「殺人犯は二十歳の青年」駆けつけた警官を“電殺”…死刑判決を受けた彼が裁判で気づけなかった「重要な質問」

「殺人犯は二十歳の青年」駆けつけた警官を“電殺”…死刑判決を受けた彼が裁判で気づけなかった「重要な質問」

亀戸付近の工場地帯風景。この写真を載せた「大東京写真案内」は「闇の町亀戸」と表現している

行ってないのに「名古屋に急行」!? 警官“電殺”事件であり得ない虚報が続々と生まれた理由 から続く

 窃盗犯を逮捕しようとして出動した警察官が、犯人の仕込んでいた電線の仕掛けにかかって感電死した亀戸警官電殺事件。当初は簡単に解決するとみられた事件だが、捜査は行き詰まっていった。

 そんな中、ようやく捜査員たちの地道な捜査が実を結び始める――。

◆◆◆

■「捜査員たちは犯行の原因は何だろうかと考えた。怨恨、痴情、物取り…」

 1932年出版の「捜査資料 犯罪実話集」=警察思潮社編輯(集)局編=は多くの事件の事例を集めた犯罪読み物。

 その「電氣殺人」の項は、容疑者を仮名にしており、公判で開示された事実と違う部分もあるが、内容から見て捜査資料を基に書かれたのは間違いない。新聞記事には断片的にしか書かれなかった捜査状況をそこから振り返ってみる。

〈1. 現場の遺留品としては二十番(二十二番の誤り)の鉄線、ペンチ、ろうそく、マッチとゴム靴があった。

2. 捜査員たちは犯行の原因は何だろうかと考えた。怨恨、痴情、物取り……。この家の主婦は十人並み以上の美人で、素行に悪評は聞かないが、愛嬌たっぷりで人をそらさないところに問題がある。さらに、家は雑貨店だが、付近は東洋モスリンの職工が数多くいて女工の出入りも頻繁。時には奥座敷が彼女らの媾曳(あいびき)の場所に使われているともいわれる。だから、怨恨、痴情では、という想像も起きる。

3. さらに当時は、東京電燈と東京市電がモスリン会社への電力供給をめぐって非常にあつれきがあり、相手方を中傷しようとしていたから、電気関係者の仕業ではあるまいか。あるいは精神障害者や変態的な火事場泥棒的強盗ではないかなど、それからそれへデマが飛び、流言浮説も起こって全く五里霧中、収拾できないようになった。〉

■「もし窃盗だとすれば、未遂で終わったのだから必ずよそでもやっているはずだ」

 昔の日本は一面性的に解放されていたから、雑貨店の奥があいびきの場になることも不思議ではなかっただろう。また、記述の通り、明治の中ごろ以来、電気供給の独占企業だった東京電燈に対し、東京市が、買収した民間鉄道会社の電気供給事業を継承。ほかに1社が事業を始め、このころは「三電競争」と呼ばれる激烈な顧客争奪戦を繰り広げていた(「東京百年史第4巻」)。

〈4. 早期解決のもくろみが外れ、刑事たちはしょんぼりしていた。その中で1人が考えた。「もし窃盗だとすれば、五十嵐家は未遂で終わったのだから、必ずよそでもやっているはずだ」。調べてみると、五十嵐家から4〜5町(約436〜545メートル)離れた足袋屋で盗難被害があった。盗まれたのは女物の袷(あわせ=裏の付いた着物)1枚と男物のオーバー。遺留品に男物の古い洋服があった。そこから、犯人は古い服から女の着物に着替え、オーバーを上から羽織り、変装して去ったと判明した。

5. さらに、夜間、外に出していた麻裏草履(あさうらぞうり=平らに編んだ麻を裏に付けた草履)を盗まれた家があることが分かった。五十嵐家と足袋屋の中間。ゴムの靴を残して逃走した犯人が奪って逃げたと考えられた。

6. 鉄線担当の刑事は問屋から小売店を当たった。その結果、本所緑町の金物店で4月3日夜に鉄線1把(わ)とペンチを売ったことが判明。買ったのは20歳前後の「小僧」ふうの男だった。鳥打ち帽をかぶりオーバーを着ていたという。〉

 服を作った仕立屋も判明。マッチ、ろうそくを買った店も分かり、買ったのが同一人物らしいことを突き止めた。それらの店をつなげると順路になっていて、犯行に向かう途中、買いそろえたことがはっきりした。容疑の人物が浮上。事件の解明に向けて進んでいたことが分かる。

■「頭一つの働きと熱意で事件を解決できた。捜査はつまるところ…」

 しかし、問題はそれからだった。木賃宿や下宿屋なども当たったが手がかりはなかった。

〈7. 小松川署の1人の刑事が各警察署の留置場回りを始めた。「どこかで窃盗で検挙されていないだろうか」という窮余の一策。各署を歩いて日比谷署までたどり着くと、4月12〜13日ごろ(実際は15日)、芝・佐久間町で空き巣に入り、追われて日比谷公園に逃げたところを逮捕された男がいた。しきりに送検をせがむところに不審があった。

8. 居所が本所の木賃宿というのでピンときて行ってみると、4月3日の夜は午後に出たきり戻らず、4日の朝に女物のオーバーを着て帰ったことが判明。年齢、人相もそれまでの調べと一致したので、捜索本部は警視庁警務部長に重要犯罪だからと申し入れて、日比谷署から身柄を引き取った。引き取りに行って一応調べると、証拠は歴然なので「恐れ入りました」と犯行を認めた。〉

 こうして、旧来の地道な捜査が実を結んだ。「捜査資料 犯罪実話集」は「あらゆる証拠物を精魂込めて調べても検挙できないものを、頭一つの働きと熱意で難渋極まる事件を解決できたのは、捜査は畢竟(ひっきょう=つまるところ)刑事の足の裏の土だと思わせる」と評している。

■「殺人犯は二十歳の少年」

「電流殺人犯人捕は(わ)る」(報知)、「電氣殺人犯は廿(二十)歳の少年」(やまと)、「大膽(胆)不敵なる不良青年」(東朝)、「犯人は電氣應用の窃盗 密行中偶然逮捕す」(読売)……。1913年4月19日発行20日付報知、やまとの夕刊と他紙の20日付朝刊は一斉に書き立てた。

 20歳はいまなら成人=青年だが、少年法も存在しなかった当時、整理記者の感覚で見出しを付けたのだろう。「警視庁史」は年齢を21歳としている。

 検挙に至るいきさつが正確に書かれている点から都新聞を見よう。

〈 さる4日未明、府下亀戸町3214、小間物商・五十嵐喜一郎(32)方に電流を装置し、駆け付けた新貝巡査部長を電殺した犯人は、所轄警察署をはじめ市内各署連合し極力捜索中、さる15日、日比谷署の根本巡査が有楽町1ノ3番地先路地で逮捕した芝愛宕下町2ノ4、錺(飾り)職、新次郎の三男・山口明(20)が犯人である旨自白。地方裁判所の乙骨検事、柴田予審判事が一応取り調べのうえ、ついに昨日、検事局へ送った。〉

 新貝巡査は殉職で1階級昇進していた。「飾り職(人)」とは、江戸時代からの伝統技術をもって金属でかんざしなどの装飾品を作る職人のこと。明を次男とした新聞もある。本人の経歴は読売が簡潔だ。

〈 幼少のころ、自宅で飾り職を習ったが、素行がおさまらず窃盗をはたらき、明治42(1909)年9月、下谷竹町署の手で押さえられたのをはじめ、同44年2月までに2犯を重ねた。川越懲治監に送られて昨年7月、満期放免となり、飾り職人の兄方へ預けられ、仕事の手伝いをしていた。ところが、兄の借金のため一家は離散。明は同年11月から浮浪の身となり、本所、深川の木賃宿を泊まり歩いて葬式の人夫、土工人足などに雇われ、暇をみては小泥棒をはたらき、さる3日までに11件に及んだ。

 ことに先月31日午前1時ごろ、本所区林町1ノ11、白米商・鈴木隆次郎方へ忍び入る際には、電線を持って行って裏口いっぱいに鉄条網のように張り渡し、電流を通じる準備を整えた。だが、スイッチの位置が遠かったため手間取り、家人に勘づかれてそこそこに逃げ出した。返す返すもそれを遺憾に思って、再び実行の場を物色中だった。〉

■電流装置は「未必の故意」?

 電気の知識については、東日が「さる(明治)42年中、有楽町の東京電燈会社及び浅草蔵前の同社出張所に雑役夫に雇われたことがあり、電気に関して若干の知識を有していた」と記述。肝心の「電流装置」の狙いについては時事新報がこう報じた。

「(白米商の未遂の際は)窃盗の目的をなるべく安全に達しようと、電線で鉄条網を張り、電流を通じて逮捕を免れようと考え……」。さらに、警官電殺の事件では「3500ボルト(3000ボルトの誤り)の高圧線につないで電流を通し、逮捕に来る者があれば、これで感電させようと図り、屋内に入って悠々と窃盗をしようとした」と書いた。ここが裁判で最大のポイントになる。

 その点で注目すべきは、4月19日発行20日付やまと夕刊の「電流犯人の罪名は殺人か否か」という記事。

〈 亀戸電殺事件は本邦犯罪史上、全く稀有のことで、果たして犯人がどのような罪名の下に裁かれるか最も興味ある問題というべきだ。それについてある弁護士が語るところによれば、このような犯罪に対する判例はわが国では未曽有のことに属するので、果して司法官がどう処分すべきかは予断の限りでない。ただ、犯人は電気に関する知識があり、常人にはできない装置まで作った以上は、3500ボルトの電流がどんなものなのかもよく知っているはずだ。もしそうならば、犯人がたとえ窃盗の目的をとげるため、自分の安全を期す目的で電気装置を設置したにせよ、彼は、その電線に触れる者があれば必ず死に至るべきことを、もとより予期したことになって、ある不確定の故意を持っていたと認めることができる。この論が当を得ているとすれば、犯人は窃盗の目的をとげなかった点で窃盗未遂罪に当たり、3人が電線に触れて、うち1名が即死、2名が蘇生した点で殺人及び殺人未遂の罪が成立するとみて間違いない。〉

 いまなら「未必の故意」と呼ばれる法理論だろう。やまと、東朝、東日の紙面には明と逮捕した日比谷署員の顔写真が、報知、萬朝報、都新聞には明の顔写真が載っているが、時事新報は、明の写真は他紙と同じだが、「電流犯人護送の光景」の説明を付け、刑事2人に挟まれた構図で載せている。明だけでなく、両脇の刑事も和服なのが時代を感じさせる。

■「3000ボルトで死んだことを知っています」

 4月20日発行の21日付やまと夕刊には「極めて圖(図)々しい犯人」の見出しで送検後の明の表情を描いた記事がある。

「すこぶる洒々然(ゆったり)として警官に向かって話を持ち掛け、夕食の際などは『こんなちっぽけな弁当は一つでは足りない。代わりをください』などとほざき、一粒も残さず食べ、その大胆なのには警官も舌を巻いていた。尋問の際にも恐れる様子もなく、微笑を含んで逐一自白する憎々しさには署長もあきれるばかりだ。同夜はいびきも高く熟睡する様子は、このような大犯罪を犯した者とも思えない」

 これは記事のように捉えるより、まだ考えが子どもっぽくて、自分のしたことの重大さに気づいていないと理解するのが事実に近いのではないか。

 同年6月19日に開かれた公判を報じた6月20日付東朝朝刊の記事も「極めて丸々しい、いたずらそうな容貌の小僧だ」と記している。同記事は、満員の傍聴席を前に裁判長と被告山口明の「通俗電氣問答」の様子を伝えている。

〈裁判長 おまえは電気のことを知っていると言ったが、電柱に赤と黒の色を塗っているわけは?

被告 赤い方が3000ボルトの電力を有し、黒い方はそれより弱いと、人夫をしていたころに工夫から聞いていました

裁判長 赤い方の線に触れれば死ぬということを知っていたか

被告 私が人夫をしていたころ、工夫が3000ボルトの線に触れて死んだことを知っています

裁判長 おまえは活動写真が好きで、始終見に行くそうだね

被告 あまり好きでもないが、折々見に行きます

裁判長 活動写真に泥棒が巡査を電気仕掛けで殺したのを見て感心したというが、事実か

被告 桜川町の福寶館で昨年10月ごろ見ましたが、自分も8月に出獄したばかりの身ではあり、決して感心どころか、悪いことと思いまして中途で出ました

裁判長 おまえははじめから五十嵐の家に忍び入り、窃盗をして見つけられたら、一家ことごとく電気で殺すつもりであったろう

被告 決してそうではありません。工夫らの言うところによれば、板の上なら触ってもけがだけで死なないと聞いていましたから、見つけられて逃げる時の用意にしたのです。こう申しては失礼ですが、いままで随分人の多くいる家に忍び込んでもうまく逃げたほどですから、人を殺さなくても、逃げるぐらいは何でもありません〉

 明はそれほど重要なことを聞かれているとは気づいていないようだ。裁判長の尋問は予審(起訴後、公判にかけるかどうかを判事が決定する手続き)段階での供述を踏まえて、既に有罪と決めているかのようにかなり意図的だ。明は予審で殺意を認めたとされており、この日の公判で否認したことになる。

 活動写真(映画)について「捜査資料 犯罪実話集」は、映画館は「芝区の第二福寶館」で、映画は当時大流行のジゴマだったとした。「ジゴマが電気をもって人を殺すに、スイッチを抜き電線を仕掛け、電気を目的地に導く犯罪の手段方法にすっかり興味を覚え、これにヒントを得て、彼は家人を鏖殺して窃盗に入るつもりだった」としている。あくまで警察・検察サイドの見方だろう。

■「被告は幼年、監獄に入り、出獄後も不良少年となった先天的悪人で、悔悟の余地はないと信じる」

 次の7月3日の公判では秋山検事が論告求刑を行った。内容は7月4日付東日朝刊が最も詳しい。弁護人の尋問に対して明はあらためて「電流は殺すつもりで仕掛けたのではないが、いまとなってみれば、悪いことをしたと思います」とうなだれた。その後の論告は社会的影響を前面に出していた。

〈 本件は満都を震駭させたが、事実は簡単明白で、被告に殺意があったかどうかの点について、被告は警察の調べと予審で自白しながら、当法廷では否認した。しかし、被告は疑いなく、仕掛けを用いて家人を殺し、逮捕に来た巡査もこれに触れて死ねば、悠々仕事に取りかかれるとした。被告は幼年、監獄に入り、出獄後も不良少年となった先天的悪人で、悔悟の余地はないと信じる。

 ことに東京市などは電気は重要な生活資料であり、その電力を使って生命を奪うに至っては、一刻も安心することができない。この意味において厳罰をもって被告に臨み、犯罪を防がねばならない。相当の法条を適用して死刑に処してもらいたい。〉

 警察・検察の立場から、電気を使った模倣犯が現われるのを危惧したと思われる。「この論告に対し、被告は『決して無理とは思いません。どうせ命は助からぬものと既に覚悟して、自殺を図ったくらいです』とうつむいた」と東日の記事。

 弁護人は「被告の自白による予審調書は信頼するに足りない。刑法上において被告の犯行は能力がないもので、殺意に疑いがある。殺人の罪を被告に負わせるのは厳しすぎる」として極力軽い罰を求めた(7月4日付読売朝刊)。

■判決の扱いは驚くほど小さく…

 同年7月8日の判決は検察側の主張を認めて求刑通り死刑。そのころ重病に陥った皇族・有栖川宮の病状に大きく紙面を割いたため、各紙の扱いは驚くほど小さく、掲載しなかった新聞も。7月9日付東日朝刊の記事は――。

〈 被告は絣の筒袖に絞りの兵児帯を結び、両手を囚人箱(被告席)の縁に置き、うなだれたまま、判決文を読み聞かされた。死刑の宣告とともに濃い眉毛はピリピリと動き、両眼は血走って固く唇を結び、黙って手錠、編み笠姿で看守に引き立てられて退廷した。〉

 ある程度予想されたとはいえ、ショックの大きさが分かる。同じ日付の時事新報の脇見出し「最後の言渡を聞てギューの音も出ず」は、いくらなんでもひどい。正直に言って、盗みに入るために一家や警官を殺そうとしたとは考えられない。本人にそれほどの決意があったとは到底思えない。

 それでも、人が感電死したことを知っていたと供述したのが決め手になっての死刑判決。そこには電気が社会に普及した中で、犯罪に悪用されることは防ぎたい。そのためにも厳罰を、という為政者側の狙いが判決に集約されたというべきだろう。

 世相は「大正政変」と呼ばれた第1次護憲運動が高揚。事件直前の1913年2月には、数万人が議会を取り囲み、政府を擁護したやまと新聞も群衆の焼き討ちに遭った。この結果、桂太郎、西園寺公望によるたらい回しの「桂園内閣」に終止符が打たれ、政治も新しい時代に。

 事件のあった4月にはアメリカ・カリフォルニアで排日運動が激化し、国内では明治天皇の後を追って自害した乃木希典大将の私邸公開が大きく報じられた。3月末に日本初の航空機事故で死亡した中尉2人の葬儀が行われ、追悼記事が連日紙面を飾った。死亡した新貝巡査が代役で派出所に詰めていたのも葬儀が原因だった。

 古いものが消え去り、代わりに登場した新しいものもまだ不安定だった。その不安定は10年後の関東大震災で頂点に達する。単純な窃盗未遂事件が後世に残るほど騒がれたのも、そうした変化と不安定の表れだったのかもしれない。

■判決から2日後に載った小さな記事には…

 判決から2日後、1913年7月10日付の東京毎夕新聞に小さな記事が載った。

〈 電殺犯人圖太く控訴す

 亀戸電殺事件犯人、山口明(20)は昨日、田山地方裁判所判事の言い渡した死刑の宣告に対し、今日(9日)午前10時、弁護士・添田増男氏に原判決は不当として控訴の手続きをさせたという。 〉

 図太くという見出しに見下した感情がこもっている。この事件の裁判がその後どうなったか、知る資料は見当たらない。「捜査資料 犯罪実話集」は「無期懲役に処せられた」と書いており、控訴審が開かれ、減刑された可能性も考えられる。

 しかし、同書には「(明は)前科はなかった」と事実とは異なる記述もあり、どこまで信用できるか……。警官電殺事件は結末が欠落したままになっている。

【参考文献】
▽「警視庁史 大正編」 1960年
▽「東京百年史第3巻」 1972年
▽太刀川平治「電氣の災害に就て」 電気協会 1927年
▽「警視庁史第1 明治編」1959年
▽「東京百年史第4巻」 1972年
▽ 警察思潮社編輯局編「捜査資料 犯罪実話集」 松華堂書店 1932年

(小池 新)

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