《死刑判決に控訴》野村悟が来ると幹部は慌てて正座を… 工藤会壊滅作戦を指揮した福岡県警元刑事が見た“総裁”の真の姿

工藤会トップで総裁の野村悟被告に死刑判決 元刑事が野村総裁の真の姿語る

記事まとめ

  • 殺人などの罪に問われた工藤会トップで総裁の野村悟被告に、死刑が言い渡された
  • 工藤会壊滅作戦の現場を指揮した福岡県警元刑事・藪正孝氏が野村総裁の真の姿を語った
  • 溝下会長と異なり、野村総裁は「工藤会会長」という鎧の下を見せることはなかったとか

《死刑判決に控訴》野村悟が来ると幹部は慌てて正座を… 工藤会壊滅作戦を指揮した福岡県警元刑事が見た“総裁”の真の姿

《死刑判決に控訴》野村悟が来ると幹部は慌てて正座を… 工藤会壊滅作戦を指揮した福岡県警元刑事が見た“総裁”の真の姿

工藤会関係先を家宅捜索する福岡県警捜査員と野村悟被告(中央左)、田上不美夫被告(同右)=2010年4月、北九州市小倉北区 ©?共同通信社

市民襲撃の4つの事件で殺人などの罪に問われ、「工藤会」トップで総裁の野村悟被告(74)に死刑が言い渡された。かつて「暴力の街」「修羅の街」と呼ばれ、工藤会が牛耳った福岡県北九州市。工藤会壊滅作戦の現場を指揮した福岡県警元刑事で、「 県警VS暴力団 刑事が見たヤクザの真実 」(文春新書)の著書がある藪正孝氏が語る、工藤会・野村悟総裁の真の姿とは。

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■五代目工藤會・野村悟総裁、予想外の死刑判決

 8月24日火曜日、福岡地裁は、五代目工藤會・野村悟総裁に対し死刑、田上不美夫会長に無期懲役の判決を下した。報道によると、野村総裁は裁判長に対し「全然公正じゃない」「生涯後悔するぞ」と発言したという。野村総裁も死刑判決はショックだったのだろう。私自身も無期懲役を予想していた。

 警察庁は平成24年以降、暴力団等の意に沿わない事業者等への襲撃事件を「事業者襲撃等事件」と呼び、平成19年以降の発生件数を公表している。平成25年版警察白書では、平成20年から平成24年までの間に発生した事業者襲撃等事件の件数が掲載された。その1位は福岡県で57件、以下佐賀県7件、東京都・岡山県各5件と続く。私は、57件中、工藤會によるものは30件、残り27件は福岡県の道仁会と太州会によるものと推測している。

 平成24年12月、工藤會は全国で唯一、暴力団対策法により特定危険指定暴力団に指定された。そして平成26年9月、野村総裁ら工藤會主要幹部が検挙され社会から隔離されて以降、工藤會による襲撃事件は皆無、全国の事業者襲撃等事件も激減し昨年はわずか1件だった。

 今回の死刑判決は、間違いなく工藤會にとって大打撃だ。そして、他の暴力団はそれをしっかり学習している。だが、平成25年春まで工藤會対策に携わってきた私にとっては、喜びも半ばだった。なぜなら、工藤會壊滅、暴力団壊滅、未だ道半ばだからだ。

 野村総裁らに対する今回の判決は4つの事件に対するものだ。1件が元漁協組合長に対する殺人事件。そして残りは、福岡県警元警部、元漁協組合長の孫にあたる歯科医師、女性看護師が被害にあった組織的殺人未遂事件3件だ。

■工藤會と草野一家の歴史

 元警察官、あるいは女性に対しても容赦なく襲撃を繰り返してきたのが工藤會だ。そのトップである野村総裁は、昭和21年に小倉市(当時)の裕福な農家の末っ子として生まれた。中学時代からグレはじめ、昭和45年頃に工藤会(現・工藤會)入りした。20代後半には早くも工藤会最有力組織だった田中組の傘下組織・木村組の若頭に就任している。野村総裁は、警察に何度も逮捕され服役もしている。だが、昭和55年ころに出所後は、今回、逮捕されるまでの間、何度か逮捕されたが何れも起訴猶予となっている。暴力団組織で上位へ登り詰めるだけの運と実力には間違いなく恵まれていた。

 当時、工藤会は同会から分裂した草野一家と激しい抗争を繰り広げていた。昭和54年には草野一家極政会組員らにより初代田中組長が射殺されている。その極政会を率いていたのが、後に工藤會三代目となる溝下秀男会長だ。溝下会長は野村総裁と同じ昭和21年生まれだ。

 工藤会と草野一家は、昭和62年に再び大同団結し、以後、工藤連合草野一家、二代目工藤連合草野一家、三代目工藤會、四代目工藤會、そして現在の五代目工藤會へと続いてきた。

■野村総裁とその右腕、田上会長

 溝下会長は野村総裁にとって親分の敵(かたき)だが、野村総裁は理事長、ナンバー2として、その溝下会長を支え続けた。そして、平成12年1月、溝下会長は名誉職の総裁に就任、野村理事長が四代目会長を継承した。その野村総裁の右腕が、今回、無期懲役の判決を受けた田上会長だ。野村総裁は三代目田中組長、田上会長は四代目田中組長、そして現在公判中の工藤會ナンバー3・菊地敬吾理事長が五代目田中組長だ。田上会長は田中組系列組織の若頭だったが、野村総裁に大抜擢され田中組若頭となり現在に至る。特に平成20年に溝下総裁が病死した後、工藤會で野村総裁は絶対の存在だった。工藤會が暴走した一因はそこにある。

 野村総裁が会長時代、その自宅を捜索した際、野村総裁と少し話をしたことがある。その時、感じたのが田上会長ら工藤會幹部の野村総裁への絶対忠誠の姿勢だった。

 本家と呼ばれた野村総裁方は、地上2階、地下1階の豪邸で、広い玄関を入ると正面は二畳ほどのガラス張り展示室、誰かの大きな絵が飾られていた。左は縁側、右は長い廊下で突き当たりが2階へ通じる階段になっていた。

 捜索中、野村総裁が2階から下りて来たが、それに気付いた何人かの幹部は慌ててその場に正座した。

 階段すぐ横が広い応接室で、私は言われるまま奥のソファーに座った。野村総裁、田上会長の席は決まっているようだった。幹部、当番組員らは何れも黒っぽいスーツ、ネクタイ姿だったが、野村総裁は白のジャージ姿だったと記憶している。

 現場責任者の私に対し、野村総裁、田上会長ともに敬語で応対した。だが、後に会った溝下会長が時に本音を語ったのに対し、野村総裁は「工藤会会長」という鎧の下を見せることはなかった。

「北九州はいいところでしょう」野村総裁がそう口にした。北九州市出身の私は賛同した。「……がなければ、もっといい街なんですけどね」私があえて聞き取れないように答えると、野村総裁は「ヤクザですか……」と苦笑した。さすがに私も当人らを前に「工藤會」と言うのは遠慮したのだ。

■工藤會排除に多くの市民が協力

 福岡県の暴力団の「縄張り」(勢力範囲)を各暴力団は明確に遵守している。山口組も工藤會の縄張りを尊重している。だから、工藤會は他団体を気にすることなく、北九州地区の利権掌握に努めればよかった。それが工藤會が暴走したもう一つの要因だ。

 だが、今回判決が下された元漁協組合長殺人事件のご家族らのように、工藤會の卑劣な暴力に対し、多くの市民、事業者がノーを突きつけた。平成24年8月に始まった暴力団員の立ち入りを禁止する暴力団排除の標章を、北九州市の該当店舗の7割以上が掲示してくれた。それまでみかじめ料を払い続けた建設業者の皆さんは、拳銃を撃ち込まれても工藤會の要求を拒否した。だからこそ、追い詰められた工藤會はテロとも言える事件を繰り返したのだ。

 全国初となった総合的暴力団排除条例を福岡県が制定したのも、工藤會の一連の襲撃事件が最大の理由だ。工藤會は全国暴力団に多大なる悪影響を与えたのだ。だが、それを公然と非難する暴力団組織はどこにもいない。暴力団に逆らうとどんな酷い目に遭うか、それを工藤會が示してくれたからだろう。

 今、工藤會が本拠を置く北九州市は全国の政令都市で最も安全な街と言って良いだろう。それは警察の力だけではない。福岡県、北九州市などの行政、そして何よりも工藤會の卑劣な暴力に屈しなかった市民、事業者の皆さんの地道な努力の成果だ。だが、工藤會組員の多くはこれからも工藤會にしがみつき、違法・不当な活動を続けていくだろう。

 工藤會ほど追い詰められた暴力団はかつてなかった。全国で暴力団排除条例が施行された平成23年末、約3万2700人だった暴力団員は大幅に減少している。昨年末現在、全国の暴力団員は約1万3300人だ。だが彼らは、工藤會のように市民や警察に牙を?く必要などない。敢えて暴力に訴えなくても、それなりに必要な資金を得ることが可能だからだ。

 暴力団はこれからもその数を減らしていくだろう。だが、社会にはまだまだ彼らが生きていくだけの隙間が存在する。暴力団壊滅、未だ道半ば、そしてゴールはまだ見えない。工藤會は特別ではない。表向き任侠団体を標榜し、実際は持続的かつ暴力的犯罪集団である暴力団の真の姿、それをより多くの方に知っていただきたい。

(藪 正孝)

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