妻と義父母の殺害と解体に手を染めさせられ…死の足音はすぐそばにまで迫っていた

妻と義父母の殺害と解体に手を染めさせられ…死の足音はすぐそばにまで迫っていた

北九州監禁連続殺人事件をめぐる人物相関図

 起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。

 もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第73回)。

■松永の“責任逃れ”の姿勢は、死体解体時も顕著だった

 松永太が示唆して、それを緒方純子らが忖度して実行する緒方家一家への連続殺人は、ついに3人目の犠牲者を生んだ。

 緒方の妹である智恵子さん(仮名、以下同)の遺体を前に、彼女の首を絞めた夫の隆也さん、足を押さえた隆也さん夫妻の長女である花奈ちゃんは緒方とともに、勝手に智恵子さんを殺害したことを、“事後”に松永から責められた。

 そうした松永の“責任逃れ”の姿勢は、死体解体の相談の場でも顕著だった。隆也さんらが智恵子さんの遺体の手を胸の前で組ませているのに気付いた松永はまず、「死後硬直が始まると手が外れなくなるから、すぐにほどけ」と指示をした。

 そして次のように言う。以下、福岡地裁小倉支部で開かれた公判での判決文(以下、判決文)にある説明である。

〈松永は、死体解体についての話合いの際、緒方、隆也及び花奈に対し、「お前たちが勝手にやったんだ。俺は関係ない。俺は巻き添えになっただけだ。迷惑だ。こんなところで解体なんかしてもらっても困る。「(※隆也さん一家が借りていた熊本県)玉名のアパートに持って行け。」などと言う一方で、「(死体を)持って行くときにばれると俺が迷惑だ。」などと言い、隆也及び花奈が松永の許可を得て「片野マンション」(仮名)の浴室で智恵子の死体解体を行わざるを得ないようにした〉

 当然、松永の“真意”を大人である緒方や隆也さんは理解していた。だが、反論することはできない。

■作業中も「急がないと通電するぞ」

〈緒方及び隆也は、松永が責任逃れをしようとしていることは分かっていたが、松永に対し、「すいません。お願いします。」などと言い、「片野マンション」の浴室で死体解体作業を行わせて欲しい旨を頼んだところ、松永はこれを許可し、できるだけ早く終わらせるように言った。緒方と隆也は、松永との間で解体道具を購入する費用についても話をしたと思う。緒方らは、平成10年(1998年)2月10日午後7時過ぎころ、解体道具を買いに行った〉

 智恵子さんの遺体の解体は、緒方と隆也さん、花奈ちゃんの3人が行った。

〈松永は、死体解体作業中も、「急がないと通電するぞ。」などと言い、作業を急がせた。松永は、解体作業中、隆也に通電した。隆也の左の二の腕にガムテープでクリップを取り付け、電気コードを首に巻かせたまま作業をさせたことがある。松永は、智恵子の肉汁を詰めたペットボトルを捨てる際、緒方らに対し、誰がどこのトイレに何本捨てに行くかなどについて具体的に指示した〉

■次のターゲットとなった隆也さん

 これで緒方一家のうち残されたのは当時38歳の隆也さん、10歳の花奈ちゃん、5歳の佑介くんの3人となった。そして松永が次なる標的としたのが隆也さんだった。元警察官であり、唯一の壮年男性の隆也さんに対しては、松永は当初から反抗されることへの警戒をしており、いくつもの罠を仕掛けては徐々に弱みを握るなどして、彼が服従しなければならないように仕向けていた。

 たとえばこの前年の97年には、次のようなことがあったと判決文にある。

〈隆也は、孝(緒方の父)が松永の要求に応じるために平成9年(97年)8月29日に農協から3000万円を借り入れるに当たり、連帯保証人になった際、文書に当時の戸籍や住民票とは異なる住所を間違えて記載したことがあったが、平成9年9月になってから、そのことを気にして松永に尋ねた際、松永は、隆也に対し、「文書偽造罪に当たるから、隆也は犯罪者になる。」と何度も申し向け、隆也が文書偽造の罪を犯したとして、隆也を脅すようなことを口にした。隆也は、それについて松永に何も反論しなかったが、それが表沙汰になったら困ると考えていた様子だった〉

 さらには、それ以降も広田由紀夫さんを殺害、解体した「片野マンション」の浴室タイルの張り替えを実行させられ、由紀夫さん事件の証拠隠滅に加担したとの負い目を負わされたり、智恵子さんとの夫婦喧嘩の後で仲裁に入った松永に、「智恵子の首を絞めて殺そうとした」との上申書を作成させられたりもしていた。そうした経緯を経て、ついには孝さんの死体解体や和美さん(緒方の母)、智恵子さんの殺害にまで手を染めてしまうことになったのである。

■重労働・睡眠不足のところへ通電を加え、体力を奪って

 負い目の積み重ねで、逃げ場を完全に失っていく隆也さんに対して、松永は新たな弱みを握るたびに、直接的な虐待を加えて体力を奪うという策を繰り出していた。たとえば、孝さんの死体解体が終わり、続いて和美さんが殺害されるまでの間には、次のようなことがあった。

〈松永は、平成10年の正月ころ、緒方と智恵子に指示して、隆也の陰部に通電させたことが4、5回あった。緒方や智恵子は、隆也に対し、手加減をせず、松永が指示した回数の通電をした。隆也の陰部は通電によって水膨れになった。隆也に対する通電は、智恵子殺害後の平成10年2月下旬ころから特にひどくなった〉

 また、孝さん、和美さん、智恵子さんの死体解体においても、隆也さんは重労働を命じられている。

〈隆也は、孝、和美及び智恵子の各死体解体の際、体力的にも精神的にも特に過酷な作業である死体の切断作業の殆どを行った。

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 隆也は、死体解体作業中、睡眠時間が更に少なくなり、特に死体の切断作業中は殆ど眠ることができなかった〉

■急いで大量のクッキーを食べさせるという虐待も

 しかも、重労働だけでなく、そこに別の虐待も加わっていたようだ。

〈松永は、孝、和美及び智恵子の各死体解体の際、隆也に対し、缶入りのクッキーを1日20枚くらい食べさせた。これは、解体した死体の骨を詰めるためにクッキー缶が必要だったので、缶入りのクッキーを購入し、その中身のクッキーを解体作業中の食事としたものである。松永は、解体作業中は特に急いで食べるように指示し、緒方や花奈がクッキーを隆也の口に運んで、5分間くらいで食べさせた。クッキーがなくなると、カロリーメイト1、2箱分を与えた〉

 そしていよいよ隆也さんは、松永にとって“不要”な存在となったのだ。前記公判における検察側の論告書(以下、論告書)には次のようにある。

〈智恵子の解体作業が終わった後、松永は、隆也と佑介も「東篠崎マンション」(仮名)に移した。そして、松永は、隆也に対し、ひどく通電を加えた。松永が、隆也に対して一番ひどく通電していたのがこの時期であった。

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 また、狭い「東篠崎マンション」には隆也らの居場所が無く、松永は、隆也、花奈、佑介を、「東篠崎マンション」の浴室内に立たせていた。ひどいときには、まだ寒い時期であったのに、浴槽内に冷水を満たし、その中に隆也ら3人を立たせていたこともあった。このころ、隆也は、「東篠崎マンション」の浴室内で、佑介、花奈と眠ることを強いられていた。布団や毛布などは一切与えられず、松永の指示で、時折数枚の新聞紙が与えられる程度であった。

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 このころの隆也の食事内容も、マヨネーズを塗った食パン6枚だけであった〉

■下痢と嘔吐を繰り返し、寝起きは浴室内

 智恵子さんが殺害されたのが98年2月10日のこと。それからしばらく、このような虐待が続いたのである。論告書は同年3月下旬頃の虐待について触れている。

〈平成10年3月下旬ころ、松永が、再び隠れ家を「片野マンション」に移すと言い出した。このころから、隆也の体調が目に見えて悪化し、下痢と嘔吐を繰り返すようになったため、松永は、隆也に、「片野マンション」の浴室で寝るよう命じた。また、松永は、花奈に、隆也の面倒を見るように指示し、以後、隆也と花奈は、「片野マンション」の浴室内で寝起きするようになった。

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 しかし、松永の隆也に対する態度や、隆也の食事内容、松永による通電暴行などは、それまでと何ら変わりがなかった。緒方としても、和美殺害以来、緒方一家の者が体調を崩しても治療を受けさせるという選択肢は与えられていないものと考えていたので、松永がそう指示しない限り、隆也を病院に連れて行こうとは考えなかった〉

 これまでもそうであったが、松永が標的の生活拠点を「片野マンション」に移すことは、その者が間もなく死を迎えることを意味していた。そうしたことからも、この時点で松永は隆也さんの死がそう遠くないことを意識していたものと見られる。

■「横になりたい」と初めて懇願、肌はカサカサに乾燥していた

〈このころ、隆也はげっそりと痩せ細り、頬はこけ、目も落ち込んでいた。足にも肉がほとんど付いておらず、そのために膝小僧が異様に大きく見えた。隆也の足は、長時間立たされた後には、むくんでパンパンに腫れ上がっていた。皮膚に痒疹はなかったと記憶するが、肌はカサカサに乾燥していた。

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 また、隆也は、松永の指示で、車の移動に出掛けた際に、途中で歩けなくなったこともあった。隆也は、戻って来ると、「ちょっときついんです。しばらく横にならせてください。」などと懇願していた。当時は、これを聞いて、何を甘えたことを言っているのかと思っただけで、隆也に対する同情は生じなかった。しかし、今振り返れば、隆也が体調の悪さを訴えたのはこの時が初めてだったから、よほど隆也は辛い状態だったのだろうと分かる〉

 主観が含まれた内容からわかる通り、これらは逮捕後の緒方の供述によるものである。緒方は当時の隆也さんの嘔吐や下痢の状況についても詳述している。

■大人用のおむつをさせられ、下痢便を食べるよう強いられて

〈隆也は、食事をしてもすぐに吐いていた。最も状態の悪い時期には、1日10回程度吐いていた。そのため、1日1回の食パン6枚も食べきれなくなった。松永は、制限時間を守れなかった制裁として隆也に通電をしたが、やがて、本当に隆也の具合は悪いと分かったようで、食事の量を食パン4枚に減らすよう指示した。松永がトイレを使わせなかったため、隆也はスーパーのビニール袋の中に吐いていた。

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 このころ、隆也は、下痢も悪化しており、1日10回程度、あるいはもっと頻繁に下痢をしていた。当時、松永から、トイレの使用は1日1回と制限されていたこともあって、下痢の続いていた隆也は下着を汚してしまい、着替えが無くなって、大人用のおむつをさせられていた。それでも、松永は、隆也が何度もおむつを取り替えることに立腹し、罰として、隆也に通電を加えたり、おむつの中の下痢便を食べるように強いた〉

 もはや死の足音は、隆也さんのすぐそばにまで迫っていた。

( 第74回へ続く )

「お父さんが死んだみたいです」遺体は肌がかさかさしており、鎖骨や肋骨が浮き出ていた へ続く

(小野 一光)

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