「月収150万」だけど「借金700万」…20歳でマルチにハマった“黒歴史”から生まれた衝撃作

「月収150万」だけど「借金700万」…20歳でマルチにハマった“黒歴史”から生まれた衝撃作

『マルチの子』(西尾潤 著)徳間書店

「実体験をもとに描く」という帯文に、まず目を奪われる。大藪春彦新人賞を受賞し、デビューした西尾潤さんの新刊『マルチの子』は、「マルチ商法」にのめり込む女性を主人公に据えた長篇小説だ。

「新人賞受賞作を含む『 愚か者の身分 』を出したあと、2作目はどうしましょう、という話を担当さんとしていたんです。ヘアメイクとスタイリストの仕事をしているので、その世界のお仕事小説を書こうかとも思ったんですけど、ふと思い出して『昔マルチやってて……』なんて言ったら、それめっちゃ面白いじゃないですか! という話になって」

 西尾さんは20歳のときにマルチ商法にハマり、所属する組織において最年少でゴールドランクに昇格した経験を持つ。当時の月収は150万円を超えることもあったが、同時に売り上げノルマを達成するための自腹買いなどで出費もかさんでいった。借金の額が700万を超えたところでローンの支払いが不可能になり、両親に相談したという。

「借金は、金利が高いものは一時的に親に立て替えてもらい、昼夜を問わず働いて返済しました。自分のなかでは、マルチのことは借金を返したところで、終わってたんですよね。『私の20代、借金返すことに費やしたな……』みたいな」

 黒歴史とも言える過去を改めて見つめることによって、本作が生まれた。

「苦い経験だったので、そのころのことをしみじみ振り返って『あれが良くなかったな』みたいな反省はこれまでしてこなかったんですよ。でもこの小説を書くために当時のことをいろいろ思い出していたら、自分がハマった理由は『承認欲求』だったんだな、と気づきました。『他では自分を受け入れてくれないけど、この世界なら』って思っちゃう。そうなると宗教にも似たところがあって、その道を邁進したくなるんですよね」

 作中では、21歳で魅力的な声を持つ鹿水真瑠子(しかみずまるこ)が、西尾さんとほぼ同じ道を辿ることになる。外見は岸田劉生の“麗子像”だが勉強家の真瑠子は、幸運にも恵まれ、一気に傘下の会員を増やす。彼女が心の拠り所にしたのは「人を応援することが自分の幸せにもなる」という言葉だ。

「マルチは、自分が勧誘した人が成功すると、自分のランクもあがるというシステム。『人の役に立ちたい』と考えている自分に酔ってしまうし、食べるために働くよりも、みんなで目指す目標を優先したくなってしまう。結果、生活費に困って借金をするというのもよくあることです」

 西尾さん本人は借金でマルチをやめることになったが、真瑠子の「マルチ人生」は止まらない。磁気マットレスから仮想通貨へと商材を変え、ますます深いところへとのめり込んでいく。読者は破滅の気配を感じながら、先へ先へと読み進めることになるが……終盤、今まで読んできた物語が一気に色合いを変える。

「ラストシーンでは、真瑠子を印象的に見せたかったので、いろいろ考えました。ラストにあわせて、全体ももう一度揉み直して。自分の経験から離れて、物語として着地させるのが、いちばん大変だったかもしれません。考えてみれば、今までは目の前のことばっかりに一生懸命で、自分のことしか考えてなかった。だからこそマルチにハマっちゃったんですけど。小説を書くことで、他の人の人生や気持ちの動きに興味が出て、人間として豊かになったのかなとも思いますね。文春の読者のみなさんにも、一度物語を書いてみることをおすすめしたいです」

にしおじゅん/大阪府生まれ。大阪市立工芸高等学校卒業。ヘアメイク・スタイリスト。第2回大藪春彦新人賞を受賞。2019年、受賞作を含む『愚か者の身分』でデビュー。本作は2作目となる書き下ろし長編小説である。

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2021年8月5日号)

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