東大生強制わいせつ事件で議論紛糾――小説『彼女は頭が悪いから』が果たした役割とは?

東大生強制わいせつ事件で議論紛糾――小説『彼女は頭が悪いから』が果たした役割とは?

『彼女は頭が悪いから』の著者・姫野カオルコさん ©文藝春秋

 今も気持ちがざわついている。重苦しさがなかなか消えてくれない。12月12日、東大駒場キャンパスで開かれた姫野カオルコさんの『 彼女は頭が悪いから 』についてのブックトーク。2016年に起きた東大生・東大大学院生5人による集団強制わいせつ事件に想を得て書かれたこの小説について、著者を招いて当の東大で議論するというのだから、スリリングな展開になるのは必至だ。そう思って取材に行くと、展開は予想を超えていた。

 参加者は東大内外の約250人、立ち見まで出る盛況ぶりだった。始まってまもなく、司会のエッセイスト、小島慶子さんに執筆動機を聞かれた姫野さんが「ちょっといいですか」とパネリスト席から立ち上がって前に出てきた。客席にいた男子学生1人を「来て」と呼び、客席側を向かせて「見て! 緊張しません?」と問う。「すごい緊張しております」。彼が応じると「そうでしょう? 私、だまされて来たんです。東大の教室でおしゃべり、ちょっとどうですか、って言われて。今更、やっぱりやめますって言えなくて……」。冗談めかしていたが、顔がひきつっていた。その後、小島さんの問いに答える。「事件そのものではなくて、事件の報じられ方とか事件に対する人の反応の仕方が気になった。考えているうち小説になった感じです」

■作品冒頭に記された「大事な視点」

 未読の方のために簡単に説明を加える。本書のプロローグの冒頭は「いやらしい犯罪が報じられると、人はいやらしく知りたがる」。著者はここで筆の進め方を明らかにする。「できごとは、数年かかっておきたといえる。とくにどうということのない日常の数年が、不運な背景となったといえる」と。そして被害者、加害者が中学生だった頃から事件までの日々が綴られていく。被害者になる神立美咲と、加害者になる竹内つばさ。主にこの2人を作家は造形した。彼らを「生きた」のだ。

 プロローグにはもう一つ、大事な視点が記される。被害女性へのツイッターコメント、「被害者の女、勘違いしてたことを反省する機会を与えてもらったと思うべき」などを並べ、こう書く。「勘違い。勘違いとはなにか?」。被害者へのバッシングの問題にも光を当てることを、あらかじめ示したのだ。

 ブックトークに戻る。姫野さんは、実際にあった事件を下敷きにフィクションを書く難しさに言及した。「実在の人物を忘れるのに労力を使った。特定の個人に引っ張られずに書くのは大変だった」。つばさは「人の情感の機微が分かる性質(たち)」ではなく、内省を必要としない人間として描かれる。でなければ、人を人とも思わないような事件は起こせないというのが、作家の想像力だったのだろう。

■教授の発言で波乱の展開に……

 ブックトークの波乱は、ジェンダー論を教える東大大学院教授の瀬地山角さんの発言が発火点となった。事件に「責任を感じる」と認めつつ、小説に対しては拒否感をあらわにした。ゼミ生たちと話し合い「強い批判が出た」と切り込んだ。

 瀬地山さんによると、東大生たちは竹内つばさらの描写にリアリティーを感じなかった。「ラブレターを手紙で出すやつなんていないし、東大の女性は1割ではなく、2割。三鷹寮を『広い』と書いたことについては、ふざけるな、と。想像を絶する言葉です」。瀬地山さんは「事実と反する」ことを列挙し「東大生はぴかぴかつるつるで挫折感がないとか、屈折していないというふうに書かれていることに、僕も含めてみな違和感を覚えた」と力説した。東大生も挫折し、引け目を感じていると説明し、こう付け加えた。「この本は、東大生をひとまとめにして貶めるということ以外は成功していないと言う女子学生もいた」

■想像力を働かせることはなかったのか

 この発言をどう受け止めるかは意見が分かれるかもしれない。東大の学生や教員が、東大への偏見を感じるというのは分からないではない。しかし私は正直、面食らった。例えば小説に三鷹寮が舞台になっている場面があるわけではない。細かな事実関係の違いによって、全体を否定することに驚いた。なにより、あの小説を読んで、東大生がみな加害者の竹内つばさと同じだ、挫折感がない人間だと受け取る人がどれほどいるだろう。作家はあのような事件を起こす男の人生を想像し、造形したのであって、東大生一般を書いたわけではない。もちろん「ここが違う」と言う権利はあるし、違和感を表明するのも自由だ。でも小説を通して、被害者に心を寄せたり、想像力を働かせたりすることはなかったのか。そうした意見を言う学生はいなかったのだろうか。それがすごく気になった。

 しかもつばさは、中学時代にいじめのようなものを受けているし、劣等感や屈折もある。だから彼は自らの感情を封じ込めるすべを会得していったのだ。それが加害につながっていく。そう想定しなければ、著者は彼の行動を追体験することができなかったのだと思う。だから「挫折のない東大生を描いた」とする読み方に、私は賛成できない。

■「東大生の挫折」という議論の行方

 姫野さんは「三鷹寮を広い、と書いて、すみませんでした」と謝った後で言った。「待合室で、瀬地山さん、怒ってはんねん。なんでこんなに怒ってはるんだろうと思って……。いま胃の痛み止めを飲もうとして、落としてしまった。おなかが痛うなってきた」。その後しばらく「東大生の挫折」についての言い合いが続いた。瀬地山さんは東大生も山ほど挫折していると強調した上で、東大の中で落ちこぼれていて、その代償行為として事件を起こしたというのなら分かる、とまで言った。

 さすがにフォローが入った。主催者の林香里・東大大学院教授である。「『東大生の挫折』という重石、東大という『記号』は誰がつくり、誰が乗っかって、誰が挫折しているのかをみんなで議論する必要がある」「責めるべき対象は小説ではない。小説は重要なきっかけで、私たちにテーマを与えてくれている」

■「加害者は自分だと思っている」

 後半は、被害者バッシングの問題に話が及んだ。小島さんは「普段は東大という記号を面白おかしく消費しているかもしれない人たちが、なぜこの事件では『勘違い女、ざまーみろ』という感情を被害女性にぶつけたのか」と問題提起し、続けた。「勘違い女と言う人はひどいと思うが、学歴主義やブランドへの羨望は私にもある」。姫野さんも応じた。「加害者は自分だと思っている。この本に出てくる嫌なもの、汚いものは全部持っている」。聴衆の男性の一人も自らを問うたという。「加害者や被害者バッシングをした人たちの感情が、自分にもある。強い側に立った時に感じる快楽のようなものとの距離の取り方が、自分の中でテーマとして重くのしかかってきた」

 終盤、フロアにいた東大大学院教授の矢口祐人さんが手を挙げて「この本には大きな真実がある」と述べた。「東大生たちが逮捕され、有罪になったのは紛れもない事実。なぜ起きたのか、二度とこうした学生を生み出さないためにはどうしたらいいのか、いろんなヒントを与えてくれる小説です。最後の場面で被害者に言葉をかける教員が出てくるが、われわれはそういう教員になれるのか、真剣に話し合う必要がある」。拍手が湧き起こった。

 姫野さんは議論の途中で、今度はちゃんと薬を飲み、終わった後はぐったりした様子で、編集者に介抱されていた。私は姫野さんが気の毒に思えた。

 さて、この記事は担当の編集者から「中立的な立場で」との言葉を添えて依頼された。しかし、中立的であるというのはなかなか難しい。なぜなら私はこの本を、被害女性に感情移入して読んだからだ。

 あまりにも理不尽で、屈辱的で、許せない事件だった。でも読み進めていくと、加害者にも自分とつながる部分が見えてくる。だから自らの加害者性も見つめることになった。それでもやっぱり最後は、被害者に寄り添いたいという、祈りのような思いが残った。そして、できることなら伝えたかった。あなたは悪くない、と。

(田村 文(共同通信記者))

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