「やらせてちょうだい」 缶チューハイ片手に男が踊り子に声をかけていた横浜最後のストリップ劇場「黄金劇場」の風景

「やらせてちょうだい」 缶チューハイ片手に男が踊り子に声をかけていた横浜最後のストリップ劇場「黄金劇場」の風景

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「大連から貨物船に乗って行ったよ。船の底に乗っていったんです」 密航者と売春で溢れたかつての“横浜・中華街のリアル” から続く

 赤レンガ倉庫、みなとみらいが港沿いに広がる洗練された街・横浜。異国情緒あふれる中華街に、スポーツファンで溢れる横浜スタジアムもあり、有数の観光スポットでもある。しかし、その歴史を紐解くと、売春や麻薬、ストリップ劇業に革命家の隠れ家といったカオスな日常があった――。ノンフィクション作家・八木澤高明氏の新著 『裏横浜 グレーな世界とその痕跡』 (ちくま新書)から一部を抜粋して転載する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

◆◆◆

■横浜のストリップ「黄金劇場」

 黄金劇場のママは島根和子という元ストリッパーの女性だった。訪ねた日は、部屋を借りて2カ月ほどが過ぎた夏の昼下がりだった。

 ストリップ劇場へは、写真週刊誌のカメラマン時代に足を運んだことがあったが、あくまでも編集部からの依頼であり、お膳立てされた取材だった。自分の意思で訪ねるのは、初めてのことだ。それゆえに、少々緊張していた。挨拶もそこそこに「ぜひ、数年にわたって取材したい」と申し出ると、

「あぁ、ええよ。好きに撮って」

 島根はこちらが拍子抜けするほどあっさりと、了承してくれたのだった。

 黄金劇場を取材していく中で、踊り子やお客さん、劇場主の島根など、多くの関係者にインタビューした。

 劇場での取材で、特に私が興味を持ったのが、お客さんや劇場の裏方さん、劇場主といった人々である。というのは、踊り子に関する記事は、スポーツ新聞や雑誌などで取り上げられることはあるが、いまあげた人々というのは、大手を振って通う場所ではないストリップ劇場との関わりを公言したがらない。彼らの声というのは、こちらが聞き出そうという強い意思を持って臨まないと聞くことはできないのだ。

 通い始めてみると、黄金劇場はいつも閑古鳥が鳴いていた。満員になったのは見たことがなかった。指折数えられるほどの客しかいなかった。

 劇場に通って来る客は、一癖も二癖もある人物ばかりだった。その中のひとりにタコちゃんと呼ばれていた風采の上がらない中年の男性がいた。小太りで、メガネをかけて、頭は丸坊主、女性にモテるような雰囲気はなかった。

 タコちゃんはいつも缶チューハイを片手に劇場にやって来て、観覧中も缶チューハイを手放さない。劇場に入る前から千鳥足で、いつも酔っぱらっていた。私は酔っ払っていないタコちゃんを見たことがなかった。

■タコちゃんの「やらせてちょうだい」

 客が普段より少しばかり多い土曜日には、踊り子のパンティーをプレゼントする企画が行われていたのだが、タコちゃんはパンティーをもらうと、おもちゃをプレゼントされた子どものような嬉しそうな顔をした。もらったパンティーを被っていたこともあった。

「やらせてちょうだい」

 受付にいる島根に用があって楽屋からやって来た踊り子に対して、タコちゃんは必ずそう声をかけていた。踊り子たちは、「何を言ってんのよ」と、冗談だと思いまったく取り合ってもいなかったが、ふと見ると、タコちゃんの目は笑っていないような気がした。

 私はその言葉を聞くたびに、酒を飲み続けることによって、命を削りながら心の底に溜まった澱を吐き出す、タコちゃんの魂の叫びのような気がして、ドキリとした。

 糖尿病で酒も止められていたのだが、入院中でもタコちゃんはこっそり病院を抜け出し、京浜急行に乗って劇場へ通っていたこともあった。彼にとってこの時代から取り残され、忘れ去られようとしている劇場は、生きがいなどではなく、世間の奔流に流されないように必死にしがみついてる杭のようにも見えた。

 劇場の外で、タコちゃんがどんな姿を見せるのかが気になって、ストーカーそのものだが、後をつけたことがあった。千鳥足のタコちゃんが向かったのは、劇場から歩いて5分もかからない場所にある古本屋だった。店の外から覗いてみると、彼が脇目もふらず向かったのは、店の奥にあるカーテンで仕切られたスペースだった。そこはアダルトビデオが陳列されているコーナーだった。

 私は、その場面を目撃した時、「やらせてちょうだい」というタコちゃんの言葉が頭の中に響いた。心の中に日常では秘めているどうにもならない性的な欲望が、酒の力で増し、劇場という非日常空間で吐き出される。劇場でも始末しきれない欲望はアダルトビデオで発散する。

 タコの吸盤のように粘着質のどろどろとした叫びが、タコちゃんの「やらせてちょうだい」という言葉なのだと思った。

■ガンを患った老人カンジイの宝物

 劇場に足繁く通ってくるのは、もちろんタコちゃんだけではなかった。私が取材を始める5年前に肺がんを患い、それにもかかわらず劇場に通い続け、踊り子たちからガンと爺さんをくっつけて、ガンジーならぬガンジイと呼ばれる老人がいた。

 ガンジイは、本人が意識しているかどうか知らないが、反英独立闘争で知られるインドの英雄ガンジーと同じような丸メガネをかけ、雰囲気はガンジーに似ていなくもない。

 ガンを患いながらも劇場に通ったこの人に、是非とも話を聞いてみたいと思い、劇場の入り口にある待合室でガンジイに話を聞いた。

 昭和8年の生まれだというガンジイがストリップ劇場へ通うきっかけは何だったのだろうか。ガンジイというコミカルなニックネームとは裏腹に、本人からは実直な雰囲気が漂っている。ガンジイが落ち着いた口調で、劇場へと通いはじめた理由を話してくれた。

「14年前に心筋梗塞をやりましてね。8年前ぐらいからさらに体の具合が悪くなって、5年前にガンだとわかったんです。それまで、ソープランドなどの風俗にも行ったことがなかった。心筋梗塞になったあと、このまま死ぬのは嫌だなと思って、何でもしてやれという気持ちになってストリップ劇場に通うようになったんですよ」

「ガンが発症した時は劇場に通っていた?」

「そうだね。直径40ミリの、かなり進行していた肺ガンだった。手術の前々日まで劇場に通ったよ。手術前最後の日は、ママと劇場の看板女優と一緒に写真を撮ったんだよ。それがお守りがわり。心が優しくて強い子たちだから、これ以上のお守りはないんじゃないの。家族には内緒で携帯に保存して病院に持って行ったんだよ。手術を終えて、麻酔から覚めたらさ、部屋に誰もいなかったんだよ。最初に見たのが、その写真。それを見ていたら元気が出て来てね。この劇場に命を救ってもらったようなもんなんだよ」

 ガンジイは、今もその写真をガラケーの中に保存していた。宝物だという。劇場は、彼にとって命を支える場所でもあった。

■文豪は剥き出しの女性の姿を見て、女を研究した

「黄金劇場の存在はいつから知ってたんですか?」

「生まれも育ちも、ここからそう遠くないところだからね。黄金町っていったら、今じゃ面影はないけどさ。すごい街だったんですよ。黒澤明の『天国と地獄』という映画があったでしょう。それに当時の黄金町が出てくるけど、本当にあのまま。ヒロポンの巣窟だった。ヒロポンでやられた人が道端で寝転んでいるのなんて特別なことじゃなかったんですよ。そんな光景を見てきたから、あんまり近づきたくない場所だった。ストリップ劇場は、日の出町、浦舟町、都橋、井土ヶ谷、野毛、曙町にもあったんだよ。それがいつのまにか、黄金町と日の出町だけになっちゃった」

「いわば、黄金町は反面教師のような存在だったんですね」

「そうだね。35年間真面目にサラリーマンをやっている時は、近づこうなんて思わなかったからね。それが病気してからだよね、足を運ぼうなんて気がおきたのはさ」

「病気以外に劇場に通うことになった理由はありますか?」

「こんなことを言ったら、ちょっと気障っぽくて、格好つけすぎだよと言われるかもしれないけどさ、昔は文学を志す人々はみんなストリップの楽屋に詰めたでしょう。その中で有名なのは永井荷風だよね。彼らは剥き出しの女の人の姿を見て、女を研究したんですよ。もちろん男だからさ、スケベ心もあっただろうけどね。僕もそれにあやかってじゃないけど、それがストリップに通う理由だね。ストリップにしかない剥き出しの女の温かさ。今から女を研究しても遅いけど、女はこういうものだってわかってから死にたいよ」

 黄金劇場でステージをつとめる踊り子たちに関してもガンジイならではの意見を持っていた。

「この劇場には家族的な優しさがある。ここは踊り子との距離が近い。芸ができるのはさ、高齢の踊り子さんだよね。神業だなって思うもん。あの踊り子さん俺のこと好きなんじゃないかって、そんなムードを作るから、とりこになってしまうんだよね。若い子っていうのは、若さでカバーできちゃうでしょ。ちょっとぐらい踊りが下手だって肉体が若いから、そっちに目がいっちゃうけど、高齢になるとそうはいかないよね。いかに芸で見せるかが大事になるんだよ。でもさ、劇場で好きな踊り子を公言するのはタブーだよ。心の中では好みがあっても、誰をも平等に見ないといけない」

「好きな踊り子さんがいると通う頻度がふえるんじゃないですか?」

 その質問に、ちょっと間を置いてから、にやりとしながら口を開いた。

「そうなんだよね。あなたに好きな踊り子さんの名前は言わないけど、10日間の興行の間、初日と中日、それと楽日の3日間は通っているんだ」

■ストリップを愛しながらも、同時に“後ろめたい”

 ストリップをこよなく愛するガンジイだが、そのことは家族は勿論のこと友人たちにも話していない。

「ストリップのイメージは社会的に悪いでしょう。俺の年代は、ストリップと聞いただけで、見もしないで下品だっていう世代だからね。左翼運動の人たちは特にね。俺自身も内緒で通い続けることに罪悪感も感じているんだよ。もし通っていることがさ、他の人にバレたりしたら、俺のイメージも落としてしまうもの。一応、町内会に参加したり、精神病患者の自助グループでボランティアをやったり社会貢献活動もやっているんだけど、そうした行いがストリップ通いで全部パーになっちゃうでしょう。誰も相手にしてくれなくなっちゃうよ。信用を失いたくないから、ひとりでこっそり見にくる。2000円で爺さんがこんなに楽しめる場所はないけど、口が裂けてもさ、親友といえる仲間にもストリップに通っていることなんて言えないよ」

?

 ストリップを心の底から楽しみ、命を救われたと言っても、黄金劇場へ通うことに後ろめたさを感じ、罪だとさえ言ったガンジイ。複雑な胸の内を吐露した言葉を聞いて、何とも言えない気持ちになる。その言葉には一筋縄ではいかない人間の真情が現れている。もう少しつきつめて考えてみれば、後ろめたさを感じ、誰にも秘密にしながらストリップに通うからこそ、窮屈な日常から心を解放し、快楽に浸れるのかもしれないなと思った。

 考えてみれば、風俗にしろストリップにしろ、悪所と呼ばれるところに通う人というのは、その依存度の軽重はさておき、日常から離れることを求めているのだから、公言する人などほとんどいない。

 ストリップ劇場というものは、清い日常だけでは心が満たされることのない人間が社会の中で生きていくうえでの潤滑油のような役割を果たしているのではないか。そんなことがガンジイの発言から窺えたのだった。

 取材を終えると、ガンジイは、絶対に住んでいる場所を書かないでくれよと念押しした。当然ながら私はどこに彼が住んでいるか書かないが、そこまで心配なら取材を受けなければいいのだが、やはり心に積もったストリップに対する誰にも言えない思いを吐き出したかったのだろう。

(八木澤 高明/Webオリジナル(特集班))

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