ロバート キャンベル 同性パートナーとの結婚式から4年「普通の人」が公表できるように

ロバート キャンベル 同性パートナーとの結婚式から4年「普通の人」が公表できるように

高校時代は、演劇、ダンス、サイクリングなど様々なことに熱中した

 この春に国文学研究資料館館長を退任し、早稲田大学特命教授や早稲田大学国際文学館顧問として活躍の幅を広げるロバート キャンベルさん。LGBTであることを公表し、さまざまなメディアでも発信を続けています。多才で、枠にとらわれない生き方の源はどこにあるのか? その生い立ちに迫りました。(「文藝春秋」2021年6月号より)

◆ ◆ ◆

■父と母は別居状態で、物心ついた時には父はいなかった

 生まれたのはニューヨークのブロンクス。父と母は別居状態で、物心ついた時には父はいなかったのですが、寂しいとか、欠落感を感じたことは全くありませんでした。

 母はフルタイムの仕事をしていましたが、帰ってくるといつも一緒にいて、笑わせてくれた。いっぱいハグもしてくれた。小学校高学年の頃から対等な関係で子ども扱いをされたこともなかった気がします。

 思春期に入って行動範囲が広がっても、母から口うるさく言われた記憶はありません。人に迷惑をかけず、危ないことや身体に悪いことさえしていなければ、大目に見てくれていたんでしょうね。ただ、「誰とつきあっているか」だけは厳しく見ていました。

 母は私の友達とも仲がよくて、誰かとずいぶん長く電話でしゃべっていると思ったら、電話をかけてきた私の友達だったということもありました。今思えば、私がどんな人たちとつきあっているか、網の目をすごく細かくはりめぐらせていたんだと思います。

 私が13歳の時に母が再婚。その後、私たち家族は、イギリス、フランスへと引っ越し、その後はニューヨークに帰らずサンフランシスコに住みました。

 私が10代後半を過ごした、70年代のサンフランシスコは、すごく面白い時代でした。ちょい悪なお兄さんやお姉さんたちと一緒にゲイバーやディスコやクラブに行ったり、お酒は飲まないのですが、踊ることが大好きで、ミュージシャンやアーティストともつきあいがありました。年齢も関係なく、30代の友達もいましたし、ある意味変な子どもでしたね。いい関係になった女の子もいましたが、私にボーイフレンドがいることも知っていました。高校は公立の進学校でしたが、好きな勉強はすごくしていたし、嫌いな勉強は全くしない学生でした。

■日本美術から日本への興味の扉が開く

 大学はカリフォルニア大学のバークレー校に進みました。大学では高校で学べなかったことを学ぼうと思い、そのひとつが「日本美術」でした。その授業がすごく面白く、それをきっかけに日本語を学び始め、どんどん興味の扉が開いていきました。

 大学時代に1年間日本への留学も経験し、ハーバード大学大学院に進んで江戸文学について研究を始めました。27歳の時、その分野で素晴らしい業績を出されていた憧れの研究者、九州大学の中野三敏教授に、直接手紙を書いて「受け入れてもらえないか」とお願いし、九州大学に留学することができました。2年の予定でしたが、九州大学で専任講師として採用され、国文学の講師として教えるというチャンスを与えていただきました。その後、国立・国文学研究資料館助教授を経て、2000年に東京大学大学院助教授、2007年に教授になりました。(その後、2017年〜国文学研究資料館館長となり今年3月に退任。現在は、東京大学名誉教授、早稲田大学特命教授および早稲田大学国際文学館顧問)

■2017年、同性パートナーと結婚

 現在のパートナーと出会ったのは、東大の助教授になる少し前くらいですから、もう20年以上の付き合い。一緒に住み始めたのは、2012年の頃です。

 2011年から2012年にかけて、私は大きな病気をしました。本業以外のことも増えて、仕事が過多になり倒れたのですが、その時、自分以外に、誰もスケジュールを知らなかったので、各方面に多大な迷惑をかけてしまったんです。彼もそれをそばで見ていて、また倒れたりするんじゃないかと心配してくれて。公務員だったのを退職し、一緒に会社を立ち上げて仕事を手伝ってくれることになり、それを機に一緒に暮らし始めました。

 2017年夏には、NY州の実父の家で、パートナーと結婚式をあげました。実父とは、母が亡くなった後、自力で探し出して再会することができたのですが、父には最初からパートナーも紹介していました。結婚式は、市長が執り行ってくれて、親戚や友達が、食べ物を持ち寄って集まりとても温かい会でした。

 その年の秋、今度は日本で友人を招いて私の還暦パーティを開いた時に、結婚式のこともちらっと報告したら、ゲストで来ていた有働由美子さんが急遽、司会者に早変わりして、「ケーキ入刀」のサプライズ。井上陽水さんは黒田節を歌ってくださって、還暦パーティが一気に結婚式になりました(笑)。本当に嬉しかったですね。

■「普通の人」が、当たり前に公表できるように

 2018年に杉田水脈議員の「LGBTには生産性がない」という発言を受け反論した際に、パートナーの存在を世間に公表しましたが、もともと周囲はみんな知っていることですし、自分の気持ちは何も変わりません。ただ、見知らぬ人から話しかけられることは増えました。

 表参道の交差点で信号待ちしているときに、ぼくより年上らしい男性が「キャンベルさん、告白してくれてすごくよかった、大変な勇気ですね」と声をかけてくれて、信号が2回変わるくらい立ち話をしました。気持ちは嬉しいですが、「告白」という言葉は悪いことを打ち明けるという意味もあるので、ドキッとしました。その方がLGBTの当事者なのか近親者なのか分かりませんが、そういう方は結構多いんです。電車に乗っていたら、隣の若い女性に、「男性とつきあっているけれども女性にも好意を持っていて、そのことを打ち明けると別れを告げられてしまった。どうすればいいか」と人生相談されたこともありました。この時も自分の降りる駅を乗り過ごしてお話を聞きましたよ(笑)。

 日本ではいわゆる活動家じゃない、“普通の人”がLGBTであると公表するケースが、極めて少ないんです。自分はメディアの一角にいる責任もありますし、発言しないといけない時にはすべきとも思いますが、普通に働いている人たちが、当たり前のようにLGBTであることを言えるようになれば、自分が公表したことも意味があったかなと思います。

(ロバート キャンベル/文藝春秋 2021年6月号)

関連記事(外部サイト)