眞子さまが夢見る、元女性皇族のアメリカ生活「日本にいる時よりもしあわせ」《「私」を貫き小室圭さんとご結婚へ》

眞子さまと小室圭さんに年内結婚報道 眞子さま、元女性皇族の米国生活を夢見てNYへ?

記事まとめ

  • 眞子さまと小室圭さんの結婚について誕生日を迎えられた紀子さまがご心境を明かされた
  • 上皇さまの妹・島津貴子さんは米国に2年住み「日本にいる時よりもしあわせ」と語った
  • 眞子さまはこうした暮らしを夢見て米国へ旅立とうとしているのでは、と筆者はつづる

眞子さまが夢見る、元女性皇族のアメリカ生活「日本にいる時よりもしあわせ」《「私」を貫き小室圭さんとご結婚へ》

眞子さまが夢見る、元女性皇族のアメリカ生活「日本にいる時よりもしあわせ」《「私」を貫き小室圭さんとご結婚へ》

婚約内定記者会見での眞子さまと小室圭さん ©JMPA

 秋篠宮家の長女・眞子さま(29)と小室圭さん(29)のご結婚について、9月11日、55歳の誕生日を迎えられた紀子さまは文書でご心境を明かされた。

「長女の結婚については、親として娘の思いや考えを受け止められるよう、対話を重ねております。こうした中、共感できることもあれば、意見が違うこともありますが、お互いに必要だと思うことを伝え合い、長女の気持ちをできるだけ尊重したいと思っております。一連の対応についての受け止めや、今後の見通し、話したことの内容などをお伝えすることは控えさせていただきます」

 小室さんは今後の生活の基盤をアメリカに置きたい考えであると報じられているが、元皇族の女性が外国で暮らした先例として上皇さまの妹である島津貴子さんがいる。眞子さまとの意外な“共通点”と、「公私の問題」をめぐる大きな違いについて、象徴天皇制を研究する名古屋大学大学院人文学研究科准教授の河西秀哉氏が考察する。

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■本人たちの意思が貫徹された

 眞子内親王と小室圭さんが結婚するとの報道が流れた。未だ宮内庁からは正式発表はないものの、納采の儀などの儀式も行わず、皇籍を離脱する際に支給される一時金も眞子内親王が辞退の意向を持っているという。極めて異例の出来事である。婚約内定発表後、小室圭さんの家族の金銭トラブル報道が出、結婚は延期となっていた。その間、週刊誌などのメディアやネット上では様々な批判がなされ、父親である秋篠宮からも国民の理解を得るように求める旨の発言までなされた。

 ただ、過熱する世論に対して、最終的には眞子内親王と小室圭さんは結婚という選択をした。本人たちの意思が貫徹されたと言える。この時期となったのは、先の秋篠宮の求めに応じて出されたと思われる小室圭さんの説明文書によって、説明を果たしたと本人たちを含めて理解したからではないだろうか。そして、小室圭さんがフォーダム大学のロースクールを卒業し、ニューヨーク州の法律事務所に就職できる目処がたったということがあるだろう。眞子内親王は結婚して皇籍を離脱し、ニューヨークに今後、住むことになるとも報道されている。

■「私の選んだ人を…」外国で暮らした元皇族の女性

 これまで、元皇族の女性が外国に住むケースはあった。現上皇の妹、島津貴子さんである。明仁皇太子と正田美智子さんの婚約にともなうミッチー・ブームが高揚していた1959年3月、清宮貴子内親王と島津久永さんとの婚約が明らかとなり、「私の選んだ人を見て下さって…」という彼女の言葉は流行語ともなった。

 おスタちゃんと呼ばれた彼女は、その自由な発言が注目され、メディアにも多数登場する。その結果として、1963年には彼女を誘拐しようとした犯人グループが逮捕される誘拐未遂事件も起こった。目立つ存在だけに、その人物像への評価とともに批判もあり、また危険もあったのである。

■ワシントン転勤にともない、2年間アメリカで居住した結果は

 その島津貴子さんが日本輸出入銀行に勤める夫の久永さんのワシントン転勤にともない、1964年5月から1966年5月までの約2年間、アメリカで居住することになった。出発後、サンフランシスコに立ち寄った島津夫妻は記者会見を開き、貴子さんは「社交界に進出するよりも、主人の仕事をやりよくするために居心地のよい家庭をつくることが願いです」と述べた(「朝日新聞」1964年5月4日)。高度経済成長期の主婦らしく、家庭を守る存在としての女性像が全面に出た言及である。

 そして貴子さんは、「それに日本ではなにかと雑事に追われて、坊やには必ずしもいいママではなかったから、ワシントンでは子どもに大いにサービスしようと思っています」と続けた。すでに長男が誕生していたが、日本にいたときは元皇族として「何かと雑事に追われて」忙しかったため、初の海外生活ではそうした喧噪から逃れ、子育てに集中したいと述べたのである。

■「人目にたたず、ひっそりと暮らせた」を夢見る眞子さま

 自由に振る舞っていたように見えた島津貴子さんも、先の誘拐未遂事件などに代表されるように、息苦しさがあったのではないか。実際、翌年の1月に彼女のアメリカ生活の様子を伝える記事では、「日本にいる時よりもしあわせ。市民として、何の精神的な圧迫もないし……」との感想を寄せている(「朝日新聞」1965年1月1日)。記者はその島津貴子さんの様子を「アメリカ生活の楽しさを語った」と表現した。楽しそうにメディアに登場し、自由活発な発言を繰り返す彼女も、元皇族としての悩みや苦しみがあったのだろう。アメリカに来、それから解放された喜びに溢れていたのではないだろうか。

 帰国時の記者会見では、「こちらに住んで一番重要だったことは、人目にたたず、ひっそりと暮らせたことでした」と最後に述べた(「朝日新聞」1966年5月28日)。これが島津貴子さんの率直な感想だったのだろう。時代が異なり、ネットもある現在、アメリカ社会が元皇族の女性をこの時と同じように「人目にたたず、ひっそりと暮らせ」るようにするとはかぎらない。

 しかし、世間からの批判を浴びてきた眞子内親王は、こうした暮らしを夢見て、ニューヨークへ旅立とうとしているのではないだろうか。元皇族として、あくまで日本国内では「公」の立場であることを意識しつつ、海外に出て「私」の時間を満喫した島津貴子さん。「私」を貫いて小室圭さんと結婚をし、報道によれば渡米前に婚姻届を提出して秋篠宮邸を離れ都内のマンションで一刻も早く「私」の生活を送りたい眞子内親王。この二人のあり方は時代の流れもあるだろうが、対比的にも見える。

■眞子さまがご結婚後に公務を担うことは……

 一方で、安定的な皇位継承のあり方を議論する政府の有識者会議も、眞子内親王の結婚によって、その方向性が定まりつつあるようにも思われる。7月26日の会合で、女性天皇や女系天皇などの皇位継承の問題には今後踏み込まず、女性皇族が結婚後も皇室にとどまる案(女性宮家案)と、旧宮家の男系男子が養子として皇族復帰する案の2案を「今後の検討の中心」とした。その後、「共同通信」が8月6日に、このうち女性皇族が皇室に残る案に関しては、配偶者と子どもを当面は皇族に入れない方針で意見集約をしていることを報道した。おそらく、小室圭さんへの批判が世間的に多いなかで、一般男性を皇族に入れることに忌避感がある声に配慮したものだと考えられる。

 また、同じく「共同通信」が9月6日に「天皇ご一家と4宮家存続の構想 政府、女性皇族が継ぐ案を想定」との見出しを掲げ、愛子内親王、佳子内親王、三笠宮家の彬子女王と瑶子女王、高円宮家の承子女王が、「本人の意向に最大限配慮する」としつつ、結婚後も皇族として残る案を政府が構想していることを報道した。眞子内親王の結婚という報道を踏まえ、その他の女性皇族が結婚後、いわゆる女性宮家として残る案が、今後のあり方として最有力になっていることをうかがわせる。この女性皇族によって、天皇を支え、公務を分担することが想定されているのだろう。

 そこには、眞子内親王が結婚後に公務を担うことは想定されていない。アメリカに行けば、天皇の公務を分担することは難しい。眞子内親王が、現皇室典範の体制の最後の女性皇族として想定されているのである。おそらくそれは、眞子内親王との結婚によって、小室圭さんが皇族に入るのではないかという、やや想定しすぎとも言えるような意見に対して、そうではないと知らせる意図もあったのではないか。

■秋篠宮家の下がった“威信”はどうなるのか

 ただし、この有識者会議の議論では先に述べた様に、女性天皇や女系天皇などの皇位継承の問題には踏み込んでいない。皇位継承順位は変わらず、最終的には悠仁親王が天皇になる。そうすると、高校に進学する悠仁親王への教育をどうするのかという問題は大きな課題となるだろう。そして、女性皇族が仮に結婚後も皇族として残ったとしても、安定的な皇位継承という課題をクリアしたことにはならず、いつかはまた、同じ問題を話し合う必要が出てくる。

 また、今回の眞子内親王と小室圭さんの問題によって、秋篠宮家への世間の批判は高まった。秋篠宮や悠仁親王が天皇に就くとき、そうした下がった威信をどうするのか。眞子内親王の結婚が一応の解決を見た後も、皇室は様々な課題を抱えているのである。

(河西 秀哉/文藝春秋)

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