兄がだまし取った財産は3800万円……認知症の母と躁うつ病の兄に見た「8050問題」の壮絶

兄がだまし取った財産は3800万円……認知症の母と躁うつ病の兄に見た「8050問題」の壮絶

斎藤育子さん 写真:筆者撮影

 近年、注目されつつある「8050問題」。高齢の親が中高年の子どもの生活を支えるというもので、親が高齢になるとともに生活破綻リスクが増えることが危険視されている。

 この問題は1980年代に始まる「ひきこもり」が原因とされるが、一方でそれとは別の原因から「8050問題」と向き合わざるを得なくなった女性もいる。関東在住の斎藤育子さん(仮名・50代)は、30代で精神障害を発症したお兄さんと、高齢化した母親との間で問題が顕在化した。

■「離島に空港を作る」病気の兄が吐いた妄言

「兄は30代前半で、重いうつ病をわずらいました。当時は会社の寮に住んでいたのですが、心配した両親が実家に引き取り、3年ほどは真っ暗な部屋にひきこもる生活でした。動けない、死にたいと嘆く彼を両親が世話していたのですが、数年後、今度は躁転したことで病名が双極性障害に変わりました」

「躁転」とはうつ状態が躁状態に変わることで、「双極性障害」は躁状態とうつ状態を繰り返す脳の病気である。斎藤さんのお兄さんは激しい躁とうつ状態を繰り返す双極I型で、躁状態になると妄想を抱いたり、多弁になったり、周囲の人に暴言を吐いたりするという。

「発症して30年。普段はまじめで暗い性格の兄ですが、躁転すると手がつけられなくなるほど、過度な飲酒や浪費といった奇行に走ります。家族だけで解決できないことも多く、そんなときは精神科に入院させ、3カ月間ほど強い薬で躁状態を抑え込みます。退院したときはうつ状態で、それが数カ月から半年ほど続きます。それから数年は会社員として働き、3〜5年するとまた躁状態に。どうやら毎回何らかのストレスが原因で躁転するようですが、退院さえすれば落ち着くので、両親は兄のしたことを特に反省させることもありませんでした」

 躁状態のお兄さんは現実と妄想の境がなくなり、時には予想もつかない行動に出る。ある時は「離島に空港を作ろうとする兄」を止めるため右往左往したという。

「離島へ旅行に行った兄は飲み屋で地元の人と知り合いになって、『島には空港がないから、病人が出ると大変だ』という話を聞きました。すると、なぜか自分が空港を作らなければいけないと思いこんでしまい、建設会社などに電話して空港建設を提案したそうです。もちろん誰も本気にしなかったそうですが……」

 またある時は、障害者採用枠で働いた会社に寮がないことに気づき寮を建てようと奔走したり、知り合った女性が飲み屋で監禁されているという妄想を抱き、夜中に助け出そうとガラスを割って侵入したこともあるという。そうした問題行動が警察に通報され医療保護入院したこともあった。

■「あんな子は死んでしまえばいいんだ」

 お兄さんが何か事件を起こすたび、斎藤さんが後始末をしてきた。購入した高額商品のキャンセルや、迷惑をかけた人への謝罪、関係各所への手続きなど、その作業量は分厚いファイルが1冊できるほどだったという。

 一方で、母親は病気のお兄さんを不憫に思ってか、事件を起こして入院したあとも、退院すれば実家に迎え入れ、食事や洗濯、掃除などあらゆることで彼を支えてきた。

「私も結婚して実家を離れてからは、兄の不始末はすべて両親に任せていました。だから自分が口出しすることはないと思っていたのですが、一方で兄が甘やかされて成長していない、反省していないという問題は感じていました」

 それから月日が経ち、2017年にお兄さんは再び躁状態に。そこで斎藤さんに大きな不安がのしかかる。彼が風俗店で出会った中国人女性に騙されそうになったのだ。当時、世間では家の権利書や銀行口座の名義を変更させ、大金を奪うという結婚詐欺が横行していた。

「このときも精神科に医療保護入院になりました。もし今後また兄の病気が再発し浪費癖がはじまると、実家の財産にも危険がおよぶと思って、母と話して遺言書を書いてもらうことにしました。すでに父は亡くなっていましたから、母の財産を守る意図もありました。母の持っていた複数の口座を整理し、私が遺産の管理人として、いつの日か財産を平等に分配する内容で母の公正証書・遺言書を作ることにしました」

 当時、斎藤さんは母親から思いがけない言葉を聞いている。

「こんな騒ぎを起こされて大変な思いをした。あんな子は死んでしまえばいいんだ。もう一緒には暮らしたくない」

 その言葉が本心かどうかは、認知症が進んでしまった今は確かめることはできない。しかし斎藤さんは、「母がそんなことを言うなんて」と切なくなったという。それをきっかけに母親との同居を決心。遺言書の作成と並行して彼女を自身の家に招き入れた。

■母親の意味不明な言動の数々

 母親との同居からしばらくして、お兄さんの退院日が訪れた。退院後の彼は実家に戻り、病院側が作成した計画に則って一人暮らしをする予定だった。斎藤さんが迎えに行く準備をしていると、母親も「一緒に行くわ」という。

 そして病院に迎えに行き、退院した彼を車から降ろすため実家に立ち寄ると、なぜか母親もいっしょに降りてしまった。そして結局、斎藤さんの家に戻ることはなかった。さらに翌日には「私の金庫を返して」と電話がかかってきた。金庫には母親の証券や通帳などが保管されており、遺言書作成のために斎藤さんがずっと預かっていた。

 母親の突然の言動に戸惑いつつも申し出を受け入れた斎藤さんだったが、後日、母親とお兄さんが親戚などに「娘にだまされて知らないところに連れて行かれて遺言書を書かされた。財産も盗まれた」と電話していたことがわかった。また母親から「よくも年寄りを騙して、虎の子を持っていったね」と斎藤さんを非難する電話もかかってきた。

 なんとか誤解を解きたいと、母親に話し合いを持ちかけるも応じようとはしなかった。一方で、母親は銀行や証券会社などに出向き、斎藤さんが整理した財産や証券が兄に移譲されるよう契約内容の更新を繰り返していた。

 そして、今年2月。お兄さんから「遺産相続のことで話し合いたい」と言われた斎藤さんは、誤解を解くチャンスだと思い、実家へ向かう。出迎えたお兄さんに「前回はあなたがお金をたくさん使って、お母さんが不安になったから、入院中で悪いと思ったけど、公正証書を作らせてもらった」と伝えると、納得した様子だったという。

■兄名義に変更された「3800万円の財産」

「2人で話し合いをした結果、遺言書と今ある資産内容が変わったこともあって、その場で遺言書をシュレッダーにかけることにしました。母と私と兄の3人で改めて話し合い、作り直そうという話になりました。ところが、これが悲劇の始まりでした。兄がいきなり『僕が財産を調べ直して、お母さんの貴重品を管理する』と言い出したのです」

 斎藤さんはお兄さんの入院中に公正証書を無断で作ったという負い目があったのと、彼が冷静な様子に見えたため、うっかり提案を承諾してしまった。しかし、そのときすでに彼は軽躁状態。以前のようにバーや風俗店などでお金を散財していたのだ。

 その後もお兄さんは認知症のため状況把握できない母親と一緒に金融機関をまわり、母親名義の定期預金や口座からお金を引き出し、自分の名義に変更していた。その総額は3800万円近くに及んだという。

■警察へ通報され再び入院する事態に

 そして、またもやお兄さんが警察に通報されてしまう。ある日、母親の定期預金を引き出そうとして限度額超過から行員に拒否され、騒ぎを起こしたことが原因だった。

 そのまま精神科に医療保護入院。母親の様子を見て、ようやく認知症の進行に気づいた斎藤さんは、地域の高齢者サポートセンターの担当者に相談することにした。

「お母さんの顔が能面のように表情がなくなっていますよね。今回のことを、障害を持つ息子さんによる高齢者への精神的・経済的虐待事案だと私たちは捉えています」

 担当者の言葉を聞いて、斎藤さんは慄然としたという。これまで長女である自分を母親は疎んでおり、長男がかわいいから全財産をあげようとしていると思っていたからだ。まさか、彼女の認知症が急激に進行して判断能力を失った結果、お兄さんに財産を奪われ、苦境に追い詰められていたとは思いもしなかったという。

■「家庭崩壊」はいつ起きるかわからない

「母は要介護2と認定され、これ以上、2人を一緒にいさせるわけにはいかないと、すぐ老人ホームを探しました。兄の事件と入院により、母の認知症の深刻さに初めて気づくことができたのです。それ以前の私は感情的になり、もう2人にはなるべく関わらないと決めていました。2人で好きなように生きればいいと。でも、今は母を見守ろうという気持ちに変わりました」

 最後にお兄さんに対しての思いを聞くと、次のように答えてくれた。

「兄は病気になってから、ずっと親に甘やかされて生きてきました。躁状態のときに事件を起こしても、ぼんやりとしか覚えていない。数カ月して退院してきたときには、私や両親がすべての後始末をやったことを悪びれもせず、何もなかったかのように戻ってくる。

 本当なら、自分がやったことを自覚させる必要があったと思います。自分の行いを見つめ直すことで、病気と向き合うこともできたはず。でも、両親は兄に好きなようにやらせるだけで、何も反省させることはなかった。

 ある意味ではかわいそうな人生だと思いますが、私はもう兄とは縁を切るつもりです。ただ名義変更された母の財産は全額が使われてしまったわけではないので、兄に返却を要求しています。今度こそ、退院後は1人で自立した人生を送ってほしいと願っています」

(佐久間 真弓)

関連記事(外部サイト)