「おかしいやろ。ワシらに人権はないんか」ドキュメンタリー番組の撮影で直面した“ヤクザのリアル”

「おかしいやろ。ワシらに人権はないんか」ドキュメンタリー番組の撮影で直面した“ヤクザのリアル”

©iStock.com

 ヤクザを主題にした作品では、彼らの人物像を“暴力に訴えてでも組織の秩序を重んじる無頼漢”として描くケースが多い。しかし、現実の彼らは「暴力団対策法」などのもとで人並みの暮らしを送ることさえ難しいのが現状だ。

 ここでは、東海テレビ番組プロデューサーとして『ヤクザと憲法』など、数々の名ドキュメンタリーを制作した阿武野勝彦氏の著書『 さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ 』(平凡社新書)より一部を抜粋。ヤクザたちの“リアル”について紹介する。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

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■絶滅していくヤクザの実態

 もう、何年経っただろう。思い出すと、怒号と緊張ばかりだったが、最後に浮かぶのは、人に出会う醍醐味なのだ。ドキュメンタリーは、制作中の労苦とその後の満足の釣り合いが取れている仕事なのかもしれない。

 2019年暮れ。この作品は、東京・名古屋・大阪の映画館で、東海テレビドキュメンタリー劇場の連続上映の目玉としてスクリーンを飾った。

『ヤクザと憲法』

 放送基準のなかに反社会的勢力との接触を禁じた項目が明記されて以降、暴力団についての番組は、テレビから消えた。触らぬ神に祟りなし。君子危うきに近寄らず。安心、安全、リスクなきテレビ番組……。

 山口組などの実態をNHKが散発的に放送していたが、それもなくなり、映画界の任?モノも姿を消していった。右向け右、右へ倣へ。行儀のいい人々は、暴力団対策法、暴力団排除条例の精神に則って、ヤクザに近づくのを完全にやめた。見方を変えると、権力の線引きによって、はっきりと取材対象にタブーが生まれたのだ。私は、もともと関わることのない世界だと思っていたのだが、スタッフのなかに異分子が発生した。絶滅していくヤクザの実態を撮りたいと企画書を持ってくるディレクターがいたのだ。ごく自然に、「ドキュメンタリーの題材には、タブーはない」と言ってきた私には、門前払いする理由がなかった。

■「ワシらに人権はないんか」

 暑い夏だった。大阪・堺までガタゴト路面電車に揺られ、約束の街角に降り立つ。ずいぶん遠くへ来た、と思った。初対面の相手はなかなか現れない。誰が来るのか、どんな格好で来るのか、車で来るのか、それとも……。

 真夏の真っ昼間、太陽に照りつけられ、脳天が焼けてジリジリと音が出そうだ。

 しばらくすると黒塗りの車がやってきた。後部座席に誘われ、組事務所へ向かう。ほんの数分だったが、何を話したのか覚えていない。きっと時節柄の挨拶程度だったのだろうが、平常心でいられる自分にびっくりした。

「こんにちは〜」

 真っ黒い鉄の扉を開けて、ジャージの若者が、絞り出すような低音で出迎えた。指定暴力団「二代目東組」の二次団体「二代目清勇会」。事務所は、妙な雰囲気だ。閉め切った倉庫のような、タバコで燻されたような、息苦しい空間だ。組員たちは、所在なげにウロウロしながら、視線を向ける。親分の客人だから殺気立つということはないが、眼差しは決して柔らかくない。立ったまま待たされたかと思うと、不思議な間合いで会長室に通され、また待つことになった。

 会長は、なかなか現れない。待ち時間が長いと、想像を?き立てられる。ここに至るまでいろいろあったが、さて、このあとどうなるのか。いきなり無理難題を突きつけてくるのか。妄想の泥沼。これが、彼ら一流の交渉術ではないかと勘繰ったところで意味がないのだが。

■取材はギブアンドテイクでは成り立たない

 今日は、取材の考え方を伝え、それを丸?みしてもらえるかどうかを聞きに来ただけだ。相手がヤクザに限ったことではないが、私たちのドキュメンタリーは、取材者と取材対象のギブアンドテイクで成立してはいない。一方的にプライバシーを収奪する危険も孕んでいるし、厳しい批判の対象にしてしまうこともあり得る。だから、取材交渉の時に、耳障りなことも言う。相手の気持ちや要望は聞くが、どんなに世の中に叫びたいことがあっても、それをドキュメンタリーに反映させるかどうかは、終わってみないとわからない。この、「わからないことだらけ」を相手にどう伝えられるかが取材の入り口だ。

 この日は、「謝礼金は一切支払わない」「モザイクはかけない」「番組や撮影素材を放送前に見せない」など決めごとを提示したが、川口和秀会長には何一つ異存がなかった。会長は、真面目に黙って聞いていたが、こちらの話が終わった頃には、ダジャレを放ち続けた。そして、入れ代わり立ち代わり、オジキたちが部屋に入ってきて、それこそワーワー捲し立てることとなった。ただ、私にもこの時に尋ねておきたいことがあったので、間合いを見計らって会長に突っ込んだ。

「暴力団と呼ばれるのは、どういう気持ちですか」

 沈黙。水を打ったような……。オジキたちは、無言で右へ左へ顔を見合わせる。スローモーションみたいに……。そして、会長の口が開いた。

「誰が、自分で自分のことを暴力団と言いますか。言うてるのは、警察ですよ」

 オジキたちは、一様に頷き、顔を見合わせて、ザワザワが始まった。

「じゃ、そういうことで。あとは……」

 若頭に短く合図をして、会長は部屋を出た。少々困惑した様子だったが、若頭は一礼した。

 組事務所から出ると、車で堺市駅まで送ると一人の組員が申し出た。固辞したが、まあまあということになった。乗り込むと、タバコと芳香剤の入り交じった臭いで頭がクラクラする。誰かが窓を叩く。開けると、会長室で人権について熱く語り、退出を促された初老の組員だった。オジキは、車窓に顔を突っ込んで捲し立てた。

「なぁ。人権を守れっていうてんねん。そうやろ。おかしいやろ。ワシらに人権はないんか」

 人権、人権とヤクザに訴えられるという奇天烈さと強い日差しが照り込んで、私の頭はグラングランした。しかし、年長者であるオジキが話しているので、組員は車を出せない。しかし、もう車は駐車場から路上に出ている。警察が来たらどうするんだろうと思った瞬間、スッと車は通りへと滑り出した。若頭が目配せしたのだ。「おい、人権〜」。人権オジキが、遠ざかっていく。道を曲がると、運転席の組員が言った。

「きょうは、会長の誕生会なんすよ」

 この時、事務所の上の階で祝い酒が振る舞われ、組員たちがみんな酔っ払っていたことを初めて知った。

■「ボクは発達障害なんです」

 秋が深まろうとしているのに、彼は待ち合わせの名古屋駅にワイシャツ一丁で現れた。

「上着は?」

「上着? 失くしました」

「え? で、スーツは?」

「大丈夫です。出てきますから」

 これから訪問する初対面の相手への礼儀で服装の話をしたのだが、彼は紛失しても必ず見つかるというハッピーストーリーで返してくる。プロデューサーとディレクターのコンビを組んで、これが二作目になるというのに、新幹線の中で会話をしていると、妙な話になった。

「ボクは発達障害なんです。診断されてます」

「ああ、そうなんだ……」

「阿武野さんも、そうだと思います!!」

「そうかもしれないけど、君と一緒にしてほしくないなぁ」

「絶対そうです」

 新幹線を降りてからも、斜め後ろからついてきて私に発達障害だと言い続ける男。とにかく声が大きくて、困ったものだ。東京駅丸の内口へといつにも増して早足で歩く。改札間際。私の切符が、ない……。ポケットをあっちこっち探す。が、ない。

■漂流社員の流れ着いた先

「ほらね。やっぱり。そうなんですよ。そう、そうなんですよ、ね」

 新幹線改札に乗車券を取りに戻る私に、彼は、まわりが驚くくらいさらに大きな声で、嬉しそうに言い続けた。私は思った。ヤクザの取材には、このぐらいの勢いが必要なのかもしれない、と。

「我々はどこから来たのか。我々は何者か。我々はどこへ行くのか」

 ポール・ゴーギャンがタヒチで描いた絵画の題名だ。いろいろなことを考えさせる言葉だ。「我々」を、その時々の取材対象に置き換えたりする。たとえば、「ヤクザはどこに行くのか」と。そうしているうちに、ゴーギャンの問いの答えに近づけるだろうか……。

『ヤクザと憲法』。取材したいと言い出したのは、?方宏史、当時38歳。報道歴5年の記者だった。

 兄と同じテレビ局員になろうと就職試験を受け、東海テレビに入社した。?方は、昼の連続ドラマを担当する東京制作部に配属され、テレビマンの道を歩みはじめた。

 昼ドラ(別名THKドラマ)は、月曜から金曜までの午後1時半からの30分枠で、1九六四年にフジテレビ系全国ネットで放送が始まった。前回の東京オリンピックの開催を控え、仕事が過重になった東京キー局が系列局に企画募集して始まったという伝統の枠だ。ドラマ制作の現場には、社内から選抜されたスタッフが配置されてきた。

 ?方は、新入社員で抜擢されたのだから、大いに期待された船出だった。しかし、1年で、ドラマ班から本社の制作部へと異動。そして、報道部へ転属となったのは、33歳だった。知らないうちに漂流社員になっていたようだ。

 報道部では、催事モノから事件・事故、被疑者の顔写真探しまでニュースの遊軍記者として何でもしていた。そして、時折、自分の持ちネタを形にしていたが、その中にドキュメンタリー『ホームレス理事長〜退学球児再生計画〜』(2014)につながる企画があった。

■「この番組は、東海テレビにしか作れません」

「ヤクザを取材したいんです」

 2014年の春、私のデスクにやってきて、?方は大きな声で、「ヤクザ、ヤクザ」と連呼し、自分の気持ちを真っすぐに話した。『ホームレス理事長』が終わったあと、彼は、愛知県警察本部詰めの記者となった。いずれニュースデスクになるのだから、経験させておこうという報道部長の差配だった。

 警察での担当は、刑事部捜査二課と四課、つまり知能犯と暴力団だった。2年の警察担当のあと報道局の大部屋に戻ることになったが、新作のドキュメンタリーに取り組めるのなら暴力団を取材したいと答えた。

 ?方の話をかいつまんで書くと、暴力団対策法・暴力団排除条例の施行以降、ヤクザを取り巻く状況は一変し、人権などという考え方は彼らには適用されなくなった。また、捜査する警察官も濃厚な交際を疑われるため、直接、ヤクザから情報を取りづらくなった。だから、彼らの実態を、若い刑事などはほとんど知らない。

 たとえば、指定暴力団の組員は銀行口座を作れない。幼稚園から子どもの入園を断られても暴力団員は何も言えない。自動車は売ってもらえないし、保険にも入れない。条例で、ヤクザへの利益供与が処罰の対象となったため、あらゆる市民が関係を持てなくなったのである。そんなことが起きている、絶滅寸前のヤクザを記録したいというのだ。そして、最後に、決めゼリフみたいに、このフレーズを幾度も繰り返した。

「この番組は、ボクたち東海テレビにしか作れません。絶対です」

【後編を読む】 「私は女優よ〜」密着撮影を担当した東海テレビプロデューサーが目の当たりにした樹木希林の“素顔”

「私は女優よ〜」密着撮影を担当した東海テレビプロデューサーが目の当たりにした樹木希林の“素顔” へ続く

(阿武野 勝彦)

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