「早く皇室を出たい」前のめりな眞子さまと小室圭さんご結婚問題の出発点は…《10月婚姻届の報道も》

「早く皇室を出たい」前のめりな眞子さまと小室圭さんご結婚問題の出発点は…《10月婚姻届の報道も》

2017年9月3日、婚約内定会見での眞子さまと小室圭さん ©JMPA

「眞子さまが小室家側に…」年内ご結婚で激震、識者が語る小室圭さんの“勘違い”が令和皇室にもたらしたもの から続く

 9月1日、秋篠宮家の長女・眞子さまと婚約が内定している小室圭さんが年内に結婚する方向で調整されていると複数のメディアが報じ、衝撃が走った。10月に婚姻届を出す方向で調整との報道も続いている。

 なぜ眞子さまのご結婚は急展開したのか。宮中で起きていた眞子さまの宮内庁長官への“直談判”事件などについて、9月10日(金)発売の月刊「 文藝春秋 」10月号がその詳細を報じている。

 NHKが夜7時のニュースで「秋篠宮ご夫妻の長女・眞子さま 大学時代の同級生・小室圭さんと婚約へ」とスクープしてから4年。「文藝春秋」2021年6月号掲載の江森敬治氏(毎日新聞編集委員)、片山杜秀氏(慶應義塾大学教授)、河西秀哉氏(名古屋大学准教授)、山口真由氏(信州大学特任教授・法学博士)による座談会を公開する。(全3回の2回目/ #3 へ続く)

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■なぜ小室さんに“反発”するのか

河西 この結婚問題は2人の問題にとどまらず、皇室全体に大きな影響を与えそうなところが心配です。片山さんはどう見ていますか。

片山 戦後の皇室は「日本国民の鏡」たろうとし、皇族が如何に市民感覚をなぞれるかに比重をかけてやってきたのではないですか。そして、戦後の恋愛の一理想は、家に縛られない自由恋愛でしょう。皇族の数が少ないのと、付随する物語がかなり特異なので悪い目立ち方をしますが、基本は現代日本の恋愛の平常運転の域内をなぞる事例で、戦後の皇室のありようの想定内の出来事とも言える。国民も皇族の自由な姿を長年、望んできたのでは? 

河西 確かに近年は、皇室がますます我々に近づいてきて、国民の鏡になっているところはあります。一方で、その逆のことをしてきたのが、平成の皇室でした。例えば、上皇ご夫妻は被災地訪問を繰り返し、道徳的な姿を見せてきた。その姿を見た国民は、「政治家はだらしないけれど、皇室はなんて素晴らしいんだ」と思った。そういう意味では、平成の後半に皇室の権威が強化され、より一層国民は畏敬の念を抱きました。そこに小室さんのような人が出てきたから、「私たちと同じじゃないか」と思って反発するんですよね。

■戦後の皇室は「開かれた皇室」

片山 平成の天皇と皇后の徳の高さは、国民と対等であろうとする人間らしさを喚起していたと思います。その生き方は戦後民主主義の理想的価値、人権や自由や家からの解放の精神ともつながっている。一般社会では親の同意なく結婚するケースはいくらでもある。いかなる愛も尊重されねばならない。戦後の皇室は「開かれた皇室」でしょう。開かれて日本国民の普通となるべく違わないように演出される皇室の姿が求められてきたと思います。国民がいまさら皇室だけは違うと思おうとしても、一種の手のひら返しのようなもので。でも、これだけ強い反発が起きるのだから、国民の願望はそちらにあるのでしょうね。

片山 自由恋愛とはだいぶ違うかもしれないけれども、上皇ご夫妻も「軽井沢のテニスコートの恋」で結ばれ、戦後的恋愛像を演出なさった。眞子さまと小室さんもその現代的変奏でしょう。やや極端ですが。いずれにせよ、ここまで来ると、なるたけ寛容な態度でお見守りするということではないですか。そしていざというときはお救いし、お助けする。

■支持基盤そのものが失われる可能性

江森 結婚は当人同士の意思を尊重すべきだという意見は分かります。しかし、眞子さまは、一般国民に比べて自由が制約され、窮屈な環境で暮らしている内親王なのです。片山先生の言葉を、内親王という重い立場の眞子さまにそのまま素直に当てはめてよいかどうか疑問です。「国民と共にある皇室」と、言われます。皇室にとって国民の敬愛と支持が何より大切なのです。多くの人が2人の結婚に不安を感じているとしたら、いろいろ考え直す必要があるのではないでしょうか。

河西 現在の皇室典範では、今後、皇位継承が秋篠宮家に移ります。平成後半の皇太子家は、雅子さまのご体調の問題や、愛子さまの不登校の問題を抱えていて、一時は廃太子と言う人がいたくらい支持を落とし、皇室全体の将来が危ぶまれました。ところが、ある時点から天皇家と秋篠宮家はシーソーのようにその評判が逆転した。それは秋篠宮さまが娘さんをコントロールできていないとか、紀子さまが側近たちに厳しいとか……ネットの反応を見ていると、「皇室は令和で終わればいい」と書き込んでいる人もいるくらい。人々の支持を失っている方に皇位の継承が移るとなると、象徴天皇制なるものの支持基盤そのものが失われる可能性があると思います。

■国民にできることは

片山 結婚するのも離婚するのも人間の自由であって、あくまで当事者の問題。皇室は別という考えが先行して干渉主義的になるのはどうも現代人の態度とは思われない。「王冠を賭けた恋」のエドワード8世のような人が英国王室に出てもらっては困ると言っても、出るときは出る。日本の皇室にも自由な方は出る。

 ですから、私はお二人の意思を尊重して、金銭トラブルを解決し、少しでもソフトランディングするようにしてあげるしかないと思います。問題は、それを国民がどれだけ許容し寛大に振る舞えるか否か。日本人にとって試練だと思いますよ。皇族の減少も含め、いろいろな意味で、いま、「皇室の危機」が訪れているのではないですか。

■出発点は眞子さまの「早く皇室を出たい。自由な生活がしたい」

江森 いまの片山先生の意見にはちょっと異論があります。「皇室の危機」とサラッとおっしゃったのですが、私は普段、国民が皇室に対して無関心でいたことも問題なのではないか、と思うのです。

 というのも私が思うに、この問題は、そもそも眞子さまが早く皇室を出たい。皇室を出て一般国民と同じ様な自由な生活がしたい、というところから出発していると思います。婚約内定会見の発言を見ると、眞子さまはすごく結婚に前のめりです。「お付き合いをする人は結婚を考えられる人でありたい」。これを聞いて、私は違和感を覚えました。何でそんなに結婚をあせらなければいけないのか。いろんな人と恋愛して、より素晴らしい相手を見つけてからでも遅くはないと思うのです。

 一方で、眞子さまに私たち国民と同じような自由があるのかと思うとそうではありません。自由に恋愛することも難しいのでは。まずは、眞子さまが暮らしやすい、伸び伸びと生活できる環境を考えて差し上げることが大切ではないかと思います。

 国民は皇族の方々に負担ばかり押し付けて、あとは無関心でなかったのか。「皇室の危機」と言う前に、もっともっと国民から眞子さまたちに寄り添って、彼女たちの本音に耳を傾ける努力をすべきだと思います。私たちのやるべきことは、まだたくさんあります。

■退位の意向が突きつけたもの

片山 でも、国民が何もして来なかったとは私は思わないんです。戦後の皇室は国民とともにあり、国民の側も常に皇室に関心を持って、皇室に憧れたり、何かあれば大変だと心配してきた。これからの皇室において考えなくちゃいけないことはたくさんあって、今ここまで来ている恋愛に関しては、分けて考えてもいいのではないか、ということです。

河西 お二人とも正しいと私は思うんです。日本国憲法は皇族と国民とでは完全に建てつけが違っていて、国民にはさまざまな自由が保障されていますが、皇族には職業選択の自由はないし、恋愛の自由もあるようでない。戦後70年間、この建てつけの違いは少しずつ埋められようとして来た。でも、その溝が厳然としてあることに改めて気づかされたのが、平成の天皇が退位の意向を滲ませた時でした。天皇も人間なんだと当たり前の事実を突きつけられました。眞子さまも同じことを訴えていると言えなくはない。

■皇族が普通人になってしまったら

片山 天皇自ら「やめたい」とおっしゃったことは決定的だったと思います。年を取ると国民との相互信頼を保つためのパフォーマンス能力が保てぬから退きたいと言われたのでしょう。これは終身在位を定めた明治以降、はじめて天皇のありようを根底から覆しました。この上皇のなさりようを見て、天皇ご夫妻は「二人一緒に」という令和流を模索され、秋篠宮家では自由を巡る問題が起きている。連鎖している。

 河西さんがおっしゃるように、皇族がだんだん普通の人間に近づいてくるのに対し、それを温かく迎える国民がいるという「美しいドラマ」が長く続いて来た。でも、本当に皇族が普通人になってしまったら、天皇の存在価値を巡る議論についに行き着いてしまうでしょう。「美しいドラマ」の許容度を超える現象が起き始めていることを私は「皇室の危機」と言っているのです。そこで国民の度量が試されるのです。

山口 私は昭和の終り頃に生まれて、皇族の方たちが生身の人間であるということを頭では理解していましたが、それを深く考えたことはなかったし、考えたくはなかったというのが正直なところです。ですから眞子さまが持っている生々しい人間味が私たちの感情をあわ立てているところはあるかもしれません。法哲学者の井上達夫先生は、「天皇陛下は最後の奴隷」と言っていましたが、天皇は国民のために祈り続け、奉仕し続けてくれる存在だとなんとなく思っていたツケが、ブーメランのように返って来ているのですね。

( #3 へ続く)

眞子さま駆け落ち婚でも「いずれ天皇の姉と義兄に」小室圭さんのアピール力とNY社交界での“ロイヤルの価値” へ続く

(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2021年6月号)

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