「青山のブランド」を謳う南青山マンションポエムに足りない“2文字”

「青山のブランド」を謳う南青山マンションポエムに足りない“2文字”

三菱地所「南青山テラス常盤松フォレスト」折り込み広告より

 ここ数日、南青山の児童相談所新設計画で「青山のブランド」という言葉を目にするようになった。街のブランドとマンションポエムは密接な関わりがある。というよりも、前回書いたようにマンションポエムとは「土地の詩」だ。街のブランドをどのように謳い上げるか、それがマンションポエムと言っていいだろう。

 そこで、今回は青山のマンション物件がどのようなポエムを綴っているかを見てみよう。あらかじめ言っておくが、問題になった建設に反対する方の発言について、ここでことさら非難するつもりも、もちろん擁護する気もない。ぼくが興味あるのは、マンションポエムを通してぼくらがうっすらと感じている街のイメージの一端を覗いてみること、それだけである。

■「世界の、東京の、青山の、わが邸」

 まずはまさにマンション名に「南青山」を冠する物件のポエムを見てみよう。2006年に竣工したマンションである。

 マンションの立地を、世界レベルに位置づけるというまことに威勢の良いポエムである。さすがハイブランドの街・南青山、といったところだ。

 本稿執筆現在売り出し中の物件だと、下のような詩もある。

 マンションポエムとしては平凡な出来映えだが、今回の騒動を踏まえてから読むと「そっと護り続けた地」や「自分だけの安らぎを守るために」といった文句が非常に意味深く響く。先に述べたように反対派の肩を持つ気はさらさらないが、やはりブランドの高さとはある種独占的な振る舞いとともに醸成されるものなのだろうな、と思わされた。

■「青山」の文字がまったく登場しない

 さて、今回の児童相談所建設地からはやや離れた場所ではあるが、住所的には同じ南青山に建ったタワーマンションのポエムを見ていただきたい(三井不動産レジデンシャル「パークコート青山 ザ タワー」)。この物件はたいへんな高級マンションで、並んだ室内・ラウンジ・エントランスのビジュアルも見るからにラグジュアリー。そしてポエムも上記2つとは一線を画したものになっている。

 この詩で注目すべきは、立地についてほとんど何も言っていない、という点である。タイトルに「AOYAMA」とあるだけで、ポエム本文には「青山」の文字はまったく登場しない。街のブランドを謳い上げるはずのマンションポエムが最大の売りであるはずの立地について触れないのは不思議だ。「世界は曲線でできている」、「テクノロジー、デザイン、アートの曲線的進化を、この住まいに結集する」、「布から建築へ」など浮世離れした表現ばかり。

■「六本木を愛する方のための、誇り高き価値の創造」

 たとえば同じ港区である六本木のタワーマンションを見てみると、この青山ポエムの特殊性がわかる。

 ご覧のように「六本木」を前面に押し出している。それにしても「識る」「棲む」といった画数の多い漢字を選ぶあたり、マンションポエムのお手本のようだ。あと「東京を手中にする」という表現はマンションポエムで多用されるもので、これをぼくは「世界征服系ポエム」と呼んでいる。これについてはいずれ別の機会に紹介したい。

■「白金」ですら地名を多用している

 さらに同じ港区は白金のポエムも見てみよう。

 かつてそこに住むマダムが「シロガネーゼ」と呼ばれた地、白金。さすがのハイテンションポエムである。そしてご覧のように当然のことながら「白金」の地名がばんばん出てくる。これらと比べると、先の青山のポエムの特殊性がよくわかるだろう。なんせ「最もヒトの身体に近いところで寄り添うもの。それは布」である。ユザワヤの広告か。もはや青山という街がいかに格調高いかを、ことさら謳う必要もない、ということなのだろう。王者の風格である。

■ハイグレードマンションに頻出する言葉とは?

 さて、前掲の白金ポエムで気になるのが「迎賓」という言葉。実はこれもマンションポエムによく出てくる言葉だ。

 マンションポエムとは「住む場所」の宣伝コピーなわけで、それが「迎賓」を推すのはすこし奇妙だ。少なくとも人を迎えられるような部屋に住んでいないぼくにとっては。しかし、マンションサイトの「共用部」ページにはほぼ必ずエントランス部の設えについてのポエムがあり、そこで詠われるのはたいてい迎賓調ポエムだ。そしてタワーマンションにおいては特にその傾向が強い。

 もちろん、友人や親戚などのお客さんを呼ぶこともあるのだろう。実際、タワー物件の多くがゲストルームの設備を備えており、それを謳うポエムもよく見られる。ただ、ここで言われている「迎賓」は文字通りの意味より、住み手を「賓客」に見立て、もてなすという表現によってエントランスを中心とした共用部の格調高さをアピールしたものであるように感じる。

■「要人をお招きする華やかさ」

 例えば「結界性があること。都市と邸宅を隔てるラインを明確にすること。それが超都心ともいえるこの場所で暮らすことへのおもてなし」(ゴールドクレスト「クレストプライムタワー芝」ウェブサイトより)や「海外のリゾートホテルのように、都会の喧騒から隔絶した別世界へと導く2層吹抜のエントランスホール」(住友不動産「品川イーストシティタワー」ウェブサイトより)というように、住民が帰ってきたときにエントランスに対して抱くであろう印象を謳ったポエムは、「おもてなし」「リゾートホテル」など、あたかも住み手が来客であるかのような表現をしている。その極北とも言えるのが下のポエムだ。

 赤坂離宮の近くに建つ物件ということもあって「迎賓推し」なのだが、それにしても「ここは、選ばれし者だけが住まえる東京の中枢」「要人をお招きする華やかさ」「華やかさと落ち着きを共存させた、迎賓への解答」など、マンションの広告というより、もはやこれは園遊会である。もしかしたら、理想のハイグレードマンションは、最終的に迎賓館を目指しているのかもしれない。住民は要人というわけだ。

■コモンスペースに対する態度のあいまいさ

 ともあれ、これらのように、タワーマンションに迎賓ポエムが目立つのは、エントランスや外構部などが充実しているがゆえだろう。多くの戸数を擁する大規模物件ならではだ。中にはコンシェルジュサービスからポーターサービス、スカイラウンジ、バー、ライブラリー、フィットネス、プールなど、まさにホテルかと見紛う共用サービスを備えているタワーもある。

 これら共用部を詠うポエムが「迎賓」一辺倒であるところに、もしかしたらぼくらのコモンスペースに対する態度のあいまいさが現れているのではないかと思う。それぞれの住戸を詠う際には「くつろぎ」「やすらぎ」をはじめ、時には「活力」「誇り」などさまざまな表現が使われている。プライベート空間の価値はポエムになっても、このように多様だ。ところが共用部になるととたんに「迎賓」ばかりなのである。みんなで使うスペースをどのようにしたらいいのか、に関してもてあまし気味なのではないか。公共での振る舞いがどういうものであるべきかわからないとき、とりあえず「客」として自分および他人を扱うのがてっとりばやい、ということかもしれない。

■街は「選択して利用する」消費財なのか

 さあ、ここでさきの南青山の物件に戻ろう。件のマンションは実は下のようなポエムも詠っている。

 前回、マンションポエムを読み解くと「街は、ある性質と機能をもった資源として選択するものになっている」ことがうかがえる、と書いた。もしかしたらぼくらは街を、自ら関わり形づくっていくものというより選択して利用する消費財のように扱ってはいないだろうか。「住みたい街ランキング」といったような指標にもそれが表れているように思う。

 他の街からやってきてマンションに入居することが、あたかも客としてエントランスをくぐることのように描かれているマンションポエムたち。「客」になったとき、人は支払い可能額でフィルターされる。ブランドに見合った可処分所得を持っていない人はお断り、ということだ。「街のブランド」とはそういうものでいいのだろうか。今回、南青山のマンションポエムを見て、そんなことを思った。

(大山 顕)

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