83歳の作家・阿刀田高の苦言 高校国語改革「違和感を覚えるのは私だけでしょうか」ーー文藝春秋特選記事

83歳の作家・阿刀田高の苦言 高校国語改革「違和感を覚えるのは私だけでしょうか」ーー文藝春秋特選記事

11月に実施された「大学入学共通テスト」のプレテスト ©共同通信社

文藝春秋1月号の特選記事を公開します。(初公開 2018年12月12日)

 高校の国語から文学が消える――。

 2018年3月、文部科学省は新「学習指導要領」を公示した。それにより、2022年度から、高校の「国語」の授業の中で、小説を扱う時間が大きく減少するであろうことが明らかになった。

■高校国語 2つの改変ポイント

 高校国語の大きな改変ポイントは2つある。

 まず、主に従来の1年生が学んでいた必修科目「国語総合」が、「現代の国語」と「言語文化」の必修2科目に分かれる。「現代の国語」では、「論理的な文章及び実用的な文章」を教材とするため、小説は扱われない。もう1つの「言語文化」で、古典から近現代までの小説や詩歌をまとめて扱う。つまり1年次での小説を扱う時間が事実上、半減する。

 2つ目のポイントは、これまで主に高校2年生、3年生で学んでいた「現代文」が、「論理国語」と「文学国語」の選択2科目に区分されることだ。

「論理国語」とは、「実社会において必要となる、論理的に書いたり批判的に読んだりする力」の育成を重視した科目。具体的な教材は、論説・評論文のほか、報道や広報文、会議や裁判の記録、企画書、法令文、電子メール(!)を想定しているという。「文学国語」ではその名の通り、小説や詩歌、随筆などの文学的文章を扱う。

 そして、ほとんどの高校では、「文学国語」ではなく、「論理国語」が選択されると予測されている。なぜなら、センター試験にかわって2020年度から導入される「大学入学共通テスト」の国語の問題では、「論理国語」に比重を置いた大問が出題されると考えられているからだ。つまり、大学進学を目指す生徒の多い進学校ほど、高校1年を最後に、国語の授業では小説を扱わなくなる可能性が高い。

「論理国語」の授業の例を、『高校の国語授業はこう変わる』(三省堂)という、新指導要領のガイドブックから紹介したい。本書は、文部科学省初等中等教育局視学官である大滝一登氏、文科省の国語ワーキンググループ主査代理の高木展郎氏が編著者となって、「授業改革に悩める先生方の創意工夫のヒントとなることを願って」作られた。

 このガイドブックでは、「論理国語」の教材例として、国連が定める「持続可能な開発目標(SDGs)」の「17の目標」を取り上げている。

 国連はいま、「貧困に終止符を打ち、地球を保護し、すべての人が平和と豊かさを享受できるようにすることを目指」して、「飢餓をゼロに」「産業と技術革新の基盤をつくろう」「平和と公正をすべての人に」といった、“世界が合意した「持続可能な開発目標」”を掲げている。このような実在の資料を「国語」の教材とし、グローバルな課題を「自分の事」として捉え、課題解決のための手立てや、予測される反論への反証を言語化させることを授業内容として提案している。

■プレテストで出題された問題

 また、先の「大学入学共通テスト」の試行調査となる「プレテスト」(2018年11月実施)では、国語の問題として「著作権法」を解説する文章・図表の読み解きが出題されている。

■「違和感を覚えるのは私だけでしょうか」

 こうした国語教育の改変について、大いに憂え、懸念を表明する文化人がいる。作家で文化功労者の阿刀田高氏(83)だ。

「きわめて実用的な文章や図表の意味をきちんと読みとる能力は、たしかに日常生活、社会生活を営む上で必要なものでしょう。高校生の段階で身につけておくことに何の異存もありません。しかし、契約文や法律の条文、図表の読み解きが『国語』の学習なのだ、といわれると、違和感を覚えるのは私だけでしょうか」

 阿刀田氏は10年ほど前、中央教育審議会の初等中等教育分科会で委員をつとめていた。文科省が「生きる力」をキーワードに、ゆとり教育を推進していた時期だ。

「生きる力」について、分科会の多くの委員は「良い就職をして、良い給与を取れる会社に入るための、効率的で便利な能力」だと考えていたという。そのため、英語力や理数系科目など、実利的な能力ばかりを重視した教育目標が設定された。

 今回の指導要領改訂も、その流れに棹さすものだろうと阿刀田氏はみる。

 しかし阿刀田氏は、本当の生きる力とは「金銭的価値を生むのではなく、自分の心を自ら耕すことのできる力」ではないかという。そして、人間ならではの情や割り切れなさに触れることができる“文学”から学ぶことは多いのではないかと、安易な文学軽視に危機感を示している。

「文学作品は、人に命じられて読むものではない。そういう意見もあることでしょう。でも、新指導要領や大学入学共通テストのプレテスト問題を見ていると、効率やスピードを重視する現代には、小説をはじめとする文学的な文章は不要であると、文科省がお墨付きを与えているように感じられるのです。果たして本当にそうでしょうか。文学はそんなに役立たずのものなのでしょうか」

 阿刀田氏の懸念は、 「文藝春秋」1月号 掲載の「高校国語から文学の灯が消える」でその全文を読むことができる。

(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2019年1月号)

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