プレイバック2018年「オジサン記者会見」はなぜ失敗だらけだったのか

プレイバック2018年「オジサン記者会見」はなぜ失敗だらけだったのか

至学館大学レスリング部監督も解任された栄和人氏 ©時事通信社

 いったい何のための会見だったのか? 今年はそう思わせる会見ばかりが目に付いた。きっちりと謝罪するかと思いきや、言い訳をしたり言葉を濁したり、挙句に責任転嫁をしてみたり……。その結果、火に油を注ぐように非難や批判が集中し、メディアは面白おかしく詳細にその経緯を取り上げた。そんな会見を開いたオジサンたちは、いずれもその世界では権力者ばかりだった。

■本心から謝罪する気があるかどうか

 中でも目立ったのは、悪質タックル問題で日大アメフト部監督を辞任した内田正人氏、伊調馨選手らへのパワハラ問題で辞任した至学館大学レスリング部前監督で、日本レスリング協会前強化本部長の栄和人氏、そして不正判定や助成金の不正流用等で辞任した日本ボクシング連盟の前会長・山根明氏の三人衆だ。

 問題発覚後、どんな姿や様子でメディアに登場するのか、その時の第一印象は重要になる。たった数秒間の態度や振る舞い、言動だけで、本心から謝罪する気があるかどうか見ている側は感じ取るからだ。

「僕の中では一切やっていないと思います」

 栄氏の場合、一度はカメラの前で堅い表情のままパワハラを否定した。ところがその後、謝罪会見を開くまでに時間がかかる。突如、設定された会見は、全日本選抜選手権当日の会場、それも時間制限もあり。体調を崩していたのが遅れた理由というが、いくらなんでも急だった。

■時代は変わっていくのに自分は変われないオジサン

「一連の問題は私の責任でございます」

 そう謝罪の言葉を口にしたものの、マイクの前に立った内田氏はピンクのネクタイ姿。少し間を開けて息を吸い込むと「日大監督を辞任致します」と続け、記者たちを見回す。謝罪というより辞任が会見目的のような印象が強い。井上奨コーチ(当時)とともに開いた会見では、回りくどい表現を繰り返し弁解ばかり。最後は日大広報の司会者がブチ切れるというお粗末な会見になった。

「全部がウソや」

「カリスマ山根言われてますから」

 山根氏がメディアに姿をあらわした時は、サングラスをかけていた。謝罪にふさわしくないというより、自分が悪いなんて微塵も思ってもいないことは一目瞭然だ。時代は変わっていくのに自分は変われないオジサンは、地位と力を守るため、睨んだり威嚇したり、自らを誇示するしかない。

■最大の理由は責任から逃げたこと

 頭の下げ方もいけなかった。内田氏は「誠に申し訳ありません」と謝罪したものの、ピシっとした姿勢から頭を下げなかったことで中途半端な印象。栄氏は謝罪しながらも視線を上げることがほとんどなく、あっさりと頭を下げただけ。上下関係の厳しい世界で権力を持つオジサンは、常に頭を下げられる側の存在であり、勝負の世界で頭を下げると、負けを認めたような感覚になるのだろうか。彼らは、頭を深く下げるのを無意識に避けようとしたのかもしれない。

 問題点を上げればキリがないが、謝罪会見が失敗した最大の理由は誰にでもわかる。彼らが責任から逃げたことだ。株式会社でいえば「エントレンチメント」が起きているようなものだ。エントレンチメントは、「塹壕で陣地を固める」、「身を隠す」という意味から、経営者による保身行動のことを指す。

 過度な権力集中とその長期化で、トップにモノを言う人間が周りにいなくなると、エントレンチメントが起こりやすい。組織構造が違えども失敗や間違いを認めたくない、悪者にはなりたくない、権力や立場を手放したくないというオジサンたちの心理はどこも同じで、責任逃れや自己保身に走ることになる。会見では自分たちが持つ権力やパワーをネガティブな方向へ印象づけたことで、信頼に足る人物とは思われなくなった。彼らの評判やキャリアは地に落ちていく。

■潔く言い切っていれば……

「文書でお答えしようと思っている」

 最初の会見で、内田氏はタックル指示に「弁解はしない」と言いつつ回答を避けた。だが、あの試合後のオフレコでは「やらせたのは俺だ」と言ったと報道されている。ピンクのネクタイをしていようと、直接指示していなかろうと、堂々と胸を張って「やらせたのは私です」と潔く強く言い切っていれば、会見の印象も状況も変わっていただろう。そういう指導者になら、逆に、任せてもいいと人は思うものだ。

 過ちは過ちとして認めて謝罪し、その上でそれが強豪校に勝つため、選手たちに気合いを入れ鼓舞するためだったと、簡潔に力強い口調で説明していれば、それが間違っていても、自分のやり方や指導に責任と信念を持つ人物だと印象づけられた。なのに彼は、「わからない」「覚えていない」と弁解を繰り返した。人が指導者に対して望むものを、内田氏は見誤った。

■自分だけを守ろうとすると……

 山根氏も同様だ。メディアに出る度に言いたい放題に言い、「1人でメダルを取る力はありません」とロンドン五輪の金メダリスト・村田諒太選手まで非難した。会見を開いても「辞任します」の一言で終わり。強気に出るだけで権力やパワーの見せ方を間違ったのだ。すべては自分が責任を取る、愛するボクシングのためなら言い訳も弁解も責任転嫁もしない。そう大声で言っていたなら、筋の通った人物、信念を行動に移す「男、山根明」が見られたはずだ。

 権力やパワーを持つ者が自分だけを守ろうとすると、守り方と守るものを間違えてしまう。その場の自分を守っても、チームも選手も、実績も評判さえも守れない。その後のキャリアすら失ってしまう。

 山根氏とは反対に、謝罪会見では時に弱く見せる方がプラスのこともある。弱みを見せることで同情を集められるという「アンダードッグ効果」だ。

 だが、伊調選手への謝罪について問われ、「どこかでタイミングが合えば……」と背中を丸めるように下を向いた栄氏には同情は集まらない。弱みや弱さを見せる部分が違うのだ。パワハラの原因となった自分の弱さを明らかにせず、伊調選手に直接、謝罪しに行くだけの精神的な強ささえ示せなかった。人間的な弱さが露呈してしまえば、指導者としては致命的だ。

■誇り高きスポーツマンだからこそ

 権力ある人間の会見として似たようなマイナスイメージを与えたのは、加計学園の加計孝太郎理事長の会見だ。愛媛県や今治市に虚偽報告をしたことについて「事務局長が勝手にやった」としらを切りとおし、強引に幕引きを図った。そして、三人衆ほどには批判が集中せず、逃げ切ってしまった感がある。

 理由は彼らの背景の違いだ。皮肉なことに政治家との癒着を疑われた加計氏なら、受け手も「そんなこともあるのかも」と思うが、スポーツ界となれば話は別。誇り高きスポーツマンシップを、正々堂々とした潔さを求めて期待するものだ。それを裏切って、責任転嫁、自己弁護を聞かされたのだから、「何のための会見?」と思うのも当然だ。

 では、どのような会見を行えばよかったのか。残念ながら、今年は保身に走ったオジサンたちばかりで、お手本にできるような良い例が見つからない。日大アメフト部に復帰した宮川選手の会見での潔さを見習うしかない。

(岡村 美奈)

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