた強靱さ”

2017年9月3日、婚約内定会見での眞子さまと小室圭さん ©JMPA

「眞子さまの母と小室圭さんの母、そして私は同じ年に生まれた」というエッセイストの酒井順子さん。1966年生まれの紀子さまと小室佳代さんは、タイプは異なるものの、それぞれ並外れた強靱さを備えているように見えるのはなぜなのか。酒井さんが分析する。

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■紀子さま、23歳のご結婚は「早い!」

 川嶋紀子さんと礼宮さまとの婚約が内定したとのニュースが飛び込んできたのは、私が大学を卒業して会社員となった、1989年の夏のことでした。

 1989年は、昭和が終わり、平成になった年です。1月早々に昭和天皇が崩御されてから半年余り後、喪中の皇室から突如発表されたのが、お二人の婚約内定という明るいニュースでした。

 報道によれば、川嶋紀子さんは1966(昭和41)年生まれで、私と同い年。会社員生活に慣れずあっぷあっぷする毎日で、結婚など思いも寄らなかった私は、同い年の女性がもう結婚するという事実に驚きつつ、テレビで紀子さんを見ていたことを覚えています。

 お二人はその翌年に結婚し、「紀子さん」は「紀子さま」となりました。結婚の翌年には第1子の眞子さまが、その3年後は、第2子の佳子さまが誕生することになります。

 当時、女性が23歳で結婚することは早婚の部類に入りました。紀子さまの結婚当時、女性の平均初婚年齢は、25.9歳。「女性が25歳をすぎると、売れ残り」というクリスマスケーキ理論は、女性の平均初婚年齢が24歳代だった70年代の話です。

 特に東京の、それも4年制大学を卒業した女性に限って見れば、平均初婚年齢はさらに上だったはず。極めて私的な印象ではありますが、自分の周囲にいた東京の大卒女性達は誰も結婚しておらず、だからこそ紀子さまの結婚には「早い!」という印象を覚えたのです。

 もう一つ特殊な印象を覚えたのは、紀子さまが就職せずに結婚したという点でした。学習院大学を卒業後、紀子さまは同大学院に進学し、在学中に結婚したのです。

 我々が就職活動をしたのは、バブル景気の只中。空前の売り手市場であり、大学生は皆、さほど苦労せずに内定を得ることができました。

 さらには我々は、男女雇用機会均等法の施行から4年目に就職した、「均等法第1世代」になります。やる気がある女子学生は総合職として就職し、男子と同じ仕事をすることが可能だったのです。

 だからこそ私には、大学院に進学したとはいえ、就職せずに結婚した紀子さまが特異に見えました。語学も堪能な帰国子女だというのに皇室に入るとはもったいない、とも。

 クリスマスケーキ理論が生きていた時代の女性は、4年制大学を出ても就職が難しく、特に学習院のような大学においては、卒業後ほどなくして結婚する女性が多かったようです。すぐ結婚しなかった女性達は、結婚するまでの期間を「花嫁修業中」「家事手伝い」といった肩書きで過ごしていました。

 紀子さまの結婚は、その時代の女性の結婚のように見えました。

「上つ方は、世間の風に当たった女性とは結婚しないものなのか」

 と、私は世間の風を全身に受けつつ思ったもの。

 その後、浩宮さまが小和田雅子さんという、世間の風を知る女性と結婚したことにより、「上つ方の好みも色々である」と、私は知りました。働くことの充実感を知っているプリンセスと、社会に出ずに婚家へ入ったプリンセスという意味において、雅子さまと紀子さまのカラーははっきりと分かれたのです。

■紀子さまは40歳になる直前、悠仁さまをご出産

 紀子さまは40歳になる直前、悠仁さまを出産します。その時私は、「この方は単なる古風な女性ではなく、実は底知れぬ強さを持っている」と思ったものでした。

 雅子さまは、「ハーバード」「東大」「外務省」といった眩しい経歴を背負って浩宮さまと結婚し、皇室に新しい風をもたらしたけれど、婚家に適応することには苦労された。対して紀子さまは、社会を見ずに結婚したけれど、だからこそ迷いなく婚家の色に染まり、「嫁」としての役割に徹したのではないか、と。

 下々の世界においても、「個人としての私って?」といった懊悩とは無縁に、婚家の奥底まで躊躇なくダイブする「嫁」がいるものです。女形が本物の女よりも女らしく見えるように、そういった「嫁」は、次第にその家に生まれた人よりもその家の人らしくなり、最後には大きな権力さえ握ることになる。

 聖心女子大学を卒業した美智子さまもまた、就職せずに皇室に入った方でした。美智子さまの時代、4年制大学への女性の進学率は、2パーセント台。大学進学は、特別なエリートや上層階級の女性のみがすることでした。大卒女子が就職することはさらにレアケースであり、正田美智子さんもまた、実家から皇室へと嫁いだのです。

 結婚生活の中では様々な苦難があったものの、結果的には、婚家において最も「らしい」空気をまとうことになった、美智子さま。しかし美智子さまの時代は、女性は嫁業に徹するのが当然だったのに対して、紀子さまは女性が自己実現を求める時代に育ちながら、古風な方向で自分を生かす選択をしています。悠仁さまを出産した紀子さまに私が改めて感じたのは、時代に流されない強さというものだったのでしょう。

■奇妙なほどに重なっている紀子さまと佳代さんの人生

 しかしやがて勃発したのが、小室家騒動。眞子さまと小室圭さんの婚約内定報道の頃までは、「やはり紀子さまの娘、自分の道は自分で見つけたのね」と感心していたら、圭さんの母・佳代さんの金銭トラブルが明るみに出て、事態は風雲急を告げることに。

 その時に私が衝撃を受けたのは、小室佳代さんが紀子さまと同い年、つまりは自分とも同い年だということでした。映像で見る限りにおいては、失礼ながらかなり年上の人だと思っていた佳代さんもまた、1966年生まれだったのです。

 1966年は、丙午の年でもあります。60年に1度巡ってくる丙午に生まれた女の子は男を食い殺す、といった迷信のせいで、我々が生まれた年は前後の年と比べて、出生率がガクッと下がっている。

 産まれた人数が少ないので、その後の人生における競争も少なく、バブルもあって、就職活動も楽々。……ということで、我々はバブル崩壊後、「いつまでもバブル気分のまま」「使えない」と言われた世代です。

 しかし紀子さまと佳代さんという丙午の二人は、タイプは異なるものの、それぞれ並外れた強靱さを備えているように見えます。この強さは丙午のせいなのか?……ということで、「ひのえウーマン」との特集を組む女性週刊誌もありました。

 過去、不倫騒動で話題になったことのある斉藤由貴も小泉今日子も、「ひのえウーマン」。丙午の女はやはり強烈だということで、

「仕事も恋も強気に自分らしく! それが“ひのえウーマン”の生きざまなのだろう」

 と、その女性週刊誌には書かれていましたっけ。

 小室佳代さんは1966年に生まれ、神奈川県で育ちました。ちなみに8月27日に佳代さんが生まれた15日後の9月11日に、紀子さまは静岡県で誕生しています。

 佳代さんは神奈川県内の短大を卒業し、横浜市役所に勤務する夫と結婚します。第1子である圭さんを出産したのは、紀子さまの第1子出産と同じ1991年の10月ということで、二人の人生は奇妙なほどに重なっているのでした。

「 紀子さまと小室佳代さん 1966年、丙午生まれの私たち 」の全文は、「文藝春秋」2021年7月号と「文藝春秋digital」に掲載されています。

(酒井 順子/文藝春秋 2021年7月号)

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