「人生最大の挫折」1977年に東大不合格だった開成高校の“がり勉”は、大人になってどうなったのか?《東大合格者数40年連続トップ》

「人生最大の挫折」1977年に東大不合格だった開成高校の“がり勉”は、大人になってどうなったのか?《東大合格者数40年連続トップ》

開成高校 ©文藝春秋

「文藝春秋」12月号より、ジャーナリストの小林哲夫氏による「開成OBの研究」を公開します。(全2回の1回目/ 後編 へ続く)

◆ ◆ ◆

■開成出身者が重要なポジションを占める政権

「恐れを知らない希望に満ちた時代だった。そうした時代をともにした仲間は人生の財産だ」

 2017年9月、開成高校OBの政治家と国家公務員が集う「永霞会」の設立総会。会長に就いた岸田文雄(1976年卒、以下、カッコ内は開成卒業年)は挨拶でこう語った。同会には、当時の安倍晋三首相がメッセージを寄せ、北村滋内閣情報官(当時、1975年)、元財務次官で日本たばこ産業会長の丹呉泰健(1969年)らが出席するなど、「岸田首相」誕生にむけた応援団の様相を呈していた。

 それから4年。総理の椅子に岸田文雄が座り、首相秘書官には開成OBで元経産次官の嶋田隆(1978年)、新設された経済安全保障担当大臣には小林鷹之(1993年)が起用された。

「事務方のトップである官房副長官には結局元警察庁長官の栗生俊一氏が就きましたが、直前まで岸田総理擁立に尽力した開成OBの北村氏が有力視されていた」(政治部デスク)

 開成出身者が重要なポジションを占める政権の誕生に、永田町、霞が関のOBは大いに盛り上がった。

 小泉純一郎首相の秘書官を務めた、前出の丹呉は、岸田首相にこうエールを送る。

「岸田さんには内政のみならず、外交でもリーダーシップを発揮してほしい。国際問題が山積みのなか、外交は内政以上に速やかなトップの判断が求められる。いろいろな意見を吸い上げた上で決断し、実行していただきたいと思います」

■東大受験失敗が「人生最大の挫折」

 言わずと知れた東大合格者日本一の進学校である開成高校。だが、岸田自身は東大受験に3度失敗し、早稲田大法学部に進学。受験失敗を「人生最大の挫折」と語っている。

 商工中金代表取締役社長をつとめる関根正裕は、岸田の同級生であり、野球部で一緒にプレーした仲間だ。2年生の夏季大会初戦で岸田が内野ゴロをトンネルして最終的にコールド負けを喫したことは、いまでも語り草となっている。

 セカンド岸田と二遊間を組んでいた関根が振り返る。

「入学当初は野球が上手いという印象はなかった。ただ本当にひたすら真面目にひたむきに練習していた。彼はサボることを知らない。合宿の練習後にはランニングが恒例になっていたけど、常に最後まで走りきり宿舎で倒れ込むこともあった。結果ちゃんとレギュラーになったしね」

 同じクラスで三菱製紙の欧州現地法人で社長をつとめる林康司が懐かしむ。

「岸田はものごとを仕切ろうとすることは絶対になかった。それでも話を振るとしっかりとした考えを口にするんだよね。『岸田どう?』と聞くとビシっと言うので、その方向に物事が決まるケースが多かった」

 林は岸田の自宅を訪ねたことがあった。

「父親(文武、のちに衆院議員)が官僚で、祖父(正記)が政治家なんてことは一切言わない。学校の誰も知らなかったんじゃないかな。あんまり特別視されたくないと思ったのか、あるいは敢えて言うものではないと考えていたのか。自分の口からは言わない男でした」

 同じく同級生で京都大教授の三ケ田均は、岸田の印象を「がり勉タイプだった」と語る。それだけに浪人したのは意外だったという。

「長銀に入行したと聞いたとき、なんてぴったりな職業だろうと思いました。さすが自分を自分でわかっているなと。真面目一徹で堅実に物事をこなしていく。でも、今年の総裁選では真面目さに加えて力強さを感じた。リーダーシップを身につけた印象です。昔は全然そんな感じではなかったので。立場が人を変えるということなのかもしれません」

 開成の開校は1871(明治4)年。共立学校という校名で、当初から東京大の前身の一つである旧制第一高等中学校(後の旧制一高)への進学に力を入れていた(『開成学園九十年史』より)。

 戦後、新制高校になってから、1960年代まで東大合格者数は、日比谷、西、新宿、戸山など都立の進学校に押されていたが、1970年代に入ると、灘高校とトップ争いを繰り広げるようになる。

■東大合格者数は40年連続でトップ

 そして1977年、開成は東大合格者数で初めて全国一に。

 主な要因は、学校群制度導入による志望者数の増加、校舎前に西日暮里駅が開業するなど鉄道網が整備されたこと、そして高校からの入学定員の増加である。

 77年以来、開成は、毎年100人以上を送り出し、82年から2021年まで40年連続トップの座を守り続ける。

 また同校は、官僚機構と親和性が高く、これまで1000人以上の卒業生が霞が関の門をたたき、数多くの次官が誕生した。財務省事務次官は、武藤敏郎(1962年)、前出の丹呉、香川俊介(1975年)など大物の名前がずらりと並ぶ。近年では元経産次官の嶋田、元厚労次官の樽見英樹(1978年)、環境次官の中井徳太郎(1981年)などもOBだ。

 永霞会の事務局長である衆議院議員の井上信治(1988年)によれば、開成OBの国家公務員は現在、600人にのぼり、事務次官級が10人近くいるという。開成出身の国会議員は9人いるが(10月29日現在)、そのうち6人が官僚出身だ。

 霞が関で働くOBが多い理由を、学習院大教授の福元健太郎(1991年)が分析する。

「開成は学問重視というより実務的で、学者より官僚や政治家に求められる資質に合っているのだと思います。生徒が主体となって運動会、文化祭、旅行などのイベントを催しますが、男子校特有の荒っぽい生徒や言うことをきかない生徒がいるなか、チームをまとめ上げて、イベントを開催する実務能力が養われていく。

 また先輩後輩の上下関係を重んじる文化もある。気合いを重視する校風でもありますしね(笑)。ただ先輩に唯々諾々と従うだけでなく、言うべきことはきちんと口にする。それでも、方向性が決まれば実現に向けて走る。こうした資質が霞が関で働く際に生きてくるのでしょう」

 一方、ライバル校の麻布高校出身の大物官僚は、松永和夫元経産次官、奥原正明元農水次官などにとどまるが、近年、永田町に反旗を翻した前川喜平元文科次官、経産省出身の古賀茂明もOBだ。開成出身者には見当たらないタイプである。

 政治家は、橋本龍太郎、福田康夫の元首相を筆頭に、与謝野馨、谷垣禎一、中川昭一、平沼赳夫など錚々たる大臣経験者を数多く輩出している。いずれも世襲政治家だ。

■麻布と開成、違いはどこで生まれるのか

 両校の違いはどこで生まれるのか。よく指摘されるのが入試内容だ。

 通産省で勤務した経験のある東京大教授で政治学者の内山融(1985年)が語る。

「開成中・高の入試問題は基礎的なものが多く、与えられた課題を短い時間で解く能力が必要です。この点でも開成は官僚向きかもしれません」

 中学受験塾の関係者が付け加える。

「開成は、幅広い分野から出題され、問題数も多い。また出題のクセがない一方で少しでもミスをすれば受かりません。一方、麻布は思考力が問われる記述式の問題が多く、出題内容が非常に特徴的です」

 たとえば、麻布では「『ドラえもん』が優れた技術で作られていても、生物として認められることはありません。それはなぜですか。理由を答えなさい」(2013年理科)といった問題が出る。

 開成では、いざ入学すると、受験対策を念頭に置いた授業ではなく、生徒の知的好奇心を深める教育が施されているという。

 鳥取県知事の平井伸治(1980年)が懐かしそうに語る。

「教師にも開成出身の方が多く、名物教師がたくさんいらっしゃいました。たとえば中2の時、古文の授業は、半年間かけて『古今著聞集』だけを習いました。完全に先生の趣味ですよね(笑)。しばらくすると飽きてくるので、生徒は先生をおだてて『古今著聞集』の妖怪の話をリクエストする。先生はお化けの存在を信じているので、ずっとその話ばかり。このような感じで、先生が自由に授業をしているんですよ」

 立憲民主党の衆議院議員、下条みつ(1974年)が「いわゆるがり勉タイプはいない」と語る。

「開成にはこれだけ勉強したよとアピールするような人はいなかった。それでいて自宅でしっかり勉強する。みんな切り替えが上手です。岸田さんの政治スタイルと似ているような気がします。裏方で我慢しながら勉強し、政務、党務を黙々とこなす。首相になれたのも、その頑張りが認められたからでしょう」

 両校の校風の違いが顕著になるのが文化祭だという。

 開成の生徒はきちんと制服を着用し、見学に来た小学生を優しく案内する。一方、麻布は校則がなく金髪やアロハシャツで迎え入れ、ハチャメチャな出し物を披露する。両校を訪れた小学生は、開成か麻布かどちらが自分に合っているか、自分の適性がなんとなく分かるのだという。

(文中敬称略、 後編 に続く)

なぜ麻布ではなく開成が“東大クイズ王”伊沢拓司を輩出? 前校長が明かした“違和感”「10年前、東大合格者数では成功していましたが…」 へ続く

(小林 哲夫/文藝春秋 2021年12月号)

関連記事(外部サイト)