ルール破り、恫喝、支離滅裂……それでもなぜ自民党政権は揺らがないのか

ルール破り、恫喝、支離滅裂……それでもなぜ自民党政権は揺らがないのか

内田樹氏(左)と武田砂鉄氏(右)

内田樹と武田砂鉄が語る「SNSで人を攻撃することの“間尺の合わなさ”」 から続く

「政治とカネ」にまつわる様々なスキャンダルが相次いでいたにもかかわらず先の総選挙で自民党は単独過半数を獲得した。国民の政治的なエネルギーが高まらない理由から現状肯定的な若者たちの心理まで、“権力者が熱狂する”時代の深層に迫る。(全2回の2回目/ 前編を読む )

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■安倍元首相の「立ち返る初心」はいずこに

武田 安倍元首相が象徴的ですが、公の人間が、すぐに私の部分を持ち出す。その部分を撒きながら賛同を得る。これほど、自分に向けられる熱狂を管理しやすい状態もないですね。

内田 安倍晋三さんってたぶんもともとは穏やかなおとなしい人で、特段の自己主張がなかったんだと思います。政治家になる前の彼を知っている人はそう証言していますから。でも政治家になって、ある時点で「支持者に受けるペルソナ」を獲得した。こういうことを言って、こういうことをすれば、ある種の人たちが熱狂するということを学習した。だから、あの人の極右的な発言は「外づけ」だと思います。彼個人の年来の野心を実現するために権力を求めたのではなくて、権力を行使できる地位にたどりつくために「受けるペルソナ」を演じている。

武田 様々な疑惑があったのに、政権が総力を挙げてうやむやにした。でも、さすがに、国会での100回を超える虚偽答弁がバレて、昨年末には「初心に立ち返る」などと謝罪をしました。ところが、今年の自民党総裁選の段階では、相変わらず「キングメーカー」と呼ばれるようなポジションで居続けている。「立ち返る初心」ってどこにあったのか、呆然とします。

■中身がない人にはリミッターがない

内田 政治の世界ではよくあるんですよ。赤狩りで知られる米共和党右派の上院議員ジョセフ・マッカーシーはまったく中身のない政治家でした。自分の上院議員選のときの公約に何かいいものはないか探していて、コンサルタントに「政府部内に共産主義者がいる」という陰謀論はどうかと提案されて、それに飛びついた。自分の考えじゃないんです。それを言うと有権者が熱狂するということがわかったので看板に採用した。そうやって自分自身でも信じていない陰謀論を大声で主張した結果、4年にわたって統治機構のみならず社会全体を麻痺させるほどの力を持つことができた。

 そういうものなんです。個人的信念に基づいて行動する政治家はむしろ抑制的になる。感情や身体実感の裏付けがあることを語ろうとする限り、それがリミッターになって、ある限度を超えることができない。でも、中身がない人にはそういうリミッターがない。「外付け」したイデオロギーを大声でがなり立てることに抵抗がない。自分の中から生まれたわけではないのだから、どれほどそれが非論理的でも、不道徳的でも、気にならない。そういう人が強大な政治的な権力を持ってしまうことがある。歴史を振り返ると、そういう例はいくつもあります。

■怖いのは没論理的で感情的な権力者の暴走

武田 権力者側が、あまりに論理性のない、支離滅裂なことを続けてくると、受け止める方は真面目に批判するしかない。権力を茶化すのって、権力側にある程度の背骨があるからこそできることですが、茶化す以前に、背骨のない権力に茶化されているわけです。だって、巨費をかけてアベノマスクを配るというのは、もはや国家的ギャグです。数百億円をつかったギャグです。国家的なギャグをバカにしても、投じてくるほうが面白い。こうなると、真面目に言葉を尽くすのが虚しくなってくるわけです。

内田 そうです。どれほど権力があっても、統治者が論理的・知性的にふるまう限り、「恐れられる」ということはありません。怖いのは没論理的で感情的な権力者の暴走なんです。ふつうは統治者は論理的・知性的にふるまい、それに対抗して「若者」たちが感情的で非論理的な思いをぶつけてゆくというのが反権力の基本構図なんです。ところが、この9年間でその図式が逆転した。権力を持っている人たちの方が没論理、反知性主義で感情的にふるまうようになった。そうすると反権力の側は権力者の側とは違うマナーで対抗しないといけないから、いきおい論理的で冷静にならざるを得ない。

 でも、権力を持っている側が没論理的で感情的であることを意図的に選ぶと、もう勝負にならないんですよ。反権力の運動にこそ熱狂が必要なのに、「政治的に正しいこと」を論理的・非情緒的にぼそぼそと語ることを強いられるわけですから。それでは、国民の政治的なエネルギーを?き立てることができない。

■政治家が率先してルールを破り「熱狂している」

武田 コロナ禍で国民の大半が出歩くのを控えている中で、誰よりも先に政治家が率先してルールを破り、銀座のクラブに通い、ステーキ会食をした。平井卓也デジタル改革担当相に至っては恫喝して、それこそ「熱狂」している。そうやって熱狂している人たちを、私たちのほうが、冷静になって「よくないですよ」「またですか」「どうしてそんなことをするんですか」と見続けています。

内田 そうです。河野太郎が威張り散らして、パワハラで部下を脅かすとか、むしろ権力側のほうが抑制が効かなくなっている。たとえ演技でも、つねに冷静で論理的にいるのが公人の義務であるはずなのにそれを完全に引っくり返した。これに対してはもっと感情的で没論理的なカウンターを組織しないと歯が立たないわけですけれど、それって「どちらが幼児的か」を競うようなものですからね。

 歴史的に見ても、独裁者は必ず没論理的・感情的にふるまうものなんです。オバマとトランプを比べた時に、どちらがより権力者として「怖い」かと言ったら、圧倒的にトランプの方が怖いわけです。やることが首尾一貫していて、論理的で、自分が何をしようとしているのかをきちんと言葉で説明できる政治家の場合には、その人が次に何をするか予測できるから、別に怖くない。でも、非論理的で感情的で、約束を破ることも首尾一貫しないことも気にしないという権力者は怖い。みんなが顔色をうかがう。だから、権力的であることをめざす政治家は必然的に没論理的で感情的にふるまうようになる。

■限界だろうと思ってもなぜか揺らがないハラスメント政治

武田 今回の本で、今、日本は先進国の中でもっとも「統治しやすい国」になっているとの指摘がありました。政治家が自分の身内ばかり優遇するような政治で私腹を肥やしても、国民の半数近くは黙って現在の政権を支持している。この1年半のコロナ禍の対応を振り返ってみると、とにかく、まずは自助でなんとかしろ、公助とかそう簡単に言うな、俺たちは絶対にオリンピックをやるつもりでいる、コロナが改善してきたら俺たちのおかげ、大変になってきたらお前たちのせい……こんなハラスメント政治はもう限界だろうと思っても、体制がなぜか揺らがない。疲弊します。

内田 気持ちはわかります。でも、僕はそれほど悲観していません。世の中の潮目、風向きは変わる時に一気に変わるからです。日本新党が出てきた時や、2009年に民主党が政権をとった時もそうです。古くは60年代の学園紛争の時もそうでした。三派全学連が結成されたのは66年ですが、そんな動きを僕たちはまったく知らなかった。新聞だって報道しませんから。でも、それがわずか1年後には日本中の大学を無法地帯にするほどの運動にひろがった。こうした変化は、きちんと歴史的条件が整ってから起こるというわけではなく、ある日いきなり始まるんです。時代は必ず変わります。いまみたいに国力がどんどん衰微し、国民生活が日々貧しくなって、市民的自由を制約する体制がこれから先もずっと続いていくことは決してないです。明けない夜はありません。

■「長いものには巻かれろ」が若い人のリアリズム

武田 今、若い人たちに向けて「生活に満足してますか?」というアンケートをとると、生活満足度が高く出るんですね。生活の実態はかなりしんどくても、いざ問われると、「でもまあ、こんなもんだろ」と受け止める。悲観的な展望かもしれないですが、今後の総選挙でも、この「統治しやすい国」がさらに強化されてしまうんじゃないかと感じています。

内田 若い人たちの回答は生活実感の中から生まれた言葉ではないと思います。「こういう質問にはこう答えておけばいいんじゃない」という空気に乗って「べつに自民党でいいんじゃないですか?」と軽く言ってるだけで、とくに強い信念に基づく言葉じゃないと思う。いまは「長いものには巻かれろ」「寄らば大樹の陰」というのがリアリズムだと若い人は信じている。政治に関して現状肯定的なことを言っている方が「クール」でかっこいいと思っている。だから、現状肯定的になる。いまも昔も実はあまり変わりはないんです。昔は反権力がクールで「かっこいい」と思われたので、そうした。いまはデモに行ったり、熱く権力批判を語ったりするのは「かっこ悪い」と思われているから、やらない。どちらもそれほど深い信念に基づくことじゃないと思います。

■「社会が変革することはない」という刷り込み

武田 先日、自分が担当しているラジオ『アシタノカレッジ』に絵本作家の五味太郎さんがいらして、「みんな、反応するんだけど、考えないんだよね」と語っていました。まさに今の時代、反応することが目の前に溢れ過ぎています。見るもの、読むものを引き受けて、反応するべきことが大量にある。その都度、考えるのがしんどいので、目の前のことにただ反応する。こうすると、深く考えないまま、生活が繰り返されていくんですね。

 物心ついた時から基本的に不景気だった同世代や少し下の世代を見ていると、社会が変わることへのあきらめがあり、風景は変わらないけど、この中でなんとか「自分なりに深呼吸できる場所」を見つけられればそれでいい、という意識を感じます。そこには、社会が変革することはないという、刷り込みのようなものも強くあると思います。そんなことないって、と思いながらも、なかなかにしんどい状況下で深呼吸する場所を見つけたのであれば、それを一旦壊してしまうかもしれない、「もっと社会に意識を向けよう、大きな波にしていこう」という呼びかけに、ためらいも生じてしまうんです。

■「劇的な変化」は意外なところから出てくるもの

内田 その運動に参加していることが楽しいというのでないと、世の中を変えるような広がりは持てないと思います。義務感や使命感でやっている運動では、人は動かない。なんか楽しそうなことやってるなと思って、何となくかかわって、やってみたら面白くて、つい熱くなってしまう……というのが政治的熱狂の自然な盛り上がり方なんです。そういう「楽しい運動」が同時多発的に起きる時にはじめて体制変革が起きる。

 だいたい劇的な変化っていうのは「こんなところで、こんな人たちによって?」と驚くようなところから出てくるものなんです。変化は必ず起きる。でも、いつ起きるのか、どこで起きるのか、誰が起こすのかは予測できない。そして起きるときは同時多発的に起きる。

武田 歴史を俯瞰する視点を持っているからこその言葉ですよね。上の世代の方々のほうが、世の中の大きな変化にたいする楽天性のようなものがあります。それを内部留保せずに、分けてほしいな、と思うことがよくあります(笑)。今日は刺激的なお話をありがとうございました。

内田 こちらこそありがとうございました。次回はぜひ対面で(笑)。

内田 樹 (うちだ・たつる)

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 1950年東京生まれ。思想家、武道家、神戸女学院大学名誉教授、凱風館館長。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。『私家版・ユダヤ文化論』で小林秀雄賞、『日本辺境論』で新書大賞を受賞。他の著書に、『ためらいの倫理学』『レヴィナスと愛の現象学』『サル化する世界』『日本習合論』『コモンの再生』、編著に『人口減少社会の未来学』などがある。
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武田 砂鉄 (たけだ・さてつ)

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 1982年東京生まれ。出版社勤務を経て、2014年からフリーライターに。著書に『紋切型社会――言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社、2015 年第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞、2019年に新潮社より文庫化)、『芸能人寛容論??テレビの中のわだかまり』(青弓社)、『日本の気配』(晶文社、2021年に筑摩書房より文庫化)、『わかりやすさの罪』(朝日新聞出版)、 『偉い人ほどすぐ逃げる』 (文藝春秋)、『マチズモを削り取れ』(集英社)などがある。幅広いメディアで多数の連載を持ち執筆するほか、ラジオパーソナリティとしても活躍している。

(内田 樹,武田 砂鉄/ライフスタイル出版)

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