「距離ロスをしても勝てる自信があった」“シャドーロールの怪物”ナリタブライアンに南井騎手が抱いた“生々しい感覚”

「距離ロスをしても勝てる自信があった」“シャドーロールの怪物”ナリタブライアンに南井騎手が抱いた“生々しい感覚”

第43回阪神大賞典でレース後引き上げる南井克己騎手とナリタブライアン ©文藝春秋

大歓声が今も耳に残っている…“大井の帝王”的場文男騎手(64)が語る“騎手人生で一番印象深いレース”とは から続く

 メジロマックイーン、トウカイテイオー、ミホノブルボン、ライスシャワー、ビワハヤヒデ、ナリタブライアン……。1990年代前半は伝説級の名馬が続々と現れ、多くの人々が人馬の紡ぐドラマに熱狂した。

 競馬ライターの小川隆行氏、競馬ニュース・コラムサイト「ウマフリ(代表・緒方きしん)」の共著『 競馬伝説の名勝負 』(星海社)は、そんな競馬がもっとも熱かった時代の名勝負がまとめられた一冊だ。ここでは同書の一部を抜粋。1994年時の“シャドーロールの怪物”ナリタブライアンと南井騎手のエピソードを紹介する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

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■JRA関係者がNHK紅白歌合戦のゲスト審査員に

 大みそか恒例の「NHK紅白歌合戦」では、その年に活躍をした芸能人やスポーツ選手、作家などがゲスト審査員に選ばれる。プロ野球選手やサッカー選手、大相撲の横綱、大河ドラマの主人公、五輪メダリスト、ノーベル賞受賞者など毎年豪華な顔ぶれだ。

 70年以上続く同番組においてJRA関係者が審査員となったのはわずか1人だけ。1994年の南井克巳(現調教師)である(地方競馬関係者は71年に水沢競馬所属の女性騎手・高橋優子が選ばれている)。

 生放送の数日前、4歳で有馬記念を制したナリタブライアンの鞍上の南井は、司会の和田アキ子から「馬券取らせてもらいました」と舞台上から御礼を述べられたほど、この年のナリタブライアンは競馬を一般社会に知らしめた。

 93年5月、ナリタブライアンの調教に騎乗した南井は「今まで乗った馬とは違う」という印象を抱いた。調教で追い出した瞬間の加速度がケタ違いで、その感触はオグリキャップを思い出させ、南井にダービー制覇を意識させた。

■きっかけは大久保正陽師からの「ダービーを勝ってくれ」の一言

 デビュー3年目の73年にリーディング5位となる46 勝を挙げた南井だが、GT級レースは88年春の天皇賞(タマモクロス)が初勝利。その後オグリキャップでマイルCSを、バンブービギンで菊花賞を、ハクタイセイで皐月賞を制するなど「遅咲きの大器」と呼ばれたが、それまで日本ダービーは8回騎乗してロングアーチ(90年)の6着が最高成績。是が非でも手にしたい栄光は、ナリタブライアンを管理する大久保正陽師からの「ダービーを勝ってくれ」の一言がきっかけだった。南井が日頃から語っていた「いい出会い」(競馬界は腕に加えて馬や人との出会いが必須という意)がもたらしたのだ。

 8月函館のデビュー戦を2着後、折り返しの新馬戦(注:以前は開催1・2週目に使った馬が3・4週目に再出走するなど、新馬戦敗戦馬が同じ開催中の新馬戦に出走できた)を勝つも函館3歳Sを6着と敗れた。前評判とは裏腹なレース内容から気性面の課題が浮き彫りになる。レース中、自分の影に驚いてしまいレースに集中できなかった。デビュー6戦目の京都3歳Sで初めてシャドーロール(下部の視界を遮る目的で競走馬の目の下に装着する馬具)を装着すると、それまでとは異なる圧勝劇。これが「シャドーロールの怪物」の始まりだった。

■皐月賞をレコードタイムで制覇

 続く朝日杯3歳Sを制したナリタブライアンは共同通信杯とスプリングSを連勝。それまで先行策だった同馬はスプリングSを後方から捲まくる競馬で制した。今では過密と言われかねないローテだが、興奮しやすい性質のため陣営はガス抜きをしていた。加えて直線の長い東京コースの日本ダービーを意識した騎乗でもあった。

 断然人気で迎えた皐月賞も1分59秒0のレコードタイムで制覇。ついにダービーを迎える。

■「距離ロスをしても勝てる自信があった」

 単勝1.2倍の断然人気に支持されたナリタブライアンは道中を6番手で進んだ。ハナを切ったメルシーステージが刻んだラップは前半1000m60秒ジャストのミドルペース。先行しながら4コーナーで大外を回ると、直線で一瞬外にヨレながらも後続をグングンと突き放しゴールイン。終わってみればメンバー中最速となる上がり3F36秒2の脚を使い、2着エアダブリンにつけた着差はなんと5馬身。後に南井は「距離ロスをしても勝てる自信があった」と、豪快なレースぶりを振り返っている。

 ファンの期待は史上5頭目の三冠馬誕生に注がれたが、単勝100円戻しの支持を受けた秋初戦の京都新聞杯ではまさかの2着。夏負けにより体調を崩したことで調整に遅れが生じていた。同時期、半兄のビワハヤヒデは宝塚記念でGT3勝目を挙げていたが、菊花賞の1週前に行われた秋の天皇賞で5着に敗れデビュー16戦目で初めて連対を外し、引退を余儀なくされた。

■3歳馬ナリタブライアンがGT5勝目をマーク

 この2戦の結果から三冠がかかったナリタブライアンの菊花賞を「危ない」とみるムキもあった。逃げたスティールキャストが向正面でピッチを上げながら大逃げを打つと場内からどよめきが起きた。が、道中7番手を進んだナリタブライアンは慌てることなく3コーナーを下ってから仕掛けると、大外を回って前を捉え、2着ヤシマソブリンに7馬身差で三冠を達成。杉本清アナの「弟は大丈夫だ」は名実況として刻まれた。

 そして迎えた有馬記念。ビワハヤヒデとの兄弟対決こそ幻となったが、GT2勝のライスシャワー、オークス馬チョウカイキャロル、兄を破った天皇賞馬ネーハイシーザーら豪華メンバーが揃った一戦は、大逃げを打ったツインターボを4コーナーでナリタブライアンが捕まえにかかる。外から重賞6連勝中のヒシアマゾンが必死に追いすがるも怪物の脚色は衰えない。終わってみれば3馬身差の圧勝で、3歳馬ナリタブライアンがGT5勝目をマークした。

■日本プロスポーツ大賞の殊勲賞を受賞

 鞍上の南井はこの年、ジャパンCをマーベラスクラウンで制し、年間GT5勝の新記録(当時)を樹立。人馬ともに人生最高の1年となった。加えてプロ野球選手や大相撲、プロゴルファーやプロボクサーの受賞者が多い日本プロスポーツ大賞の殊勲賞にも選出され、JRA関係者では89年の武豊に次いで2人目の受賞者となった。

 この有馬記念から11年後、ディープインパクトで無敗三冠を達成した武豊だが、有馬記念を2着に敗れたためか、紅白の審査員席にその姿はなかった。「勝っていれば呼ばれたのでは?」と思わずにはいられなかった。

【前編を読む】 大歓声が今も耳に残っている…“大井の帝王”的場文男騎手(64)が語る騎手人生で“一番印象深いレース”とは

(小川 隆行,ウマフリ)

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