「私は女優よ〜」密着撮影を担当した東海テレビプロデューサーが目の当たりにした樹木希林の“素顔”

「私は女優よ〜」密着撮影を担当した東海テレビプロデューサーが目の当たりにした樹木希林の“素顔”

「私は女優よ〜」密着撮影を担当した東海テレビプロデューサーが目の当たりにした樹木希林の“素顔”の画像

「おかしいやろ。ワシらに人権はないんか」ドキュメンタリー番組の撮影で直面した“ヤクザのリアル” から続く

 言わずと知れた名女優、樹木希林さんは2018年9月15日、75歳でこの世を去った。ドラマや映画など数多くの作品に出演してきた彼女が「これが私の“自叙伝”」とまで語った作品が、東海テレビ放送制作の映画『神宮希林 わたしの神様』だ。人生初の「お伊勢参りドキュメント」の密着を行った同作品の撮影中、取材クルーが目にした出来事とは……。

 ここでは東海テレビ番組プロデューサーを務めた阿武野勝彦氏の著書『 さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ 』(平凡社新書)より一部を抜粋。樹木希林さんの人間性が垣間見える発言の数々を紹介する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

 ◆◆◆

■謎の雄叫び「私は女優よ〜」

 徹夜明けの参拝。希林さんは、真新しい正殿に向かって進む。カメラが、石段の下から後ろ姿を追う。新旧正殿の違いはあるが、初参拝と同じ構図だ。

「何もお土産、新築祝い、持ってきませんでした……」

 二拝二拍手一拝。その時、正殿の御帳の大きな白い布が、ファッ、ファッ〜。風に大きく舞った。真新しい神様のおうちが、希林さんの眼前に現れた。石段を下りてくるその姿は少しリズミカルで、表情は少女のようだった。それがロケのクライマックスとなった。

 名古屋に戻る大きなロケバス。車内は、ゆったり、希林さんと私と伏原ディレクターの三人だった。伊勢を出ると、ほどなく睡魔に落ちた。そして、目を覚ますと、高層ビル群が見えた。振り返ると、バスの後部座席で希林さんは完全に横になっていた。名古屋駅までまだ5分くらいあるだろうか。ぎりぎりまで寝ていただこう。

 ロータリーに車が入ったところで声をかけた。

「希林さ〜ん。希林さ〜ん」

「ええ? 何?」

「名古屋駅です」

 ガバッと体を起こし、外をキョロキョロ……。

「え〜と。あのー。名古屋駅に……」

「なあに、突然、名古屋駅って。私は女優よ〜」

 何だか、爆発的に面白いと思ったのだが、この時、希林さんが発した「私は女優よ〜」の意味が、いまだに私にはわからない……。

■「いきることにつかれたらねむりにきてください」

『神宮希林』のテレビ放送は、2013年11月。中身は64分。希林さんはナレーションスタジオで、上機嫌だった。VTRも原稿も、この時が初見で読み始める。あっという間にナレーション撮りを終えて、こう言った。

「ふつう、捨てるところばかり使うんだから。だから、面白いのかもしれないけどね」

 たとえば、伊勢うどんの店で、ハッピをめぐる大騒動。ほぼ撮影が終わったところで、店の女将が、遷宮の時に着用する特製のハッピを開いて、希林さんに進呈しますと申し出る。「これいいでしょ」と自信満々の女将に希林さんは一言。「いらない」と言い放つ。ハッピを挟んで、受け取る・受け取らないの押し問答が続く。こういうシーンが、希林さんが言う「捨てるところ」だ。しかし、そこには、モノをめぐる考え方が端的に、しかもユーモラスに出ている。捨てるどころか、珠玉の場面だ。

■「軽い気持ちで来てね。寝ちゃってもいいのよ」

 ナレーションを収録した後、私は、映画にして広く観てもらいたいと思った。すぐに、『神宮希林 新春マックス』というタイトルで110分のバージョンを作り、それを映画版に転用しようと考えた。しかし、あんなに楽しそうにナレーションを入れたのに、映画化の話をすると希林さんの表情は一変した。テレビと映画……。この作品をどう解釈するか、考えているようだった。年明け、お年玉が届いた。

「映画にするには背骨がしっかりしていない。作品が饒舌すぎる……」

 そして、とどめの一言があった。

「映画は、歴史に残るものだから」

 希林さんの答えは、「映画化はノー」だった。しかし、ここで諦めず、もう一度推敲してみてはどうかと、希林さんと伊勢神宮の塩梅を考えながらテーマを深めてみた。結果、96分へとダウンサイズしたが、表現は鮮明になった。

 編集したものを渋谷の希林邸に持ち込む。最終試写だ。ここでダメなら、映画化はない。それより、もうひと押ししたことで希林さんに見切りをつけられてしまうかもしれない。

「やっぱり映画は、やめて」

 いつ、そう口が動くか……。

「あなたたちとは、もう仕事しない……」

 映像を観ている希林さんの表情を見ていた。

「うん。いいわね。これなら少しはわかってくれるかもね」

 すかさず、タイトルを提案した。『神宮希林 わたしの神様』と。

「そうね。いいんじゃない。『いきることにつかれたらねむりにきてください』って、ポスターの横に書くのは、どう?」

 映画館に、寝に来る……? 私には、その意味が何のことかまったく理解できなかったが、映画化の同意をもらった安堵で、頭の中は空っぽになっていた。ただ最近になって、希林さんの気持ちが少しわかるようになった。「軽い気持ちで来てね。寝ちゃってもいいのよ」と自分を描いた映画に、恥じらいを表現したかったのだと思う。ただ、希林さんは映画の宣伝の席で、こうも言った。

「出版社から自叙伝を書いてと話が来るけど、これからは、この『神宮希林』があるから、書きませんって言える」

 希林さんは結局、三つのバージョンの『神宮希林』に付き合ってくれた。そしてそのたびに、吉永小百合さん、浅田美代子さん、本木雅弘さんたちに観せていた。希林さんは、その感想にいつも心が揺れているように思えた。リアクションを楽しそうに電話してくれる時もあれば、そうでない時もあった。ある時は少女のように笑いながら、ある時は厳しい母が叱咤するような……。一つ一つの揺らめきは、作品を世に出す迷いだけではなかった。それは、これまでにはなかった素顔の自分が描き出されていると感じていたからだと思うのだ。?

■見えないものの力

 2019年秋、希林さんの日々をなぞるように、娘の内田也哉子さんと旅をした。その年のクリスマスの夜に『樹木希林の天国からコンニチワ』を放送するためだ。

『神宮希林』『戦後70年 樹木希林ドキュメンタリーの旅』全6本、そして『人生フルーツ』のナレーション出演から続いた『居酒屋ばあば』『ジブリとばあば』『ばあばとフルタチさん』など、番組を企画しては希林さんを旅に誘った。たくさんのロケをしたが、放送に載せられなかった場面がたくさんあった。

 希林さんは、自叙伝や半生記は出さないと言っていたが、亡くなった後に出版された希林さんの言葉を集めた書籍は、記録的なベストセラーとなっていた。実は、未使用の放送素材をまとめるには、私の気持ちはまだ切り替わっていなかった。ぼんやり、3年ぐらい寝かせる時間が必要だと思っていたが、出版ラッシュに心が穏やかではいられなくなっていた。

 一周忌が近づくにつれて希林さんについての問い合わせが私にまで押し寄せたことが焦りに拍車をかけた。これは、紛れもないムーブメントだった。それでも、ご家族をそっとしておきたいとも思っていた。あれこれ迷った末、7月半ば、意を決して番組を作りたいと娘の也哉子さんにメールを送った。

 しかし、私の心の中では一番気の合う叔母を亡くしたようなグジュグジュが続いていた。その死を仕事にすることに割り切れないでいた。だが、タイミングを逸したテレビマンほど間抜けなものはない。編成部員に席まで来てもらって、なぜか説教をした。

■「見えないものの力」を纏った、女優・樹木希林

「東海テレビにしかない財産だから、希林さんの特番を作ってくださいと私に言いなさい」

 八つ当たりもいいところだが、自分で自分の尻を叩くだけでは、足りなかったのだ。

 也哉子さんからの返事を首を長くして待った。大きな母と破天荒な父を相次いで亡くし、まだ一年も経っていない。まして、今はイギリスでの生活だ。届かない返信を待ちながら、番組には也哉子さんとの旅が欠かせないと考え始めていた。希林さんと裕也さんのお葬式での喪主としての挨拶、そして『週刊文春WOMAN』の連載記事。也哉子さんの文章は、人の心を掴んでやまない特別なものがある。也哉子さんというナビゲーターが、希林さんの旅、希林さんの言葉をどう味わうかを表現したいと思った。

 2019年10月。希林さん不在となったご自宅に也哉子さんを訪ねた。希林さんが息を引き取ったその場所で、ブラウン管のテレビで映像を観ながら、インタビューは2時間に及んだ。

 かつての映像と也哉子さんの話を聞いているうちに、テーマが絞られていくのを感じた。それは、「見えないものの力」。すぐにわかりたがる時代へのメッセージが導き出されていく。

 希林邸のリビングには、一枚の絵のレプリカが飾ってある。村上華岳の『太子樹下禅那』という作品だ。菩提樹の下で禅の修行をする若き釈迦が、淡い色調で描かれている。モノに執着のない希林さんが、この絵にはこだわった。京都現代美術館「何必館」の梶川芳友館長に、絵の複製の製作を依頼して自宅に迎え入れたくらいだ。番組は、この一枚の絵を軸に、「見えないものの力」と希林さんの謎を重ねながら進む。

 希林さんとのたくさんの旅の中から、娘の也哉子さんを長野県上田市の「無言館」に、そして伊勢に誘い、最後は静岡県伊東市の歌人・岡野弘彦さんのご自宅へと足を延ばした。

 也哉子さんは旅の終わりに、怒濤のような1年を振り返って、母を静かに弔う気持ちになれなかったこと、そして、旅を通じて、母ともう一度出会えたような気がすると話した。

 私は、原稿を書いた。そして、ナレーターをお願いしたスタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫さんに託した。

「希林さんの謎。どうやら、一つもまともに解けません。ただ、こんなふうに言われているような……。感じること。すぐ答えを求めず、ゆっくり考えること。祈ること。心を空にして、ゆったり感じること……」

 日々の暮らしと、ありのままを、希林さんは私たちの前で広げて見せてくれた。その晩年の姿は、とても真似のできるものではないが、少しでも近づきたいと思える人間存在だった。

 女優、樹木希林。「見えないものの力」を纏った、大きな人だった。

【前編を読む】 「おかしいやろ。ワシらに人権はないんか」ドキュメンタリー番組の撮影で直面した“ヤクザのリアルな苦悩”とは

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(阿武野 勝彦)

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