“普通の環境で育っていないからダメ人間なのではないか” 精神障害の親をサポートし続けた女性の“自分を否定し続けた日々”

“普通の環境で育っていないからダメ人間なのではないか” 精神障害の親をサポートし続けた女性の“自分を否定し続けた日々”

©iStock.com

「世話が必要じゃない人が…自分しか、いなかった」家族のケアで学校にも通えない…“子ども介護者”の知られざる実情 から続く

 家族のケア(家事、介護、年下のきょうだいの世話、感情的サポートなど)を担う子ども・若者たちを「ヤングケアラー」と呼ぶ。厚生労働省が2021年4月に文部科学省と連携のもと行った全国調査によると、中学生で5.7%、全日制高校生で4.1%、定時制高校生で8.5%、通信制高校生で11.0%が「ヤングケアラー」にあたるという結果が出ており、そうした少年少女たちは決して特異ではない。

 はたして、彼らはいったいどのような悩みを抱え、日々をどのように過ごしているのだろう。ここでは、大阪歯科大学医療保健学部教授の濱島淑惠氏の著書『 子ども介護者 ヤングケアラーの現実と社会の壁 』(角川新書)の一部を再構成。「ヤングケアラー」の支援活動も行う濱島氏による調査で見えた実情を紹介する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

◆◆◆

■「そんなこともできないなら、家にいなくていいし、死んできて」

 祖父母のケアを担うヤングケアラーとともに、精神疾患、精神障がいを有する母親のケアを担うヤングケアラーも多いことが複数の調査で示されている。そのひとりがBさんだ。

 Bさんの母親は精神疾患を有していた。体調がすぐれない、感情的な不安定さなどがあったため、小学生の頃から家事、感情的サポートを担っていた。

 担ったケアのうち、長い時間を占めたのが感情的サポートである。これは精神疾患の母親のケアを担うヤングケアラーの特徴とも言えるだろう。

 家にいるときは、基本、母親の愚痴を聞いていた。家のなかの会話は母親の話が中心で、自分のことを話すことはほとんどなかった。「疲れたな」と思いながらも、なぜかずっと母親の話を聞いていたという。

 また、ひどく叱られることが多かった。今から思うと、理不尽な理由で、通常のレベルを超えた叱られ方だった。たとえば掃除等の家事が母親の思ったようにできていないときなどだ。

「そんなこともできないなら、家にいなくていいし、死んできて」

 そう言われたときのことをBさんはこう語った。

「ベランダで、もうひとりで落ちたらいいのかなって。ボロボロボロボロ泣いて……」

 そのときはそれが普通だったが、今から思うと理不尽な叱られ方を日常的にされていたという。このように、愚痴を聞く、理不尽な感情をぶつけられるという状態は、「感情の受け皿になる」という感情的サポートのひとつであり、これもまたケアを担っているということになる。

 ピンとこない方も多いかもしれないが、少し考えてみてほしい。福祉、介護の現場では、たとえば認知症や精神疾患を有する方の暴言、怒り、悲しみ、不安を受け止め、それに合わせて自分の感情もコントロールしながら接している。

 これは「感情労働」と表現されることもあるが、福祉、介護の専門職はこれを日常的に行っている。そのことを踏まえると、親から浴びせられる理不尽な感情に耐え続けるということは、まぎれもないケアであることがわかる。

 しかし、それを専門的な知識、スキルを身につけた専門職が、仕事として行うことと、子どもが日常的に家で担うのとでは全く意味も負担も異なる。仕事であれば休むこともできる。同僚に愚痴を言うこともできるだろう。

 しかし、Bさんは知識もスキルもなく、愚痴を言う相手もいなかった。感情的サポートから離れて、休むことも、当然ながらできなかった。

■学校での人格の激しい変化

 Bさんの、学校での様子を聞いた私は、日常のケア負担がよく表れていると感じた。学校の先生方からすると少し不思議な「気になる生徒」だったのではないだろうか。

 まず小学校のときは、小学生らしからぬ「ませガキ」で、どこか冷めた感じがあったという。

「小学校でやっていること全てが、くだらなく思えてきてて。(中略)運動会で踊るとかも、なんでみんなで踊らなきゃいけないの、とか。これになんの意味があるのか、みたいな」

 もともとそういう性格だったかというと、そういうことでもないらしい。

「急になんとか係をやりたいとか、言い出したりして、やったこともあったのですけど。でも無気力になってしまうときもあったり」

 小学校高学年になると、意味もなく、突然ピアスを開けたこともあった。

「だから先生から見たら、すごく意味がわからなかったと思うのですけど」

 Bさんはそう振り返る。

 このような姿は、現在のBさんからは想像もできない。私が知っている彼女は、コミュニケーション能力が高く、理性的で、包容力もある。その彼女が、小学生の頃は「わけがわからない、無気力な生徒」だったとは、驚くばかりである。

 それに対してBさんは、「おそらく気力が残っていなかった」からだと思うと説明した。確かに当時のケア状況を思うと、家では持てる全ての体力、精神力を使い果たしていたと考えられる。学校で、きちんとした生徒としてふるまうといった余力はもはやなくなっていたのであろう。

 中学生になったときは、学校行事など、さまざまなことに積極的に参加するようになる。自分が必要とされ、頼りにされていることが実感でき、毎日が充実して楽しかったという。それが自分の自信にもなり、母親に抵抗することもできるようになってきた。

 ただ、学校では喜怒哀楽が激しく、「悔しくては大泣きして、うれしくては大泣きして」いたという。しかし家では別人のようで、学校でエネルギーを使ってしまっているためか、家に帰ると崩れるように寝てしまった。また、一時期、人間関係がうまくいかなくなったときがあり、そのときは過呼吸や突然の高熱などさまざまな症状がみられたという。

 高校では、中学生時代とはまた180度変わった人格、生活になった。頑張るのはやめ、無気力を装った。

 このように、Bさんは小学校から高校まで、別人のように人格が変化し、精神的にも乱高下を繰り返した。その背景にはさまざまな想いがあったと思われるが、家のことや自分の胸の内を誰かに話すことはなかったという。ただひとり、中学のときの養護教諭の先生を除いては。

 この養護教諭の先生は、Bさんが本当に苦しいとき、その空気を察して、他の生徒を保健室から出し、一対一で話せる環境を作ってくれた。

「何かあったの?」と聞かれ、生まれて初めて「うわーっ」と泣きながら話した。先生はBさんの話を聞いて、ただ抱きしめてくれたという。

 Bさんは、この経験を「衝撃的だった」と語る。自分が弱っているとき、優しくしてもらったのは、ほぼ初めての経験だった。この先生がいなければ、今の自分はいなかっただろうという。

■勉強は嫌いではないがする時間がない

 勉強はどうだったのだろう。

「全然、できなかった」

 Bさんは、勉強は嫌いではなかった。ただ、できなかった。さまざまな事情で塾には行けなかったが、中学校の授業はきちんと受けていて、ノートをとるのも好きだったという。

 ただ、家で勉強をすることができなかったのだ。小学校のときから、他の子が家で勉強するという意味がわからなかった。勉強をするということを自分の生活に組み込むことができなかったし、想像もできなかった。

 十分に勉強することはできなかったが、Bさんにはなりたい職業があった。そのため、テストの点数だけは取るようにしたという。その結果、大学に進学することができ、現在では、その職業についている。

 Bさんには、自分は普通の環境で育っていないから、ダメ人間なのではないか、欠陥品なのではないか、という思いがどこかにあったという。しかし、一方で、そんな環境で育っても自分には価値がある、生きていてもいいと思ってもらいたいという思いがあったと語る。

 このように自分に対する評価が低いヤングケアラーは多い。そして、本当はそうではないはず、と悔しい思いを抱えているヤングケアラーも少なくない。

 ヤングケアラーがいかに自分の価値を取り戻していくか、ということは重要なポイントであり、そのための支援も必要である。

 子どもが自立することは当然のことである。それによって家族を捨てたという罪悪感が生じるのであれば、残された家族が生活できなくなると言うのであれば、それはケアを要する家族を支える社会の仕組みの方に問題があるのではないだろうか。

 ヤングケアラーが自分の人生を歩めるようにするのは、本人達の意思だけではない。それを可能とする環境、社会の仕組みが大前提として必要である。

【前編を読む】「世話が必要じゃない人が…自分しか、いなかった」家族のケアで学校にも通えない…“子ども介護者”の知られざる実情

(濱島 淑惠)

関連記事(外部サイト)