「覚醒剤で逮捕。自宅に手榴弾が投げ込まれた」激しすぎるヤクザ時代と結婚離婚を繰り返した過去「子供は計7人」《九州3児遺体》

「覚醒剤で逮捕。自宅に手榴弾が投げ込まれた」激しすぎるヤクザ時代と結婚離婚を繰り返した過去「子供は計7人」《九州3児遺体》

田中被告(「FNNプライムオンライン」5月6日配信より)

「逆ナン」で出会った“太宰府の女帝”と残虐な犯行「カッターナイフで爪を剥ぎ…。被害者は叫んでいた」《九州3児遺体》 から続く

 2021年2月に、養子の大翔くん(ひろと・当時9)を暴行の末に死に至らしめ、その10日後に心中するために実子である蓮翔ちゃん(れんと・当時3)と姫奈ちゃん(ひな・当時2)を絞殺した田中涼二被告(42)。文春オンライン取材班は、これまで10回以上にわたって福岡拘置所で面会を重ねてきた。

 田中被告は幼少期に両親からの愛情に恵まれず、「2人とも仕事ばかり。父親からは目が合ったら殴られた」という。10代の頃には非行の末に警察沙汰にもなっている。

 約20年前には当時婚姻関係にあった“太宰府の女帝”山本美幸被告=懲役22年の有罪判決、控訴中=と共謀して、山本被告の元交際相手とその友人に残虐な暴行をし、200万円を脅し取ったこともあった。そして、「九州3児遺体発見事件」に至ってしまった。

 そんななかで、田中被告が「自分の人生で、これが後に最も後悔した瞬間」が「ヤクザの幹部だった」という山本被告の父親から誘われ、九州の指定暴力団に入ったことだったという。( 田中涼二被告拘置所インタビュー#1 、 #2 、 #3 、 #4 )

■「抗争が激しくて自宅に手榴弾が投げ込まれた」

「金融の仕事や、覚醒剤の売人をやりました。覚醒剤は自分も使ってしまい、2回捕まりました。ヤクザは10年くらいやっていましたね。30歳ごろまでです。この時、対立組織との抗争が激しくて、自分が帰宅すると手榴弾が投げ込まれたんです。シノギもきつくて稼げないし、このままじゃいつか死んでしまうと思いました。それで東京に飛んだんです」

 福岡から逃げ、向かった先は、埼玉県の西川口だった。

「同じようにヤクザを辞めた人間を支援している牧師さんを頼りました。兄弟分のつてで、仕事もしました。でも東京ってなんか合わないんですよ。道を尋ねても誰も教えてくれない。道を譲ってもくれない。そういう空気が息苦しくて、33歳か34歳のときに福岡に結局戻ってきました。

もしあの時、ヤクザの道を選んでいなければ、今は普通の仕事をして普通に生きているんじゃないかと。あの時に間違ってさえなければ今も違ったのではないかと思うんです。今更何を言っても遅いですが。本当に後悔しています。失った時間を返してほしい」

 田中被告は当時について詳しくは語らなかったが、記者が話題を振るたびに、ヤクザの世界に足を踏み入れたことを何度も悔いた。 

 ヤクザ時代はずっと独り身だったのだろうか。記者が尋ねると、驚きの答えが返ってきた。

「いいえ、2回結婚していますよ。結婚したのは山本が最初で、ヤクザ時代には別の人と2回結婚して離婚しています。大翔や蓮翔、姫奈の母親のA子とは、東京から福岡へ出戻った後に出会いました」

 2回目と3回目の結婚でも子供が生まれているという。

■結婚離婚を4回繰り返し、子供は7人

「27、28歳で2回目の結婚をしました。相手は知人の紹介で知り合った、学校もしっかり出ている普通の女性でした。女の子と男の子ができました。相手からヤクザをやめてくれと言われたのですが、さすがにすぐには辞められなかった。そのうち向こうの両親にバレてしまい、離婚となったんです。子供とは強制的に離されました。ヤクザをしている以上、子供を一人で見るのは難しいですから。

 3回目は30歳過ぎですかね。相手は5歳くらい下で、飲み屋で知り合いました。相手の男癖が悪く、この結婚期間も短かった。自分も相手を殴ってしまって、傷害でパクられもしましたね。このときは女の子が生まれました。今は10歳か11歳くらいになっています。この時も親権はとれませんでした。裁判で争いもしたが、やはり子供は母親側に、となりました」

 まとめると、田中被告は4回の結婚離婚を繰り返し、計7人の子供がいることになる。元妻へのDVやヤクザ稼業などを鑑みると、離婚後に子供の親権をとることができなかったことは、子供の将来を考えると適切な決定だろう。

 しかし田中被告にとっては納得のいかない処遇だったようだ。

■過去語りで頻出する“他責的な物言い”

「山本との間の子供とも、2回目と3回目の子供とも、無理やり引き離されたんですよ。で、その後も関わりはまったくない。自分は子供が好きなんです。子供の笑顔って本当にこっちも嬉しくなるんですよね。そんな経験もあって、蓮翔と姫奈とも離れたくなくて……。こんな結果になってしまったんです」

 過去を語る田中被告は、「山本の父親に暴力団へ“誘われた”」「子供たちとは“引き離されてきた”」など他責的な物言いが多かった。確かに過酷な人生だが、自分の行いや選択に対する反省はほとんどなく、幼稚な印象は拭えない。

 思い通りにいかない人生の中で、田中被告が生き生きと語ったのが、子供たちとの思い出だった。

「趣味も特技もないんですよ。そんな人生ですが、子供と遊ぶのが一番楽しかったです」

 田中被告はそう言って、“父親”として最も長く一緒にいた子供たち、大翔くんや蓮翔ちゃん、姫奈ちゃんとの思い出を振り返った――。

( 田中涼二被告拘置所インタビュー#6 へ続く)

《九州3児遺体》子供たちを死に至らしめた加害父の“無責任で幼稚な愛”「子供の笑顔は何にも代えられない」「子供たちを最後まで見たかった」 へ続く

(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))

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