桜田義孝大臣は「認知バイアス」の教科書のような存在だ

桜田義孝大臣は「認知バイアス」の教科書のような存在だ

ちぐはぐな答弁が続き、汗が止まらない桜田五輪相 ©AFLO

 第4次安倍改造内閣が発足してから3カ月弱。あの大臣は、大方の予想を裏切ることなく、きっちりとやらかしてくれた。

 あの大臣とは、言わずと知れた桜田義孝五輪・サイバーセキュリティー担当相だ。就任直後より、過去の失言や問題発言から、「最も失言しそうな、何かやらかしそうな大臣」として、メディアではその名が挙がっていたから、予想は的中したと言える。

■自我の防衛機制が働いたことによる発言

 大臣として国会で蓮舫参議院議員と初対決し、汗だくのしどろもどろ発言で話題になってからわずか1カ月ちょっと。意気消沈したかと思いきや、その後は強気の発言さえ出てくるのだから、驚くほどの変わりようだ。

 では桜田氏が強気になってきた裏には、いったい何があるのだろう。話題となった彼の発言を探ってみると、そこにはいくつもの認知バイアスが潜んでいることがわかる。「認知バイアス」とは人の心の中にある偏りや思考のクセだ。

 11月5日の参議院予算委員会、蓮舫議員から「大臣自身、オリパラ担当相にふさわしいと考えるのか」と問われた時の答えはこうだ。

「なぜ選ばれたか私にはわからないが、総理が適材適所と思って選んで頂けた」

 これは、桜田氏の中で「セルフ・ハンディキャッピング」という自我の防衛機制が働いたことによる発言と考えられる。セルフ・ハンディキャッピングとは、桜田氏の答弁のあちこちに見られる「私にはわからない」「詳しくない」「時間がない」「忙しくて」など、あらかじめ何かしらの言い訳や行動で予防線を張り、たとえ失敗しても自尊心を保てるようにする言動だ。自信がない時や、物事を達成できそうもないと思う時に出やすい現象である。

■もう後には引けないためエスカレート

 同時にこの発言には、自己奉仕バイアスが見え隠れする。これは望ましい結果や成功した時は自分の手柄だと主張し、望ましくない結果や失敗した時は自分には責任がないとして、外部に責任を転嫁する傾向だ。桜田氏の無意識は、大臣として失敗しても、それは適材適所に選んだ総理の責任だと言いたいのだろう。

 大臣にはなりたかったが、よもや五輪とサイバーセキュリティー担当とは思っていなかった。その分野の専門知識がないのは、自分が一番よくわかっているはずだ。それでも大臣を受けたからには、決定を正当化、合理化させるため、コミットメントをエスカレートさせるしかなくなる。もう後には引けないのだ。この傾向を非合理的(非理性的)エスカレーションという。

■「自分でパソコンを打つということはありません」

 桜田大臣のこの後の展開は、言うに及ばず。東京五輪の大会ビジョンやらコンセプトやらを、まともに答えることができずしどろもどろな答弁が続き、東京五輪に関する政府支出(1500億円)を「1500円」と述べ、さらには蓮舫議員の名前も間違った。大きなハンカチで顔を拭うほど汗だくになり、自尊心はズタズタだろう。

 結果がダメだとわかると、それに固執したり、むきになって正当化しようとする傾向が非合理的エスカレーションである。

「質問の事前通告がなかった」

 ちぐはぐ答弁を繰り返したものの、自分を正当化したい桜田大臣は事前通告にこだわり、不満をもらした。蓮舫議員の反論を受けて発言を撤回した時も、「問い合わせ不可」だったと不満をもらし謝罪せず。最後は名前の呼び間違いを認めて謝罪したが、やはり不満気な口調だった。

 だがここで、11月14日の衆議院内閣委員会での発言が再び注目を集める。

「自分でパソコンを打つということはありません」

 USBポートについて問われると、「仮にあったとしても」と知識不足が露呈。セキュリティー担当大臣の一連の発言は、世間の度肝を抜いたばかりか、世界のメディアの失笑を買う。

■失笑なんてなんのその

 ところが、人間には肯定的幻想というバイアスもある。自分自身を肯定的に見ることで、自尊感情が高まり、満足感が増す傾向である。世界の注目を集めることになった桜田大臣はこう発言した。

「世界に私の名前が知られたかなと思って。いいか悪いかは別として有名になったのではないか」

 名前や存在を知られなければ議員にすらなれない政治の世界。失笑なんてなんのその、世界的に有名になったことが重要だ。こうなると桜田氏の肯定的幻想はさらに大きく膨らんでいく。自分の能力や成功の可能性、状況把握度を過大に評価したり、自分は他人よりもよくできる、うまくやれると思い込んだりする傾向を増大させる。

「判断力は抜群だと思っております。能力に疑いは持っておりません」

 11月21日の衆議院内閣委員会で、桜田大臣は語気を強めてこう言い切った。

■都合のよい情報を重要視しやすい確証バイアスも働いた?

 桜田氏の強気の発言には、強気になれる根拠がまるでない。ここが肯定的幻想の罠である。客観的に判断できる知識については言及せず、漠然とした基準をもとに、自分の価値や能力を高く評価するようになるのだ。『行動意思決定論 バイアスの罠』(白桃書房)で経営学者のベイザーマンとムーアは、「一時的にせよ愚かにも自分を現実以上の存在と思い込んでしまうことは、有害であり時に自己破滅的ですらある」と述べている。

 この強気の発言の背景には、他の要因も潜んでいる。1つは与党議員からの応援(?)だ。注目度がアップしてから、桜田大臣を後押しするような肯定的な野次が増えているのだ。国会終了後、出席した議員らと握手を交わす映像もあれば、与党からは表立った非難の声も上がらない。「人柄的にはいい人だ」という声すら、情報番組では聞こえてくる。自分の信念や考えに都合のよい情報を重要視しやすい確証バイアスも働いたことで、肯定的幻想を強めた桜田氏は、肯定的な野次に俄然、語気を強め、発言が強気に転じたのではないだろうか。

 もう1つの要因は、桜田氏が注目されたことで野党議員の質問の仕方が「やさしいよな」と野次が飛ぶほど軟化したことだ。質問する用語を丁寧に説明する議員までいる。桜田氏から面白い発言を引き出すことができれば、それだけで注目度が増す。野党議員にとっても、政治家として顔と名前を売る絶好のチャンスになっているのだ。

■大臣になりたかったのはわかるが……

 といっても蓮舫議員は苦手のようで、彼女の前では蛇に睨まれた蛙。11月27日の参議院文教科学委員会では、肩に力が入り、書面に目を落としたまま、ちぐはぐな答弁を繰り返した挙句、「大臣に資する人ではない」と呆れられてしまう。またここで非合理的エスカレーションが強く働いたのか、答弁を続けようとして委員長に止められる始末。

 当選7回の68歳、大臣になりたかったのはわかる。人柄的には好感が持てるが、そもそも大臣としての資質はあったのかは疑問。人は自分の能力が不足していたり、自分がそれに適していないということを認識することが難しい。そのため能力が低い人ほど、自分を高く評価してしまうというダニング・クルーガー効果がおきやすい。

「答弁書を間違いのないように読むことが、最大の仕事だと思っております」と、何度も頷きながら強気の桜田氏は、野党議員から「日本の経済的損失」と野次られて、こう応じている。

「大臣が必要だから、私がいるんです!」

 桜田氏は、人間の「バイアス」を学ぶ上でまたとない教材なのだ。

(岡村 美奈)

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