29歳で「子供を産めなくなりますよ」と告げられて…30代後半から切実な想いで不妊治療を続けた“歌手”のOさんとは

29歳で「子供を産めなくなりますよ」と告げられて…30代後半から切実な想いで不妊治療を続けた“歌手”のOさんとは

※画像はイメージです。 ©iStock.com

47歳で不妊治療を始め「子を持つ喜びを諦めないで良かった」43歳で不妊治療を悩んでいる人に産婦人科医が“今でしょ!”と言いたいワケ から続く

 日本国内における体外受精件数は年々増加している。2022年4月から始まった体外受精を含む不妊治療への保険適用により、その数はさらに増えていくだろう。

 しかし、山王病院の名誉病院長であり、日本を代表する産婦人科医である堤治さんは、治療で妊娠できる可能性が拡がったことで「どこまで治療するか」の線引きが難しくなっていると指摘する。

 ここでは堤さんの著書『 妊娠の新しい教科書 』より一部を抜粋。39歳から不妊治療を続け、自分で人生を選び取ったOさんの決断を紹介する。(全2回の2回目/ 前編を読む )

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■10年にわたる不妊治療にけじめをつけた女性

 これまで多くの不妊治療の患者さんをそばで見てきた私ですが、特に印象に残っている患者さんの一人が、Oさんです。彼女が初めて私の診療室を訪ねてこられたのは、2009年のこと。彼女は39歳で、子宮の病気を抱えながら不妊治療を始めてすでに5年ほどが経っていました。

「先生、とにかく全部調べてください。何ができて何ができないのか、全部教えてください」

 彼女の言葉には切実な思いが込められていました。

 そもそもOさんが、子宮に病気があることに気づいたのは27歳の時でした。もともと生理周期が不規則で、生理が始まると腹痛に悩まされ、出血量も多かったそうです。それでも元気だったため、多くの若い女性と同じく「みんなそんなものだろうな」と、あまり気にしていなかったのです。

 ところが、仕事が忙しくなった20代後半に入った頃から腹痛や腰痛を繰り返すようになり、体調がいい日は1カ月の間に数えるほどに。見かねた知人から婦人科の受診を勧められ、生まれて初めて婦人科を受診したところ異変が見つかりました。

 子宮内膜症があり、子宮そのものも周囲の臓器を圧迫するほど腫れていることが判明したのです。担当医からは「あと2〜3年で子宮を全摘しなければいけなくなるかもしれない。子どもを産めなくなりますよ」と告げられ、驚いたOさん。

 子宮内膜症の進行を止めるため、ホルモン療法をすぐに始めたものの、Oさんにはこれまでにない大きな仕事が目の前に控えていたため、治療を取るか仕事を取るか迷った末、仕事を選択したそうです。結婚も妊娠・出産もまだまだ先だと感じていた20代の彼女にとっては、それが自然な選択だったのでしょう。

 その後も子宮の病気は悪化の一途をたどり、相変わらず腹痛には苦しみ続けていたOさんでしたが、鎮痛剤や漢方薬を飲んだり、仕事と生理が重ならないよう、低用量ピルを飲んで調整したり、対症療法で乗り切っていたそうです。

■34歳で結婚、妊娠を考え始めたが…

 そんなOさんが現実的に妊娠・出産を考えるようになったのは、34歳を目前に結婚したときでした。相手の男性に子宮に病気があること、子どもは望めないかもしれないことを伝えたところ、それを受け止めた上で「数%でも可能性があるなら、一緒に頑張ろう」と励まされたそうです。そこから、二人三脚での不妊治療がスタートしたものの、なかなか妊娠しないということで、私を訪ねてこられたのです。

 山王病院での検査の結果、難治性の子宮腺筋症と子宮筋腫、さらに子宮内膜症を合併していることがわかりました。子宮が変形して内側の空間が狭くなってしまっていたため、なかなか妊娠ができなかったようでした。

 その際、Oさんに卵子はエイジングすること、女性の年齢が上がると妊娠できる可能性が低くなることをお話ししたのですが、「そんな話、初めて聞きました」と、かなり驚かれた様子でした。

 このままの子宮の状態では妊娠が難しいと考え、最初の2〜3カ月は子宮を妊娠しやすい環境に整えるホルモン療法から始めました。胚移植はそれから始めました。

 ところが、子宮の状態が思った以上に悪化しており、仕事中に激痛に見舞われたり、ショッピングモールのエスカレーターでうずくまったりするようになりました。そこで、彼女は休業を決意。病気の治療と不妊治療に専念することを決心したのです。

 仕事に影響があるから、とひたすら避けてきた手術にも踏み切りました。その手術は、子宮腺筋症と子宮筋腫をできる限り切除し、変形してしまった子宮の形を整えるというものでしたが、復帰した後の仕事に影響が出ないように切開は最小限にとどめましょう、ということで腹腔鏡を使って行いました。

■子宮に「ごくろうさま」

 無事に手術が成功したことに加え、休業したことで気持ちに余裕も生まれたのでしょう。この頃のOさんは不妊治療にも子宮の病気の治療にも、それまで以上に前向きに取り組んでいるように見えました。

 ほどなく体外受精をして子宮に戻した受精卵が無事に着床し、「妊娠」が成立しました。受精卵の頃から慈(いつく)しんでいた大切な命です。胎嚢が見えて、心拍が確認できた時の、Oさんとご主人の喜びは計り知れないものだったと思います。ところが、残念ながらその小さな命は安定期を迎えることができませんでした。

 その後も、何度か妊娠には成功したものの、どの命も続くことはなかったのです。流産を繰り返す悲しみは、さぞかし耐え難いものだったはずです。

 ある日、Oさんから治療をやめることを打ち明けられました。ご自分とご主人の受精卵に望みをかけて、海外で代理母による出産を試みたい、と。

 自分の子宮で命を育むことにこだわり続けても、病気が進行するかもしれないし、妊娠もできず、受精卵も無駄になるかもしれないから、とのことでした。ご夫婦で考えた末の結論でした。Oさんは45歳になっていました。

 子宮腺筋症の根治のため腹腔鏡下子宮全摘手術後、心の中でそっと自分の子宮に「ごくろうさま」と伝えたとお聞きしました。

 10年以上に及ぶ不妊治療を終えたOさんは気持ちを切り替え、一から体を作り直して仕事に復帰。現在もそれまで以上に活躍していらっしゃいます。残念ながら、海外の代理母の元へ送り出した凍結受精卵が実を結ぶことはなかったそうですが、子宮全摘の手術をした後は、体は絶好調だとか。

 ご主人とはお互いに納得して別々の道を歩むことになったそうですが、常に自分の人生を自分の決断で選択してきた彼女のこと。これからも、どんな時も前を向いて生きていくでしょう。

 実はこのOさんとは、シンガーソングライターの大黒摩季さんのことです。

 50歳を超えてもなおステージで輝き続ける彼女は、活動再開後に新曲をリリースしました。

「生まれ変わっても 私はわたしを生きたい いつかそう思えるように My Will 生きてゆこう」(『My Will〜世界は変えられなくても〜』)と綴ったその歌にはきっと、様々な経験を経た彼女の本心が込められているのでしょう。

 大黒さんはきっと、ご自分の経験を糧(かて)に、これからも多くの人たちを励まし、勇気づける歌を歌い続けてくれることだろうと信じています。

(堤 治/文春新書)

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