教師から濡れ衣を着せられ…「子どもの頃に受けた傷」が、大人になっても被害者を苦しめ続ける

教師から濡れ衣を着せられ…「子どもの頃に受けた傷」が、大人になっても被害者を苦しめ続ける

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 生育環境が良くなかったからなのか、学生時代に良い先生に巡り会えなかったからなのか、とにかく大人を信用できない子どもだった。

 正確に言うと「信用できなくなった」の方がぴったりくる表現で、家庭で虐待を受けていたことや、学校で先生にいじめられたり、濡れ衣を着せられたりした経験が積もり積もって、いちいち傷付くのが嫌になった結果、中学生のときくらいに「もう他人を信頼するのをやめよう」と心を閉ざすようになってしまった。

■決定的な事件

 私が他人を信用しなくなった決定的なできごとは、中学1年生のとき「クラス内でいじめの主犯をしている」という濡れ衣を生活相談係だった女性の先生から着せられたことだった。

 その先生が担当していた英語の授業中、「ちょっと来い」と指示された別教室に入った私を待っていたのは、突然の怒号と、机や椅子を蹴り飛ばすなどの「脅し」だった。身に覚えのない「いじめ」を必死で否定しても、先生は私の話を聞く気はまったくないようで、ひたすらに私を罵倒しつづけるので、途中で反論する気力すら奪われてしまった。

 のちほどわかったが、私のことを気に入らないクラスメイトが、私を陥れるためにその先生に嘘の相談をし、話が大きくなって相手側の両親が学校に問い合わせをしてきたことが背景にあったらしい。学校側からすれば、相手側の両親の怒りをおさめるために、早く私にいじめを認めさせ、謝らせて問題を解決したかったのだ。

 授業が終わる頃になっても私がどうしてもいじめを認めないので、その先生は悔し涙をこぼす私に「落ち着いたら教室に帰れ」と指示し、部屋から立ち去った。すると間もなく、私の担任である先生が入ってきて、私の体をベタベタと触り、「俺はお前の味方やからな」と執拗に話しかけてきた。男の行動に嫌悪感を抱きつつ「私はやってません」と訴えたが、担任はウンウンと言うだけで、生活相談の先生に抗議してくれるわけでも、何かしらの行動をとってくれるわけでもなかった。

■40歳を超えた大人であっても……

 家に帰って制服のまま泣いている私を見た母親が異変に気付き、事情を把握すると、学校に猛抗議の電話を入れてくれた。母親は普段、私にとって良い母親ではなかったが、私が外で傷付けられることに関しては非常に敏感で、無性に腹をたてる人だった。

 生活相談の先生が不在だったため、担任の先生と話していた母親が、私と担任の言い分が食い違っていることに気が付き、電話を保留にしてこう聞いた。

「あんたの担任、あたしが『なんで担任のあなたは何も対応してくれなかったのか』って聞いたら、今日は出張で一日じゅう学校にいなかったから、あんたが呼び出されたことも、泣いてたことも今の今まで何も知らなかったって言ってるけど、どっちが本当?」

 このとき、40歳を超えた大人であっても、しかも教師であっても、自分の保身のためなら平気で子どもを犠牲にする嘘を吐けること、そして、自分たちの都合のためなら、子どもを恫喝してでも嘘の「既成事実」を作ろうとすることを知った。

 その後、嘘がばれて母親からこっぴどく、ボロクソに詰問された担任の男は、泣きながら「吉川に代わってもらえませんか」と懇願したという。電話に出ると、担任は嗚咽しながら「吉川は俺のこと嫌いかもしれないけど、俺は吉川のことが好きだから」とくりかえしていて、気持ちが悪いので「切りますね」とだけ伝え、すぐに電話を切ってしまった。

 私は幼少期から家庭内で殴られていて、母親とも共依存の関係だったが、この一件以降、幸か不幸か「やはり他の人間を信用してはいけない」と思うことで、ますます依存関係が強まってしまったように思う。けれども、あくまでこの一件に関しては、私は母親に助けられたことに違いはない。

 だからこそ、私は「学校」に対するトラウマをそこまで大きく抱えていないのだと思う。

■学校でいじめにあっていた知人

 一方で、小学校の頃に、クラスメイトと教師から凄惨ないじめに遭っていたという知人がいる。毎日毎日ひどい目に遭うので、ストレスで髪の毛が大量に抜けてしまったり声がうまく出せなくなったりしてしまったが、さらにその様子を面白がって笑われるので、生きているのが本当に辛かった、と話していた。

 私は学校でそこまでひどいいじめに遭ったことはなかったが、親からの虐待、兄からの家庭内暴力と家庭内に大きな問題を抱えていて、それはそれで逃げ場がどこにもないので、小学生の頃からいつも死ぬことばかり考えていた。

「学校に行くのをやめたいと思わなかったのか」と私が聞くと、知人は「親に知られたくなかったから、どうしても言えなかったし休めなかった」と答えた。親にも言えない、学校の先生は助けてくれるどころかいじめに加担している。どれだけ地獄だったことだろうと想像して、胸が痛くなった。

 私にはあのとき戦ってくれる母親がいたが、知人は優しすぎる性格で、どうしても母親に心配をかけたくなかったのだという。

 私も知人も、もう長い間うつ病と闘っている。私はうつ病にくわえて「複雑性PTSD」(家庭内殴打、児童虐待など長期反復的なトラウマ体験の後にしばしば見られる、感情の調整困難を伴う心的外傷後ストレス障害)の治療もしているが、知人もまた、うつ病以外に抱えている問題があるという。

 互いに逃げ場がなかったことが大きく影響しているらしく、私も知人も、良い大人になってなお、他者と関わるのがこわくて苦手だ。

■守ってくれる大人がいたかどうか

 私には子どもがいないが、子どもにとって「守ってくれる大人がいない」または「逃げ道がない」というのがどれほど地獄であるか、そしてその後、大人になってからも長く続く苦しみについて、考える機会が増えた。

 子ども時代に他者から大きく傷つけられた人間は、心を閉ざしたりむりやり形を曲げたりして、どうにか他者との関係性において、過剰に「適応」しようとする。そして不自然な形に押しすくめられたまま成長した心は、修復されることなく「生きづらさ」となって残り続ける。

「生きづらさ」というとイメージがしづらいが、実際には希死念慮、フラッシュバック、悪夢、不眠、不定愁訴などに悩まされ、精神疾患や障害につながることもあるため、いかに早く問題を発見し、トラウマを形成する要素を排除し、安全な場所に移すか、が重要な鍵となる。

 実際、幼少期から続いた虐待や家庭内暴力による影響が私の身にはっきりと現れたのは中学生以降であり、異変に気付きつつも逃げ場がなく、精神科通院とカウンセリング治療を受けられるようになったのは、ここ数年のことである。

 知人は知人で、自分が抱える生きづらさやうつの症状を薬を飲むことでだましだまし、どうにか生きている。

 二人とも、ふいに訪れる「消えたい」という強い誘惑と戦いながら、それぞれの数十年前、十数年前の傷を抱えて、ひたすらに続いていく日々をしのいでいるのだ。

■一生の傷になる、死んでしまう子どももいる

 正直なところ、私は自分を害してきた家族のことはもちろん、あのときの教師のことも許せないし、これからも許すことはないと思う。共依存だった母親と完全に連絡を絶ち、家族と事実上絶縁状態になった今でも毎晩、家族が出てくる悪夢やフラッシュバックに悩まされている。

 濡れ衣を着せてきた教師に関しては、もう私のことなんて覚えていないと思う。もう一生関わることはないだろう。

 最近、知人と連絡をとったとき、雑談がてら「もしも今になって相手が『許して』なんて言ってきたら、どうするか」と聞いてみた。

「許せないと思う。相手にとっては過去のことでも、自分の中ではまだ終わってないから」

 本当にそうだ、と思う。知人はたまたま死ななかっただけで、いじめを苦に自死してしまう子ども、またはその傷のせいで大人になってから死んでしまう大人だって存在しているのだ。

「いじめ」という言葉で問題が矮小化されがちだが、他者に対して危害を及ぼすことは「傷害」「暴行」であり、本来なら事件化してもおかしくないはずだ。

「子どもの頃に受けた傷」が、大人になっても被害者を苦しめ続ける、というのは、もっともっと広く世間に知られてほしい。

INFORMATION

いじめ、家庭内殴打、DV、セクハラ、パワハラ、SNSの誹謗中傷などで悩んでいる方へ
さまざまな人権問題の解決に向け、法務省により、電話やインターネット、LINEで無料相談ができる「人権相談」窓口が開かれています。

法務省:人権相談
https://www.moj.go.jp/JINKEN/index_soudan.html

希望する場合には支援や適切な措置をとってもらうことも可能ですので、一人で悩んでいる方は、まずは相談を。

(吉川 ばんび)

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