「ヤクザとは殴り合って、ポン中とはゲーセンで仲良くなった」元刑事の人生を狂わせた過剰な“エス作り”の実態《「日本で一番悪い奴」にインタビュー》

「ヤクザとは殴り合って、ポン中とはゲーセンで仲良くなった」元刑事の人生を狂わせた過剰な“エス作り”の実態《「日本で一番悪い奴」にインタビュー》

稲葉氏 写真/菊地健太

「八百屋をやっています。朝4時に起きて、卵焼きとかお惣菜を作ってね。野菜を市場で買い付けて、得意先に配達して。そんな平凡な生活ですが、とても充実していますよ。俺は本来、刑事じゃなくてこっちが向いていたんだろうな」

 雪がうず高く積もる札幌の郊外。こう話す男に、文春オンライン取材班は2月、インタビュー取材をした。男の名前は稲葉圭昭氏(68)。綾野剛が演じた2016年公開の映画『日本で一番悪い奴ら』のモデルとなった元北海道警の刑事だ。

■覚醒剤に拳銃…逮捕された前代未聞の元刑事

「この黒猫は『ベイビー』。俺の手からしかご飯を食べないくらい懐いてくれています。アメリカのドラマの『刑事コジャック』って知っている? その主人公が、女を呼ぶときに『Hey, baby』って言うんだよね。そのドラマの影響です(笑)」

 稲葉氏は現職の道警警部だった2002年7月、尿検査の結果、覚醒剤の陽性反応が出て覚醒剤取締法違反(使用)容疑で逮捕された。自宅やアジトといった立ち回り先からは、拳銃や、一人では使用しきれないほどの大量の覚醒剤も見つかった。

 当時、稲葉氏は刑事でありながら、覚醒剤や銃の密売で利益まで得ていた。裁判では2000万円を超える利益を得ていたと認定されている。

■違法捜査などで倫理観が麻痺してしまっていた

 稲葉氏は「実際3、4年間で1億円を超える利益がありましたよ」と自嘲気味に明かした。

「子供の頃、親父から聞かれたんです。『1円と100円盗むのどっちが悪いか』って。そこで100円と答えたら、ボコボコに殴られた。『金額は関係ない。窃盗が悪いことは一緒だ』と親父は教えようとしてくれたのでしょうね。

 でも当時の俺は、違法捜査などで倫理観が麻痺してしまっていた。それで親父からの教えを『悪いことはどれも一緒だよな』と都合が良いように捉えていました。『違法捜査が許されるんだから、覚醒剤だっていいだろう』と。今となっては恥ずかしいことなんですが」

 雪景色を眺めながら、稲葉氏は当時を振り返り始めた。

■若い頃はシンナー、恐喝、ヤクザとの付き合いも…

 稲葉氏は1953年、北海道門別町(現日高町)で生まれた。体力に恵まれ、父の影響から中学2年生で本格的に始めた柔道で頭角を現し、東洋大学に進学。個人で全国3位になった経験を持つ。

「若いころはかなりヤンチャで悪いことはだいたいなんでもやったよ。喧嘩もやったし、タバコも吸った。ヤクザとの付き合いもあったし、シンナーも吸って、恐喝も……。逮捕こそされなかったけど、いろいろやっていましたね」

 大学の顧問に目をかけられ、稲葉氏は柔道部主将も務めた。高校卒業の折、そんな恩師に「(就職は)北海道警に決まっている」と言われ、その指示に従った。

 道警の採用試験を突破して警察学校を出ると、道内随一の繁華街にある薄野交番で半年間、勤務した。その後は道警代表として全国の警察本部との柔道大会で活躍すべく、稽古に励む日々が続いたという。

■ノルマのために警察仲間と手柄の取り合い

「せっかく警察官になったのに、柔道枠で入った自分は学生時代とやっていることが変わらなかった。朝に署へ行って、柔道の練習して、昼めし食って、昼寝して、稽古して、5時に帰ることのくりかえし。『これではまともな社会人とはいえない』と柔道が嫌になってきたんですよ。

 それに、交番時代に経験した警察仕事が楽しかった。俺も本来の警察の仕事がしたくなったんですよね。それでやるなら刑事で、ヤクザ相手に仕事をしたかった。学生時代からヤクザとの付き合いはあったし、興味があってね。『こういう人たちを捕まえたら楽しいだろうな』ってワクワクしたんです」

 願いは叶い、まずは機動捜査隊に配属された。刑事部内の一部署である通称・機捜(キソウ)は、凶悪事件の初期捜査を担う。日頃、覆面パトカーで巡回し、事件が発生すると真っ先に駆けつける部署だ。

「警察の仲間って言っても、ノルマがあるから手柄の取り合いなんですよ。映画にもあったけど、キソウは特に手柄の取り合いが激しくて、車を飛ばして現場に駆けつけて、犯人の足を引っ張って『これはオレのだ』なんてやる光景が本当にあった。でも、それが楽しかった」

 警察での仕事は事件発生後に現場に駆け付けることだけではなかった。

■道内随一の繁華街すすきので“エス作り”

「上司から『キソウは110番だけでは飯を食っていけない。協力者(スパイの頭文字をとりエスと呼ばれる)を作ってそこから情報を取れ』と言われ、エスづくりに奔走しました。当時エスって言葉はなくて、協力者という呼び方でしたけどね。

 その隊長が先進的で、キソウのマッチや『道警機動捜査隊』と書かれた手ぬぐいを作ってすすきのの店に配ってヤクザが来ないようにしたり、弁護士バッジのようなキソウバッチを作ったり。その後の異動先の中央署時代には、俺個人の名刺をすすきのの飲食店などに配りました。何かあったら俺に連絡をってね」

 稲葉氏の“人脈作り”は繁華街の飲食店に留まらなかった。すすきのではヤクザと衝突することも多く、殴り合った後に仲良くなるなどして捜査で必要な人脈を築いていった。

「ヤクザからは『キソウは令状なしで入って来る』と怖がられていましたね。あの頃は本当に楽しかった。ペアで動いていた相棒と一緒にヤクザの事務所を回ったり、当時あったゲーム屋に出入りしていました。ゲーム屋にはポン中(※覚醒剤依存者)がよく集まっていたからね。

■大スキャンダルに発展した裏金問題

 そんなことをやってエス作りに腐心していたんだけど、隊長が変わって状況も変わった。『本来のキソウに戻れ』と号令がかかって、発生に駆け付ける仕事がメインになって行ったんですよ。一課とかには『現場を荒らす』と嫌われていたけど、それまでのキソウは花形だったな」

 目を細め、半世紀前を振り返る稲葉氏。現在では到底実施できないような、令状のない強引な捜査は日常茶飯事だったようだ。映画『日本で一番悪い奴ら』でも、対象者の不在時に勝手に家に乗り込み、薬物などを探す様子が描かれている。稲葉氏の柔道で培った体力や負けん気の強さは、一昔前の警察ではひときわ評価されたのだろう。

 しかし、こうした体質を「古き良き時代」と括るわけにはいかないだろう。違法な捜査や、暴力団員を含むエスとの濃厚すぎる付き合いは、稲葉氏の倫理観は徐々に歪めていった。そして後に大スキャンダルに発展した道警内で密かに計上されていた裏金問題が、稲葉氏の“刑事としての倫理”を崩壊させるトリガーになったのだ――。

「ヤラセ捜査のために約40億円の覚醒剤130キロを道内に」北海道警が“重い十字架を背負った”大スキャンダルの裏側《日本で一番悪い元刑事インタビュー》 へ続く

(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))

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