上皇ご夫妻から「キコちゃん」と呼ばれ…秋篠宮さまが“学生時代に結婚相手を見つけないと難しい”と語った理由《眞子さんと佳子さまへの教え》

上皇ご夫妻から「キコちゃん」と呼ばれ…秋篠宮さまが“学生時代に結婚相手を見つけないと難しい”と語った理由《眞子さんと佳子さまへの教え》

眞子さま(当時)と佳子さま ©JMPA

「結婚して一番変わったのは酒量」眞子さんを送り出された秋篠宮さまは56歳に 家族が明かした“紀子は宮さまのたくましいところに惹かれた” から続く

 秋篠宮さまが、11月30日に56歳の誕生日を迎えられ、誕生日を前にした記者会見で、10月26日の朝に長女・眞子さんを送り出された父親としてのお気持ちについて、「元気で暮らしてくれればいいなという気持ちでしょうかね。そういうことを最後に言ったつもりなんですけれども、ヘリコプターの音で全てかき消されてですね。向こうも何か言ったのですが、結局、何も聞こえずに終わりました」と述べられました。

「文藝春秋」は秋篠宮家の内実を報じてきました。秋篠宮さまと親交の深い江森敬治氏(毎日新聞編集委員)による「秋篠宮が私に語った『次男の覚悟』」(「文藝春秋」2010年4月号)を特別に全文公開します。(全3回の2回目/ #3 に続く)

(※年齢、日付、呼称などは掲載当時のまま)

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■冷静な秋篠宮さま

 宮さまは、私の前では両陛下のことを、きまって「父」「母」と呼ぶ。皇太子さまのことは「兄」で、紀子さまのことは「家内」だ。一般の家庭となんら変わらない。こうしたところにも、自分を「特別の存在」として見たくはない、あるいは見せたくないと思う宮さまの基本的な考え方が垣間見える。さらにいえば、家族といえども相対化し、距離をとりつつこれを眺めたいとする宮さまの一貫した姿勢を私はみてとる。これは、学者や研究者の真理を探求する姿勢と相通じるものがある。宮さまは研究対象に限らず、自分の家族や置かれている周囲の環境に対してもどこか常に冷めた目を持っている。いつも距離を置きつつ眺め、これを冷静に分析しているのだ。

 この宮さまの性格に私は長年、考えを巡らせてきた。おそらく、天皇家の次男として生まれたことが、ほぼ全てにわたる宮さまの思考、行動の原点なのではないか。次男という立場の重み、次男の限界、あるいは可能性。そして、次男坊としてどう身を処して生きていくのか。こうしたことを宮さまは日夜考え続けて来たのだと思う。兄皇太子は、将来、天皇となるという明確な目標がある。しかし、次男にはそうした確かな着地点がない。その代りに自分は、自由を得たい。だから、研究に没頭し好きな道に進もうと考えた。自由を得るためには、結婚して両陛下や家族たちから早く独立することが重要だと考えたのだ。皇族として年々、多彩となる公務を務める一方で、結婚生活と研究生活は、宮さまの成長を支える両輪となった。

■「速攻」の結婚

 宮さまは昭和40年11月30日に生まれた。兄皇太子さまとは学年でいえば6年違い。幼稚園から大学まで学習院で過ごし、兄皇太子さまと同じ道を歩んだ。大学卒業後、英国に留学。オックスフォード大大学院動物学科で学んだ。

 そして帰国後間もない平成2年6月に紀子さまと結婚した。この時、宮さまは24歳、紀子さまは23歳。平成5年6月に33歳で結婚した兄、皇太子さまよりも約3年早い結婚だった。

 二人の出会いから結婚に至るプロセスの大半は、母校・学習院大学で育まれた。「キャンパスの恋」として知られている。昭和60年4月、大学2年生の宮さまは、文学部に入学したばかりの紀子さまと大学構内の書店で初めて出会った。これはまったくの偶然であった。結婚後、数年してから宮さまは「あの時、出会わなければ、私はまだ独身だった可能性が大いにあった」と、周囲に漏らしたが、今から思えば運命的な出会いだった。紀子さまの父親である川嶋教授は、天皇陛下がOBの馬術部の部長を務めていたこともあり、宮さまは川嶋教授と面識があった。宮さまは紀子さまの雰囲気が教授に似ているな、との第一印象を持ったそうだが、こうしたこともプラスに働いたようだ。

 そして、ここからがいかにも宮さまらしいのだが、出会った翌5月には、当時、宮さまが住んでいた東宮御所に紀子さまを招待し、両陛下(当時は皇太子ご夫妻)に紀子さまを紹介したのだった。まさに速攻である。そして、約1年後には大学近くの交差点でプロポーズする。

■さりげなく異性と知り合う機会があるのは学生時代

 紀子さまも、結婚前から両陛下と親密に接し、両陛下から「キコちゃん」と呼ばれるなど、とてもかわいがられていた。宮さまは「両親は付き合っていることは知っていましたし、結婚するんだろうなということもおそらく分っていたと思います。また、結婚する相手が彼女だったらいいな、というふうに思っていたと思います」と、話したことがある。宮さまが紀子さまにプロポーズをしたことを両陛下に打ち明けた時も、両陛下が結婚に反対だったとか難色を示したことはなかった。交際当初から、両陛下は若い二人の行く末を常に温かく見守り、結婚を後押しされたのだった。

 宮さまは私に「学生時代に結婚相手を見つけないと難しいですよ」と話したことがある。大学時代だと、キャンパスには女子学生がたくさんいて自然な形で出会えるし、会話もできる。しかし、社会に出てしまうと、特に皇族は周囲にマスコミの目が光る。さりげなく異性と知り合う機会は少なくなり、結婚のチャンスは減ってしまう。だから、大学生の時に相手を見つけておかないと、結婚はより難しくなると宮さまは考えていたようだ。

 皇太子さまと宮さまの結婚に至るプロセスを振り返る時、私は、二人の性格の違いも感じる。学習院大学時代、皇太子さまは文学部史学科で4年間学んだ。宮さまが在籍した法学部政治学科より、女子学生の割合は多かった。もし、皇太子さまが、宮さまと同じように「学生時代になんとしても結婚相手を見つけなければ」と本気で考えていたら、そうした機会は少なからず訪れたと思う。

 しかし、皇太子さまは特定の女性と知り合うことをしなかった。おそらく、皇太子さまの性格からして、一人の女性に声をかけるというのは不公平になると考えたのではなかろうか。宮さまのように御所に特定の女性を招くのではなく、皇太子さまは誰彼となく全員に声をかけ、そして分け隔てなく交流を楽しんだのだろう。

■兄弟の性格の違い

 宮さまは20年前と今も変わらず、シャイなところがある。以前「初対面の人にあまり積極的に話しかけるタイプではないので困ることがある」と私に語ったことがあるが、今でも初対面の人との会話がなかなかうまく弾まないのではなかろうか。だが、「この人」と思えば積極的になるのが宮さまだ。結婚を前提に「意中の人」に向って突き進む宮さまと、ぐっと踏みとどまり女性と公平に接しようと努める皇太子さまの違いがここにある。

 それからこんな性格の違いもある。登山やジョギングを進んで楽しむ皇太子さまと違い、宮さまは山登りや走ることは苦手だ。自宅の植物に水をやるほうが好きだ。こう聞くと、皇太子さまのほうが活動的で頑強そうだが、宮さまによると、ジャングルのような僻地でサバイバルできるのは自分の方だろうと話す。非日常的な空間で生活するたくましさや予期せぬ出来事に対処する柔軟さは、皇太子さまよりも持ち合わせていると、宮さまは考えている。

 このような兄と弟の性格の違いは、現在に至るまで様々な場面で影響を与えている。

■結婚してより自由な立場を手に入れ、好きな研究に没頭したい

 宮さまは、眞子さまたちがそれぞれの個性を伸ばし、関心や興味を深めることを願っている。また、自分たちの立場を自覚し、周囲の人たちへの配慮や感謝の気持ちを常に忘れないようにとも考えている。こうした教育方針は、紀子さまも同じだ。

 平成16年夏、宮さまは宮内庁書陵部に眞子さまを連れて行き、古文書の修復作業を一緒に見学した。その年の会見で宮さまは、「(眞子さまは)非常に興味を持っているようでした」と振り返っている。また、平成19年夏には、宮さまは眞子さまや研究仲間と一緒にマダガスカルを訪問。キツネザルやバオバブの木など珍しい動植物を見てきた。このように、折に触れて宮さまは、子供たちが関心を深めることへの手伝いをしている。

 宮さま自身、小さい頃から動植物に強い関心を持ち、現在に至るまでニワトリなど家禽や魚類の研究を続けている。自分で選び、好きな道に進んだ宮さまは、昭和60年、タイでプラー・ブック(メコンオオナマズ)と出会い研究活動をスタートした。英国でニワトリなど家禽品種に関心を深め、その後の研究対象はニワトリを中心に広がり、調査地域もインドネシア、タイ、中国・雲南、マダガスカルなどへと拡大していった。

 結婚してより自由な立場を手に入れ、好きな研究に没頭したいとの思いは、こうした形で実現された。平成8年には国立総合研究大学院大学から理学博士号を授与されている。皇族が論文審査を受けて博士号を取得するのは初めてのことだった。皇族だからといって片手間とか生半可な研究を行っているのではない。現在では、専門家の間で評価を得ている若い有能な研究者の一人でもあるのだ。

 宮さまが活躍する背景には、魚類学者である父・天皇陛下の影響と自然が残る赤坂御用地で育ったという環境が大きい。宮さまが小さい頃、当時の住まいの東宮御所にはたくさんの池や水槽があった。3歳ごろ、宮さまは陛下に連れられて池の魚を見に行った。陛下から「あれがソウギョだよ」「今、池の水面に顔を見せたのがハクレンだ」というように教えられた。

■「生き物文化誌学会」の立ち上げ

 平成15年春、宮さまは、自分も発起人の一人となり「生き物文化誌学会」を立ちあげた。この学会は生物学、民族学、歴史学、芸術など幅広い分野の専門家や市民が集まり、多面的に生き物を考えようとするユニークな学会である。現在、会員は約1000人。全国で活動を続けているが、宮さまも熱心に参加している。

 また、タイと日本の研究者が共同で推進している「人と鶏の多面的関係研究プロジェクト」も宮さまが立ち上げた。この計画はニワトリの家禽化の過程を明らかにしたり、生き物と人間の関係を考察することにより、環境改善にも寄与することなどを目的としている。平成19年、宮さまはアジアの大学や研究機関との標本の相互貸し出しなどについて助言をする東京大学総合研究博物館の特任研究員に就任した(現在は、特招研究員)。

 その年の会見で宮さまは「対象物自体を、単独で見てはいけないわけですね。様々な関係性の上で考えないといけないものですので、いろいろな視点から、どうして人間は鶏を家禽にしたのか、家禽にした後どういう周りの文化や環境によっていろいろな種類ができてきたのか、そういうようなことを、今調べているところです」と述べている。

( #3 に続く)

「結婚で自由な立場を得たい」秋篠宮さまの大きな“誤算”と眞子さんに受け継がれた思い…宮内庁長官は“3人目のご出産を強く希望したい” へ続く

(江森 敬治/文藝春秋 2010年4月号)

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