大手町から50分…千代田線の“ナゾの終着駅”「我孫子」には何がある? 幻に終わった「手賀沼ディズニーランド」って?

大手町から50分…千代田線の“ナゾの終着駅”「我孫子」には何がある? 幻に終わった「手賀沼ディズニーランド」って?

千代田線の“ナゾの終着駅”「我孫子」には何がある?

 今回やってきたのは、我孫子駅である。もう、読み方からして難しい。知らない人がいるかもしれないので念のためいっておくと、「あびこ」と読む。我の孫の子、ひ孫の街・我孫子である。といっても、皆目意味がわからない。地名というのはだいたいそんなものなのだ。

 さて、どうして我孫子にやってきたかというと、終着駅だからだ。都心部で代々木上原から表参道・赤坂・霞ヶ関を通って下町に抜け、北綾瀬までを結んでいる東京メトロ千代田線。綾瀬駅からはJR常磐線各駅停車に直通しており、日中は多くの列車が我孫子ゆきなのである(ちなみに反対側は小田急線に直通、日中は向ヶ丘遊園ゆきが多い)。

 なので、千代田線に乗っていると当たり前のように「この電車は我孫子ゆきです」などと案内される。車内放送では“あびこゆき”と言ってくれるからまあいいが、駅の電光掲示板では「我孫子」と当たり前のようにこの難読駅名が映し出されている。おなじ名の駅が大阪メトロ御堂筋線にもあるのだが、あちらは平仮名で「あびこ」と親切だ。千代田線の「我孫子ゆき」、読めない人はどうすればいいんですかね……。

 まあ、そうはいっても我孫子ゆきの電車はあまりにたくさん走っているので、いまさら「読めない、どこなんだ!」と憤慨する人もいないだろう。一度読み方を知ってしまえば、難読駅名などどうってことはない。大阪の人たちに「十三」って難読ですよね、などと水を向けてもきっと話は盛り上がらない。

■「我孫子」には何がある?

 ともあれ、そんなわけで千代田線・常磐線各駅停車の終着駅のひとつである我孫子駅にやってきた。綾瀬駅からは約30分、都心の大手町駅からでは約50分かかる。松戸・柏よりも先だ。少し先で利根川を渡れば取手、すなわち茨城県。遠いのか近いのか、新宿から中央線で50分ならもう八王子である。

 我孫子駅には何があるのか。いきなりだが、ソバがある。山下清も働いたことがある弥生軒(ご飯おかわりロボのやよい軒とは別ですよ)の立ちソバ店がホームにあって、唐揚げがどーんとのった唐揚げソバが名物だ。「我孫子のソバ、ウマいんだな」と言ってわざわざこのソバを食べるために我孫子に行く人もいるくらいだという。

 なので我孫子といえばソバである。ただ、文春オンラインでは坂崎 仁紀氏がソバ巡りをしているので、いつか我孫子の唐揚げソバを深掘りしてくれることを期待して今回はそちらに譲ろう。坂崎さん、お願いします……。

 苦渋の思いでソバ店に背を向けて、階段を登ってちょっと小さな改札を抜ける。改札の横にはおなじみの売店NewDaysがある……と思いきや、なぜかスシローのテイクアウト店。ソバを断念したから寿司でも食うかと思ったが、コロナと酷暑のこのご時世、寿司を我孫子の路上でむさぼるのはあまり歓迎されない振る舞いだろうと思ってこちらも断念した。結局、素直に我孫子駅の外に出たのである。

■まずは南側に出てみよう

 我孫子駅の付近では線路は東西に通っている。そのため出入り口は北側と南側に分かれる。まずは南側に出てみよう。

 我孫子駅の駅舎は、終着駅というわりには小さい。そして小さい割にはお客が多い。平日の昼間、灼熱の日でも老若男女が絶えることなく行き交っている。

 橋上駅舎から南口に出ると、緑豊かに木々が植えられた中央島のあるロータリー。その周りには駅の中にはなかったNewDaysやターミナルのお供・ドトールコーヒーなどがある。

 そしてロータリーから先にはまっすぐ南に向かって目抜き通りが伸び、その両脇もキレイに植樹された並木道。ちょっとしゃれ込んだお店もいくつかあって、とにかく駅前なのに“閑静”な雰囲気なのだ。

 この駅前の並木道の名は「公園坂通り」という。ほどなくして国道356号とぶつかって並木道は途切れてしまうが、公園坂通りとしてはまだまだ続く。公園坂というからには公園がその先にあるというわけで、終点は手賀沼のほとりの手賀沼公園だ。渋谷の公園通りを歩けばマルイから代々木公園に着くが、我孫子の公園坂通りは手賀沼のほとりである。

■江戸時代から干拓事業の対象となっていた手賀沼

 この手賀沼と公園坂通りは、我孫子駅とその街の歴史の生き証人のようなものだ。手賀沼は江戸時代から干拓事業の対象となっていたがこれはなかなか成就せず、たびたび洪水にも悩まされてきたという。

 いっぽうで、古くからウナギの産地として知られていて、よく江戸にも出荷されていたようだ。江戸前のウナギは我孫子によって支えられていたということか。

 手賀沼の干拓はようやく昭和に入って東側のほとんどが埋められて田園地帯となって一段落。ところが同じ時期に水質汚染が進んで問題となり、せっかくのウナギもほとんど捕れなくなってしまったという。1974年には水質汚染全国ワーストワンにもなっている。

■幻に終わった「手賀沼ディズニーランド」

 そしてそんな高度経済成長期には、なんと手賀沼のほとりにディズニーランドを設ける構想もあった。構想といってもなかなか具体的で、開発を担う全日本観光開発には元東京都知事の安井誠一郎が会長に就任、京成電鉄や東武鉄道、後楽園スタヂアム(現・東京ドーム)などのトップが役員に名を連ねるなど、かなり本気の計画だったようだ。実際に1962年には起工式も行っている。

 ところが地元でよからぬ噂が広がるなど計画は順調に進まず、結局1968年にいたって開発は中止。手賀沼ディズニーランドは幻に終わっている。跡地は新興住宅地となり、その西の端が公園坂通りの終点、手賀沼公園だ。

■なぜ、手賀沼にディズニーが…?

 しかし、である。いったいなぜ、我孫子駅の近くは手賀沼のほとりにディズニーランド計画などが持ち上がったのだろうか。それを明らかにするには、もう少し時計の針を巻き戻す必要がある。

 我孫子駅が開業したのは1896年のことだ。当時の日本鉄道が田端〜土浦間を開業させたのと同じタイミングである。つまり、常磐線にとっては1期生の駅にあたる。

 我孫子に駅が設けられた背景には、江戸時代から我孫子が水戸街道の宿場町であったこと(利根川にも近く、古くから交通の発達していた街だった)、そして我孫子の名士・飯泉喜雄が私財を投じて駅の誘致に取り組んだことなどがある。

 我孫子駅付近の旧水戸街道は現在の国道356号におおむね一致する。つまり、駅はその旧宿場町から少しだけ離れた北側に設けられたということだ。くだんの公園坂通りは、我孫子駅と街道をつなぐ道だった。かつては「停車場通り」と呼ばれていて、両脇にはいくつもの旅館があったという。

■文学の街として知られた我孫子

 東京から鉄道が通じ、近くには手賀沼という風光明媚な沼もある。古くからの宿場町の面影も残す。となれば、人が集まるのも当然の流れだ。

 明治の末頃からは、志賀直哉や武者小路実篤といった文人が居を構え、我孫子は一躍文学の街として名を知られるようになる。なんでも、当時は「北の鎌倉」と呼ばれていたという。○○のイチロー、○○のダルビッシュはパッとしなかったが、北の鎌倉・我孫子は白樺派の拠点のひとつとして賑わったのである。

 やってきたのは文人だけではなく、駅の近くには工場もいくつかやってきた。駅のすぐ南にあるイトーヨーカドー付近には製糸工場もあった。さらに北西にある巨大なマンション群はかつて日立精機の工場だった場所だ。利根川の水運と常磐線、古き宿場町に生まれた我孫子駅は当初から、発展が約束されていたのだろう。

 開業から5年後には成田鉄道(現在の成田線我孫子〜成田間)も開通。成田山参詣ルートにも加わった。そんな地に、私財を投じて駅を誘致した飯泉さんの先見の明、すばらしい。

 ただ、いまの我孫子駅の周りを歩いていても、そんな歴史を感じるようなところはあまりない。停車場通りも装い新たに公園坂通りとなっているし、駅の北側とていくつもマンションが建ち並ぶような住宅地だ。

 北口も少し歩いてみよう。駅前には東武ストアやスポーツジム。なんで我孫子に東武なんだと思ったが、近くの柏駅には東武野田線がやってきているからよく考えるとあまり不思議ではない。その先には我孫子駅北口通りという立派な道も通る。この道を西側に向かって下っていけば元日立精機工場のマンションだ。

 南に手賀沼、北に利根川という地理的条件がゆえか我孫子の街は起伏に富んでいるようで、我孫子駅北口通りは下に水の流れない橋を渡る。もしかすると、このあたりにはかつて利根川と手賀沼を結ぶ小さな川が流れていたのかもしれない。我孫子駅北口通りの先は駅前から一段低くなっていて、一面の住宅地が広がっている。

 駅のごく近くには南北いずれにも地元の個人経営とおぼしき飲食店もいくつかあるし、イトーヨーカドーも南北どちらにも鎮座する。金融機関もちょっと小洒落た飲食店も、つまり何もかもがひととおり揃っているのが我孫子駅。これでいて、都心まで1時間もかからないとなれば、新たに住まいを得るには悪くないのかもしれない。

 そんなわけで、戦前の文人の街から装いを変えて、すっかり我孫子は新興住宅地の街になっている。

■ちなみに本当の終着駅は…

 終着駅、我孫子。ガチャガチャした繁華街のような街もなく、昔ながらの空気感をほのかに残しながら住みやすい郊外の街。終着駅は始発駅だから、座って通勤するにも問題はない。そして、弥生軒の唐揚げソバも食べ放題だ。

 ちなみに、東京メトロ千代田線が直通する常磐線各駅停車の本当の終着駅は利根川の先は茨城県の取手駅である。日中はほとんどの列車が取手までは行かずに我孫子止まり。このあたり、千葉と茨城の間に利根川以上に大きな何かが横たわっているということなのだろうか……。ともあれ、難読駅の中では日本一有名といっていい我孫子駅、訪れてみれば意外と悪くないのである。

写真=鼠入昌史

(鼠入 昌史)

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