「どうするんですかね?」眞子さま“駆け落ち婚”で秋篠宮家の教育に疑問の声《悠仁さま15歳でも帝王教育が始まらない》

眞子さまの弟君・悠仁さまが15歳に 『帝王教育』がまだ本格化せぬことを危惧する声も

記事まとめ

  • 秋篠宮家の長女・眞子さまの弟君である悠仁さまが、9月6日で15歳になられた
  • 宮内庁OBの間などから、悠仁さまの『帝王教育』がまだ本格化せぬことを危惧する声も
  • 眞子さまや佳子さまに起因して、秋篠宮家のご教育方針には疑問の声もある

「どうするんですかね?」眞子さま“駆け落ち婚”で秋篠宮家の教育に疑問の声《悠仁さま15歳でも帝王教育が始まらない》

「どうするんですかね?」眞子さま“駆け落ち婚”で秋篠宮家の教育に疑問の声《悠仁さま15歳でも帝王教育が始まらない》

ハイキングコースを散策される秋篠宮ご夫妻と悠仁さま(2019年8月20日、ブータン・ティンプー) ©時事通信社

■宮内庁では“駆け落ち婚”に投げやりな声も

「秋篠宮家の長女・眞子さまの“駆け落ち婚”が報じられ、宮内庁職員の間では『どうするんですかね?』といった、やや投げやりな感想も聞こえます。そんな中、弟君の悠仁さまが9月6日で15歳になられました。

 江戸時代までなら成人式に当たる元服を終えられていてもおかしくはないご年齢です。来年4月には高校生になられます。にもかかわらず、将来の天皇としての『帝王教育』がまだ本格化していないことを、危惧する声が宮内庁OBの間などから上がり始めているようです」

 宮内庁関係者はこう語る。

 当初、悠仁さまの「帝王学」は先例にならって中学ご進学を契機に始められるものと一部ではみられていた。2019年4月にはお茶の水女子大学附属中学校に進学されたが、秋篠宮さまは特別な教育係は置かない方針とみられ、ご夫妻で悠仁さまのご教育を担われているのが現状だ。

「大正天皇の教育係は、2004年に逝去された高松宮妃喜久子さまの祖父・有栖川宮威仁(たけひと)親王が担いました。威仁親王は皇族として初めて帝国海軍の軍人となった人物で明治天皇の信頼も厚く、伊藤博文の推薦で1898(明治31)年に東宮賓友、翌年には東宮輔導となり、病弱だった大正天皇の健康回復と帝王教育に当たりました。また、1914(大正3)年には学習院初等学科を卒業した昭和天皇のために、東京・高輪に東宮御学問所が設けられました。

 御学問所は明治天皇の勅命で学習院の院長を務めた陸軍大将・乃木希典の建言をもとに『帝王学』の専門機関として作られたものです。ここで昭和天皇の帝王教育が本格化したことは、よく知られています。御学問所では歴史、地理、数学、国漢文、仏語などの担当に当代一流の学者が選ばれ、歴代天皇の事蹟と並んで最も重要な倫理の担当には学徳兼備の教育者・杉浦重剛が選任されています」(同前)

 ただし、上皇陛下には帝王学の専門機関は設けられなかった。その背景には、やはり敗戦の影響があった。

■超国家主義的な思想教育を危惧したマッカーサー

「実は上皇陛下にも当初、東宮御学問所が1942(昭和17)年に開設される計画がありました。しかし、戦争が激化したことから延期となり、宮内省(現・宮内庁)は上皇陛下が学習院中等科に進学される1946年度に御学問所を設けて帝王教育を開始するとともに、中等科で一般授業も受けられるという方針を決め、中等科の教授ら授業の担当者を皇后宮職御用掛とする人事を発令しました。

 終戦直前の1945年8月10日に東宮職が設置されると、野村行一学習院高等科長が御学問所教育主任への就任含みで東宮職御用掛に任命され、授業の担当者も皆、東宮職御用掛に転任しました。その計画が終戦で全て中止となったのは、超国家主義的な思想教育が行われることを危惧した連合国最高司令官のダグラス・マッカーサーの強い意向があったからだったとされています」(同前)

■慶應義塾の塾長・小泉信三が説いた「帝王学」

 これ以降、将来の天皇の帝王教育は専門機関ではなく、学習院に通いながら外部から学識経験者を招いて行われるようになったという経緯がある。

「学習院中等科に進学された上皇陛下には、慶應義塾の塾長・小泉信三が1946年に東宮御学問参与(後に東宮御教育常時参与)となり、『ジョージ五世伝』や『帝室論』などを講義して帝王学を説きました。天皇陛下の場合も学習院で一般的な教育を受けられながら、著名な学者らから歴代天皇の事蹟などについて学ばれました。学習院中等科進学を控えた時期には、漢学の権威だった宇野哲人東京大学名誉教授から論語を学ばれています。

■秋篠宮さまは「私自身はその立場ではありません」

 また、中学3年の時には王朝和歌の権威だった国文学者の橋本不美男氏から『徒然草』の写本の講義を受けられました。天皇陛下は2010年2月の誕生日会見で『歴代天皇のご事蹟を学ぶ中で、第95代の花園天皇が、当時の皇太子、後の光厳(こうごん)天皇にあてて書き残した書に、まず徳を積むことの重要性を説き、そのためには学問をしなければいけないと説いておられることに感銘を受けた』と述べられています。まさに、帝王学の重要性を痛感されておられたからこそのご発言と言えるでしょう」(同前)

 悠仁さまの帝王教育が進んでいない事実の背景には、悠仁さまが明治以降では初めて天皇・皇太子の長男ではなく宮家の長男であることがあると言えよう。皇位継承順位は皇嗣になられた秋篠宮さまに次ぐ第2位ではあるものの、あくまでも宮家の皇族という特殊事情が障壁となっている可能性があるのだ。

「秋篠宮ご夫妻は在位中の上皇陛下のご静養先で悠仁さまとともに合流し、悠仁さまに天皇のあり方を身近で学ばせようと努力されてきました。一方で秋篠宮さまは2014年11月の誕生日会見で『天皇のあり方について悠仁さまにどのように伝えていくか』と質問されると『私自身はその立場ではありません』と述べられています。

■「やはり特別な教育係を置いた帝王教育を」

 これは、帝王教育をご夫妻だけで担うことには限界があることを示唆されたとも受け取れるものです。やはり特別な教育係を置いて腰を据えた帝王教育を、一刻も早く始めるべきなのではないでしょうか」(同前)

 明治期以降、天皇は学習院で学ぶ一方、学識経験者らを教育係に据え、帝王教育を行ってきた。しかし、秋篠宮ご夫妻は悠仁さまを学習院には進ませず、大学の学長経験者など専門の教育係も置かれてはいない。

 年内結婚を抱える長女の眞子さま、公より私を優先させているとの批判の声もある次女の佳子さまに起因して、秋篠宮家のご教育方針には疑問の声もある中、悠仁さまの帝王学については軌道修正が必要な時期が来ているのではないだろうか。

(朝霞 保人/文藝春秋)

関連記事(外部サイト)