【「かんなみ新地」尼崎市が土地取得へ】「昔、現役やってんで」かんなみ新地で“営業”を続けるシャネル風ジャケットの知的ママの“身の上”と“妖艶な電気が灯っていた時代”《現地ルポ》
2022年06月04日 12時00分 文春オンライン

かんなみ新地
【「かんなみ新地」尼崎市が土地取得へ】「売春はどんな場合でもあかんで」解散した“戦後を残す色街”かんなみ新地に「いまも残る人々」とは《現地ルポ》 から続く
兵庫県尼崎市は、旧花街「かんなみ新地」一帯の土地建物を取得し、更地にしたのちに売却する計画を発表した。
「かんなみ新地」は昨年11月に尼崎市と兵庫県警尼崎南署から警告を受け、一斉閉店となっていた。以後は空き家状態が続いており、地域住民からは安全面や治安に関する不安の声があがっていた。
戦後間もない頃から、色街として栄えてきた「かんなみ新地」はなぜ終わりを迎えるのか。その実態に迫った記事を再公開する。
(初出2021年12月5日、肩書き、年齢等は当時のまま)
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11月23日、ついに兵庫県尼崎市の風俗街「かんなみ新地」が、約70年の歴史に幕を下ろした。同月1日に尼崎市長と尼崎南警察署署長の連名で営業の中止を要請したことで、約30軒あった店は風俗営業を休止していたが、23日に「かんなみ新地組合」が解散した。すでに10店が廃業申請をしているというが、一部は一般の飲食店などとして営業を続けているという。
いま、かんなみ新地は一体どんな状況になっているのか。そもそもかんなみ新地とはどんな場所だったのか――。
“取材拒否の街”大阪市西成区の歓楽街「飛田新地」を11年かけて取材し、2011年に「 さいごの色街 飛田 」(筑摩書房・新潮文庫)を上梓したノンフィクションライターの井上理津子氏が現地入りし、その実態に迫った。
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かんなみ新地に実際に足を踏み入れると、「独立国」だと、私の目には映った。そして、妙だが「けなげ」の3文字が頭に浮かんだ。3階建てないし2階建ての木造モルタル造りの一続きの建物が、道路に沿って30メートルほど続いている。道路の向かい側も、建物の裏側も広々とした駐車場だ。
軒先でおにぎりを売っている女性や、目を光らせている巡査と言葉を交わしたものの、かんなみ新地との“距離”はてんで縮まらなかった。
その日の夕方、私が行き着いたのは、かんなみ新地から往路と逆方向に約2キロの尼崎センタープール前駅近くの立ち飲み屋「中島南店」。酒場探訪が好きな広告代理店OBの知人Cさん(66=芦屋市)が行きつけにしており、待っていてくれたのだ。
■かんなみ新地の“安く、手っ取り早く”なシステム
「僕自身は風俗全般が苦手だから(かんなみ新地の店に)上がったことはない」と言うものの、以下を伝授してくれた。
・「かんなみ」の名は神田南通りの略から。
・夕暮れ時〜24時まで営業。
・1階がスタンド形式で、2〜3人の女の子がキャミソールなどを着て、座っている。
・急階段を上がると3部屋ほどあり、そこで性的サービスが行われる。
・各店に、シャワーもトイレもない。衛生には除菌クリーナーやウエットティッシュ、おしぼりを使う。
・ひと続きの建物2棟の間の通路に面し、共同トイレがある。
・「女の子」は日本人もしくは日本人に見える若い子。昔はおばさんだったが、阪神淡路大震災後に若返った。
・「借金のカタ」として働く女の子はおらず、みな、アルバイト感覚のよう。
・単位は20分。料金は飛田よりもおそらく安い。
それはコップ酒をあおりながらの伝授で、Cさんは「つまり、立ち飲みと一緒。かんなみは“安く、手っ取り早く”が売りだったんだよな」と苦笑いした。
■「かんなみとは言わずに『パーク』と呼んでいた」
店主(50)が話の輪に入ってきてくれ、「センタープール(尼崎ボートレース場)があって、ここらはバクチ場でしょ。昔は『勝った金でパークへ行く』って聞きましたけどねえ」と。
パーク?
「昔の人は、かんなみとは言わずに、『パーク』って呼んでましたよ」
かつて、かんなみ新地のすぐ横に「パーク座」という名の芝居小屋があったかららしい。
「でも、今、バクチ場に来ているのはほぼほぼお年寄りだから、そういう話も聞かなくなったね」
そうかー。で、この辺りはどういう土地柄ですか? 普通に住宅地みたいですけど。
「臨海部が化学、金属工業の阪神工業地帯でしょ。この辺りはその受け皿で、昔は下請け工場が多かったですね。それに“人夫出し”ってわかります? 独身アパートやドヤがあって、日雇い労働者が住んでいて。早朝からその日の仕事を求める人がずらっと道路に立ち、斡旋者が集めに来る。『はい、何人』って、トラックの荷台に乗せて行ってましたよ」
つまり、西成や山谷みたいな寄せ場?
「そう。震災のちょっと後まで、そんな感じが残ってましたねえ」
とすると、「70年の歴史」のかんなみ新地は、戦後、東側にヤミ市、西側に労働者街のある場所に誕生したのだと腑に落ちる。
■10年前の火事「消火しなければ全棟が燃えてしまうのに…」
「やっぱり人口密度がめちゃ高くて、男の人いっぱいいて。かんなみは必要とされて出来たところやったんや」と私が迎合発言をすると、1人で杯を傾けていた隣のテーブルの70歳くらいの男性が、うなるように一言。
「売春はどんな場合でもあかんで」
店の中が、一瞬し〜んとなった。
翌日、市議会議員の林久博さん(57)に、かんなみ新地から数十メートルの地にある尼崎市立竹谷小学校のPTA会長だった9年前、「市の危機管理課へ(かんなみ新地の閉鎖を)陳情に行っていた」と聞く。かんなみ新地が「子どもたちに見せられない場所」であり続けたことは論を俟たない。
ずっと地元に暮らしてきた林さんは実家が喫茶店だった。コーヒーを飲みに来る「曳き子のおばちゃん」が、「昨日の私の取り分が8万円あってん」と、くしゃくしゃの万札をテーブルに並べていた光景をありありと覚えているという。消防団に入っていて、かんなみ新地が火事になった約10年前には、消火活動を手伝った。その時、「もし、このまま消火しないで1時間経てば、全棟が燃えてしまうのにと複雑な思いだった」と心の内を明かしてくれ、このたびの閉鎖を「やっとですよ、やっと」と感慨深げだった。
一方、20代から40代までたびたびかんなみ新地の客だった、木村徹さん(仮名、57)は、仕組みを語ってくれた。
■「ペラペラの服をまくりあげて、行為となる」
「夕方になると、妖艶な電気が灯って各店が開く。店にもよるが、1階に3、4人の女の子がいて、おっぱいが大きいとか細身とか、客は自分好みの子を見つけて入る。1万円を先払いして、2階の部屋へ。女の子がゴムをつけてくれ、ペラペラの服をまくりあげて、行為となる。20分経つとアラームが鳴る。下に降りると、ママさんがコーヒーを淹れてくれ、飲んで帰る」と。
木村さんは、「ここ10年ほど行かなくなったのは、年ということもあるけど、女の子が若くて、やる前になんだかんだ喋りよるんですわ。僕は、そういうの聞くの、面倒くさいから」とも。このたびの警告から閉鎖の流れについては、自身が客だったこととの矛盾は棚にあげて、「時代の流れやと思う。もともとやってはあかんことを許してたんが、おかしいでしょ」。
翌々日、かんなみ新地を再訪する。停まっているパトカーに向けて、
「警察もヒマやのお」
と声を出す年配男性がいただけで、室外機が満艦飾の建物の光景は変わらず。
海苔巻きの店を再び覗く。
「ごめんなさい、売り切れなんです」
と言いながら出てきた一昨日のショートヘアの女性が、「このあいだはありがとうございました」と、私の顔を覚えていてくれた。少々質問させていただく。
■元ママの海苔巻き「近所の子どもが買える値段に」
??いつから海苔巻きをやってはるんですか?
「この間からですよ」
??警告出る前から?
「いいえ」
??じゃあ、以前はママさん?
「そうですよ」
風俗の店から商売替えの試運転中だったのだ。取材で来ていると明かしても、「ニュースで(閉店を)知って写真撮りに来よぉ人、毎日いよぉですよ」と、笑顔が続く。
黒いカットソーの女性が立ち寄り、「がんばってるね、残念、売り切れなんや」と。
「私、思うんやけど、もうちょっと高くしていいんちゃう? 110円はいくら何でも安すぎるわ」とおっしゃったので、「私もそう思います。具いっぱいやし、大きいし、きれいし、おいしいし。倍の値段にしても安いと思う」と加勢する。
「そう言ってくれるのはうれしいですけど、あかん、私どうしてもこの値段でいきたいの」とショートヘア女性。「近所の子どもたちが『おばちゃ〜ん』って小銭握りしめてやって来て、買える値段にしときたいの」
「すばらしいー」と、私、思わず。
つい先日までは、言うまでもなく「子どもに近寄らせられない」エリアだった。ママさん時代の贖罪か。いや、ママさん時代も心やさしき人だったのだ、きっと。そう思うに十分な雰囲気を持つ人なのである。
「気持ちはわかるけど、利益出して続けていかなあかんからね」と黒カットソー女性が諭すように言った。料理の先生で、かんなみ新地の店の転業を応援しているという。
「(私の)教室に来たら1時間5000円もらわないといけないから、それとは別にママさんたちに無料で教えてあげてるの」とのこと。
「廃業して田舎に帰る人もいるけど、〇〇さんはおでん屋、△△さんは焼き鳥屋っていう具合に、まるごと飲食店街になれればいいなって思ってるんです」(ショートヘア女性)
そう聞いて、かんなみ新地は一斉転業に向かっている、と思ったのだが……。
■真っ暗なかんなみ新地で灯りがついた「1軒の店」
夜、1軒だけ扉が少し開き、灯りがついている店があった。
「え? え? 営業してるんですか」と、半歩入って訊ねると、「そうですよ、飲み屋としてね」と、カウンターの向こうから、シャネル風のジャケットを着た、おそらく50代の知的美人ママ。
「私、女だけど、取材で来てるけど、入っていいですか?」
「当たり前ですよ、飲み屋だから」
「あの〜、でも1杯1万円とか、めっちゃ高かったりしません?」
「しないしない(笑)。ビール、ハイボール、サワー……どれでもおつまみとセットで1000円。明朗会計ですよ」
「ほんと?」
「ほんと」
よし、入ろう。茜色の壁を間接照明が照らす店だった。この時、先客はゼロ。カウンター席に座り、缶のレモンサワーを開けて、ママと1対1。「インテリアきれいですね」と口火を切ると、意外や意外、ママはいろいろなことを話してくれた。
■ママが不意に「私、昔、現役やってんで」
「きれいなんは改装したばかりやから。コロナの緊急事態宣言明けて、さあこれからという時にこんななってしまってねえ」
??気の毒なタイミングやったんですねえ。今回なんで警告が出たんやろ。
「市長さんが女の人やからちゃうの。アマの市長さんは2代続きで女の人やで。その人がボートもやめ、って言ってるらしいよ」
??競艇も? それはなんのために?
「尼崎のイメージを変えようとしてるんちゃうの?」
??全市をあげて武庫之荘(尼崎市北部・阪急沿線の高級住宅街)のイメージに、とか?(笑)。
「そうちゃうかなあ。JRのほうなんか、きれいになってきてるしなあ。ここのこと『がんばれ』言うてくれる人、多いんやけど」
??そうなんや。でも、パトカー停まってる限り(性的サービスの店を)再開でけへん?
「そやねえ……」
レモンサワーを一飲みする。と、ママは不意に「私、昔、現役やってんで」と言った。コイツは敵か味方か値踏みされたのか、とドキッとした。わずかの間をおいて、ママはかんなみ新地の“これまでの物語”を語りはじめた。それは、“風俗街”のイメージを大きく覆す話だった――。
撮影/井上理津子
【「かんなみ新地」尼崎市が土地取得へ】〈生きていくため、体を売って何が悪い〉かんなみ新地に掲げられた言葉とその真意 「搾取の構造はない。ここは女の砦やった」 へ続く
(井上 理津子/Webオリジナル(特集班))
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