ソウルの観光地・明洞近くのホステルは、かつてKCIAの本拠地だった…“地獄の拷問”が行われた場所の今

ソウルの観光地・明洞近くのホステルは、かつてKCIAの本拠地だった…“地獄の拷問”が行われた場所の今

かつてKCIA本館だったソウルユースホステル全景。都心に近く、人気のユースホステルだ  ©菅野朋子

 ソウルのランドマーク「Nソウルタワー」を抱き、人気の観光スポットとして、そして、ソウル市民には憩いの場所として親しまれている南山(標高265.2m)。西側から東側に続くなだらかな散策路には今も多くの人が訪れる。

 そんな南山に最近、「ダークツアー(負の記憶が残る場所を巡るツアー)」と称して足を運ぶ人々がいるという。

 南山のダークツアーは南山北麓一帯をたどる。

 この一帯には、軍事政権時代(1960年代〜80年代)、韓国の「黒歴史」ともいわれるKCIA(中央情報部。現国家情報院)の本部やその施設が散らばっていた。今年、設立60周年を迎えた国家情報院の軌跡の一端を追ってみた。(前後編の前編/ 後編 を読む)

◆ ◆ ◆

 回り方はいろいろあるが、まずは中心となる本館から訪ねた。

 最寄り駅はソウル市中心部、こちらも観光で人気の明洞がある地下鉄明洞駅。ここから北麓に続く道は「記憶の場所」という名がつけられているが、これについては後で触れよう。

 緩やかな坂をのぼり、再びカーブにさしかかると、丸みを帯びた壁には「世界人権宣言」の文言が刻まれた案内板が並んでいた。当初、ここにはKCIAが行った人権蹂躙の実態についても刻まれる予定だったが除かれたという。第30条まである「世界人権宣言」を読みながらカーブを曲がるとレンガ色をした古びた建物が見えてきた。「ソウルユースホステル」だ。

 鬱蒼とした森の中に建つ、隠れ家のような佇まい。普段なら世界から集まるバックパッカーや観光客の姿があるのだろうが、コロナ禍とあって人気はまったく感じられない。駐車場の隅にパトカーが1台。正面玄関にかけられた横断幕には、「ソウル特別市生活治療センター」とある。ホテルの人に訊くと、昨年6月から新型コロナに感染した軽症者向けの入院場所になっているという。

 この一見なんの変哲もない建物がかつてKCIA(中央情報部)の本館だった。

■日本でも拉致事件が…海外にまで及んだKCIAの活動

 KCIAは故朴正熙大統領が1961年、米国のCIAを模して作った、大統領直属の情報機関だ。しかし、国家安保のための海外情報活動を行うCIAとは異なり、その目的は政権に反対する当時の民主化運動家やマスコミなどを監視し、取り締まることにあった。そしてその活動は海外にまで及んだ。

 日本で起きた故金大中元大統領拉致事件はあまりにも有名だろう。当時、民主化を目指す活動家で、朴元大統領の政敵だった金元大統領が1973年8月8日、白昼、東京・九段下にあったホテルグランドパレスで拉致されたのだ。

 連れ去られた金元大統領は神戸から船に乗せられたとされ、この時、足には重りをつけられたと自身が証言している。しかし、事件を察知した日本政府が照明弾投下などで船を威嚇したことにより、実行犯は事件が明るみに出たことを悟り、殺害を断念したといわれ、事件から5日後、金元大統領はソウル市の自宅近くで解放されている。

 日本の警視庁はホテルから駐日韓国大使館の当時の一等書記官の指紋を押収したが、その後、日韓の間では曖昧な「政治的決着」がなされ、この事件は以降、公の場で俎上にのぼることはなかった。2007年、盧武鉉政権時に発足した「過去史真相究明委員会」は、この事件は当時のKCIA部長が指示した組織的な事件であり、朴元大統領も暗黙の了解の上だったという報告書をまとめている。

 KCIA本館に話を戻そう。

 この本館を中心に南山北麓一帯には40個あまりのKCIA関連施設があったといわれるが、その存在は機密事項とされ、今も明らかにされていないものも多いという。

 本館は1972年に建てられた。南山がその地に選ばれたのは、ソウル市の中心部であり青瓦台からの呼び出しにいつでも動けるようにするためだったといわれている。1970年代の学生時代、民主化運動に関わったとしてここに連行された経験を持つソン・ホチョル西江大学名誉教授は当時のKCIAとのやりとりをこう記している。

「おい、大韓民国でいちばん高い山はどこだ?」

「漢拏山です(標高1947m。韓国でもっとも高い山。済州島にある)」

「この野郎、ソウル大政治学科の学生というのは本当か。漢拏山だと、南山だろう」(プレシアン、2021年7月30日)

 大統領直属の国家最高機関という奢り。南山はKCIAの通称となり、南山からやって来たと言われるとみな震え上がったという。

■?“地獄”の拷問が行われた「地下バンカー」

 ソウルユースホステルと向き合う駐車場の隅には「ソウル総合防災センター」と書かれた丸みがかった形をした建物が建っている。ここはKCIAの「第6別館」だったところだが、別館というのは名ばかり。外からは分からないよう地上には建物はなく、本部とつながる地下3階まで広がる取り調べ室があり、そこでは”地獄”の拷問が行われ、「地下バンカー」や「地下拷問室」と呼ばれたという。対象者は反政権の政治家やマスコミだった。?

 今、残っているのは片隅に建てられた説明板だけだ。「旧中央情報部6別館」と書かれた説明板の場所を示す矢印は地下深くまで伸びている。ここの地下空間はついぞ公開されることはなかった。

 本館をあとにし、今度は対共(対北朝鮮)捜査局、有り体に言えば、北朝鮮のスパイを洗い出す部署があったという第5別館跡へと向かう。なだらかな坂の一本道。右手には南山の木々がこんもりと茂っていて、左手下の道路には車がひっきりなしに往来し、時々すさまじい騒音が響く。道路を隔てた向こう側に広がるのは韓国の民俗文化を伝える「南山コル韓屋村」だ。

 ほどなくトンネルが見えてきた。

 ここを通り抜けた“容疑者”たちはトンネル向こうにある第5別館の地下に連れて行かれ、残忍な拷問を受けたと伝えられている。

■トンネルの入り口には、「謎のボタン」が

 そんな話を聞いていたからか、午前だというのにトンネルの中に入るのが少し躊躇われた。入り口近くには「音の道」と書かれた説明板があった。トンネルの長さは84mとある。

 その脇には非常ボタンを思わせるような赤いボタンがあり、ボタンを押すと、トンネルの入り口にあった鉄門が閉まる音、革靴がコツコツと鳴る音、タイプライターのカタカタというせわしない音、水の音、歌を歌う音が幾層にもなって響き渡るとある。当時の痛ましい記憶を演出するものとして設置されたそうで、いったいどんな音だったのか。

 人がいなくなるのを見計らって押してみた。しかし、何度押しても音は鳴らない。前に触れたソン名誉教授は、音の記憶の中では、取り調べ官が部屋に近づいてくるスリッパ(サンダル)の音がいちばん恐ろしかったと語っている。

 ボタンの前でがっくりしているところへ、「何をしているの?」と南山の散策路へ行くという60代の夫婦が話しかけてきた。南山の散策路には毎日のように通っており、このトンネルを抜けるのも日常になっているが、音が鳴る装置があることは知らなかったという。「恥ずかしい過去ですよ。でも、韓国は民主化を成し遂げて変わり続けてきましたからね」、そんなことを言ってトンネルの中に入っていった。

 あとでソウル市に訊くと、そうやって南山の散策路に向かうためトンネルを往来する人が多く、音を鳴らされて不快だというクレームが殺到し、今は一時的に中断しているのだという。

 夫婦に続いてトンネルの中に入った。残暑がぶり返していた日だったが、中はひんやり。拷問へ続くトンネルだったと考えると背筋が少し寒くなった。トンネルを通り抜けるころ、灰色の、4階建ての低い建物が現れた。その向こうには南山の散策路へとつながる道が続いており、ここから散策に向かう人も多い。

 KCIAの「第5別館」だったこの建物は、今は南山一帯を管理する「ソウル特別市中部公園緑地事業所」になっている。建物の後ろには地下の取り調べ室に続く階段が残っていると聞いていたので、駐車場からぐるりとまわってみた。KCIA時代には“容疑者”を乗せた車をここに横づけして、車からすぐに引きずり出して地下に連れて行ったという。

 第5別館では、100日間も監禁し強制的に自白させるなど、他部署での拷問は「マッサージ水準」といわれるほど残忍極まりない拷問がここで行われていたと伝えられている。

 KCIA本館がソウルユースホステルとなったのは2006年からだ。現在の国家情報院は1995年に江南に移転しており、この本館も撤去される予定だった。しかし、反対世論に押される形で計画は白紙化され、その後、国家暴力の過去が残る場として、人々が使用する教育施設などにする声などが上がっていた。保守派の李明博元大統領がソウル市長を務めていた時代の話だ。

 結局、ソウル市はユースホステルとして活用することを決定し、今に至っているわけだが、今でも進歩派からは不満が漏れる。

■「肉局」と呼ばれ恐れられた部署

 その後の2009年、ソウル市はソウルユースホステルがある南山北麓一帯を「南山ルネッサンス事業」と銘打って再開発に乗り出した。同じく保守派の、今年ソウル市長に返り咲いた呉世勲氏の1期目の時代だ。この時もソウルユースホステルをはじめKCIA関連施設を撤去しようとしたが、再開発の途中で日本の植民地時代の遺跡が発掘されるなどして頓挫したといわれる。

 2011年から20年まで、ソウル市長は進歩派の故朴元淳前市長へと代わり、計画は紆余曲折を経て、17年にはKCIAの悪名高き「6局」跡地が市民に公開された。

 6局は主に民主化運動をしていた学生たちを査察、捜査する部署といわれ、人を単なる肉の塊とみなしたことから、「肉局(6局と同じ発音でもある)」とも呼ばれ怖れられたという。6局の跡地も当初は「拷問博物館にすべきだ」という意見が寄せられていたが、代わりに人権を考える場所とし、公園の1階も独立運動家の記念館になっている。

 第5別館跡から踵を返し、その6局跡へ向かった。来た道をそのまま戻る。再びソウルユースホステル前を通り、「世界人権宣言」の説明板があるカーブを曲がると、右手にはオープンしてまもない「南山芸場公園」が見えてきた。ここは「南山ルネッサンス事業」で新たに造られた公園だ。道なりの左側には1910年に日韓併合条約が結ばれた「統監官邸跡」がある。この場所についても後で触れる。

「南山芸場公園」につながる歩道の脇には保護樹木の銀杏の木がそびえていた。1996年に保護樹木として指定され、その時点で樹齢400年とある。朝鮮時代からあったわけで、これまでどんな光景を見てきたのだろう。そんなことを思いながら公園に進むと、よく手入れされた庭園のような光景が広がった。

 KCIA6局を記憶する建物は行けばすぐ分かると言われていたが、すぐ目についた。公園の中でひときわ異彩を放つ、深い赤色をしたポストの形をした建造物。そこが「記憶6」と呼ばれる建物だった。

「後ろ向きにさせて縛って、顔には水を」…“地獄の拷問”が行われた韓国KCIA「肉局」跡地で目にしたモノ へ続く

(菅野 朋子)

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