ドイツのメルケル元首相がスゴい理由は? コロナ禍でも注目された女性政治家に見る“次世代リーダー像”のあり方とは

ドイツのメルケル元首相がスゴい理由は? コロナ禍でも注目された女性政治家に見る“次世代リーダー像”のあり方とは

2018年にカナダ・ケベック州で開催されたG7シャルルボワ・サミットでの一各国の男性リーダーたちの中央で「場所をとる」ドイツのアンゲラ・メルケル首相(当時)。Photo: Jesco Denzel/Bundesregierung via Getty Images

 海外各国の女性リーダーが注目される一方で、日本では未だに女性総理大臣が誕生していない。それどころか、女性管理職の割合もなかなか増えていないのが現状である。では、日本にも女性リーダーが誕生すれば、万事解決なのであろうか。それとも……。

 ここでは、フェミニズム研究者の清水晶子さんによる「VOGUEオンライン」の連載「 VOGUEと学ぶフェミニズム 」を書籍化した『 フェミニズムってなんですか? 』から一部を抜粋。現代における女性リーダーの活躍をヒントに、「次世代リーダーシップのあり方」を考える。(全2回の1回目/ 後編を読む )

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 ドイツのメルケル元首相、台湾の蔡英文総統、ニュージーランドのアーダーン首相――。コロナ禍では、感染対策の観点から「女性のリーダーシップ」が世界的に注目された。ではリーダーは女性であれば良いのだろうか? フェミニズム的視点から見た女性リーダーのあり方、時代とともに変容するリーダー像とは。そして、「女性が場所をとる」ことについて。

■女性がリーダーだと“良い”のか。

 新型コロナウイルス感染症の世界的拡大の初期、感染者数、死亡者数ともかなり低く抑える対策をとることに成功した国のリーダーに女性が多いことが話題になりました。

 西欧ではドイツ(アンゲラ・メルケル)、北欧ではフィンランド(サンナ・マリン)、ノルウェー(エルナ・ソルベルグ)、デンマーク(メッテ・フレデリクセン)、アジアでは台湾(蔡ツアイ英イン文ウエン)、オセアニアではニュージーランド(ジャシンダ・アーダーン)。

 これらの女性リーダーたちは、国民の理解と協力を求めて迅速に対策をとり、少なくとも初期の段階では感染の拡大を抑えることができていました。

 そのことから、女性のリーダーシップについてメディアでポジティブに取り上げられることも多くなっています。とはいえ、フェミニストたちが女性リーダーたちを常に諸手(もろて)を挙げて歓迎してきたかといえば、そうとも言いきれません。

 例えば、マーガレット・サッチャーは女性としてはじめてイギリスの首相に就任し、1979年から1990年までイギリスという大国のリーダーとなりました。

 けれども、規制緩和や金融システム改革などに強いリーダーシップを発揮した彼女は確かに政治家として有能だったものの、新自由主義と保守主義とに基づいて彼女が推し進めた政策は、福祉をはじめとする弱者への社会保障を切り捨て、社会の格差を拡大することにつながっていくものでもありました。そして多くのフェミニストたちが、それは自分たちの望む社会とはかけ離れたものだ、と感じたのです。

 こういったことも前提にした上で、パンデミック下で女性リーダーたちの姿勢に注目が集まった今、あらためて女性のリーダーシップについて考えてみたいと思います。

 女性がトップにある国で、感染症の流行が初期段階では抑制に成功したことは、「女性が主として担ってきた子育てや介護などケアの経験が、感染症対策に生かされた」と短絡的に結びつける意見も生み出しました。

 この見方は、「女性は本質的にケアに向いている」というフェミニストが従来異議を唱えてきた発想にもつながりかねず、注意が必要ですが、少なくとも「女性をリーダーに擁する政治・社会体制の国は、COVID-19のパンデミックのような危機に直面したときに柔軟な対処ができる国でもある」とは言えるのかもしれません。

■変わりつつあるリーダーの理想像。

 もちろん感染症拡大抑制それ自体にはさまざまな要素がからんでくるので今後の検証を待つ必要がありますが、それでも、女性か男性かを問わず、今回のパンデミックを通して従来とは異なる「リーダーシップ像」の可能性も見えたように思います。

 これまでリーダーの資質として重視されがちだったのは、力強さや決断力といった伝統的には男性性と結びつけられることの多い要素でした。けれども、伝統的には女性性と結び付けられてきた資質、たとえば弱い人や困っている人へのケアを重視するとか、常に自分が前に出て主張するだけでなく、人の話を受け止めるとか、そういった点で優れたリーダーがいてもいいのではないか、と考える人は増えているように思えます。

 とりわけ、リーダーには誰かに頼ったりすることも弱さを見せたりすることもない、独立した強さが求められることがしばしばありました。しかし21世紀に入って、むしろ自分が弱いところを認め、他の人に補ってもらうことを厭(いと)わない、協力体制を作ることに優れたリーダーも出てきています。

 ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相が、就任後に出産して産休を6週間取得することを国民に率直に話し、その間は副首相が首相代行をつとめることについて国民の了解を求めたときの姿勢などは、その一例と言えるでしょう。

「自分についてこい!」と引っ張っていく強さだけをリーダーシップと考えるのではなく、私たちの社会のどういうところが脆弱(ぜいじゃく)で、どういうところをケアしていけばいいのかを一緒になって考え、協力しながら社会をまとめていく力もリーダーシップなのだ、というオプションが増えたことは、いい傾向です。とても弱ってしまっている地球(環境)をいたわる、という視点も、今の時代のリーダーには不可欠ですよね。

■ヒラリーからAOCへ。次世代が求めるリーダーとは?

 2016年アメリカ大統領選挙で民主党候補となったヒラリー・クリントンは、学歴、職歴、政治経験すべてに抜きんでたエリートで、初の女性大統領への期待も高まっていました。

 しかし、ジェンダー平等も含む社会的公正や平等の問題に非常に敏感だといわれているレイト・ミレニアル(1990年代生まれくらい)やジェネレーションZ(1990年代後半〜2010年代生まれ)と呼ばれる若い世代の多くは、クリントンではなく、彼女と民主党指名を争ったバーニー・サンダースの支持にまわりました。

 クリントンは女性候補ではあっても「恵まれた富裕層の利害にしか関心がなく、経済的格差にコミットしていない」とみなされたのです。

 サンダースを支持したこの世代の声を反映しようと、2017年には「自分たちの声を政治に反映させるために民主党から次世代のリーダーを議会に送り込む」という趣旨の「ジャスティス・デモクラッツ」という団体が立ち上げられます。

 この団体にサポートされた新人候補の一人、アレクサンドリア・オカシオ?コルテス(AOC)はニューヨーク州から立候補し、民主党下院ナンバー4で議員を10期務めた現職ジョセフ・クローリーを予備選挙で破り、本選挙で共和党候補を破って史上最年少の28歳で下院議員になりました。その戦いぶりは「レボリューション─米国議会に挑んだ女性たち」というドキュメンタリー映画で紹介されています。

 AOCはブロンクス出身の父親とプエルトリコ人の母親を持ち、多民族が暮らすブロンクスの労働者階級の家庭で育ちました。ボストン大学在学中に父親を病気で亡くし、卒業後はウェイトレスで生計を立てつつ、サンダースの選挙キャンペーンに加わるなどの活動をしていましたが、弟の推薦を受けて、ジャスティス・デモクラッツのサポートで立候補します。そして見事に下院議員に当選したのです。

 AOCは、ポイントを押さえ、簡潔にわかりやすく印象に残る話し方をすることで知られています。自分が選挙民と同じ地域で生まれ育ち、働き、選挙民と同じ経験をしていることを強調し、「だからみなさんの代表にふさわしい」と訴えて共感を勝ち取っていくのです。

 一方、彼女と予備選挙を争ったクローリーは地元出身でも、地元で暮らしているわけでもなく、子どもをブロンクスの学校に入れているわけでもありませんでした。

 ただ議員は有権者の「代表」であって、大統領のような国の「リーダー」ではありません。これからAOCが政治家として活躍していくうちに、自分を支持している人たちと経験がずれてくることもあるでしょうし、「代表」ではなく「リーダー」として行動することがより強く求められることもあるでしょう。そのとき彼女がどんな戦略を取ってくるのか、個人的にはどこかワクワクしながら注視しています。

■ドイツのメルケル元首相がスゴい理由。

「レボリューション」を見ていて私が興味を惹かれたのは、AOCがクローリーとのテレビ討論会に向けて演説の練習をしながら、“I need to take up space” と何度もつぶやくシーンです。「存在感を出さなくちゃ」という意味ですが、文字通り訳せば「場所をとらなくては」ということになります。

 これは女性のリーダーシップを考える上で重要です。政治の討論会であれ、会社での会議や地域のイベントであれ、自分は当然その場にいる権利があるという態度で「場所をとる」ことは、多くの女性にとってそれほど自然に身についた振る舞いとは言えないのではないでしょうか。そしてこれは女性がどのような振る舞い方を期待されてきたのか、それがどのくらい深く文化に根付いているのか、ということを示しています。

 その点で目をひいたのは、ドイツのアンゲラ・メルケル元首相です。たとえばトランプ元大統領や習近平国家主席と並んでも圧倒するほどの存在感があった彼女はもはや “I need to take up space” と自分に言い聞かせる必要なく、「場所をとる」ことに成功しているように見えました。

 自分自身を振り返っても、女性は「場所をとる」経験を積む機会を与えられないことが多いと思います。いつでも一歩下がって、主張し過ぎることなく控えめに遠慮がちであること、言い換えればできるだけ場所をとらずにいることを女性たちに期待する文化が残っている限り、それに対抗して女性のリーダーシップを可能にしていくためには、物理的にも心理的にも社会的にも女性が「場所をとる」ことを意識的に奨励していく必要があるのかもしれません。

 AOCのような次世代の女性「リーダー」たちがいちいち「場所をとらなくては」と自分に言い聞かせなくても、必要なだけの「場所をとる」ことが自然にできるような文化を作っていくこと。女性のリーダーシップは、そういうところから考えることもできるのではないかと思います。

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 本書は「VOGUEオンライン」で連載している「 VOGUEと学ぶフェミニズム 」の書籍化です。

“近代オリンピックの父”は「品位を下げる」と女性の参加に反対…現代にもつながる“男性中心的”な五輪ヒストリー へ続く

(清水 晶子/文春新書)

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